ドレスと誠意

 丸テーブルを囲むように4つの背もたれ椅子。そのうちの一つにドルスの席がある。空いている席は3つ。自分から見て上座は右側、左側が下座だ。接待するのは私なのだから彼の左側に座る。

 ウェイトレスの一人の子がモルト酒の入ったボトルとグラスを2つ運んできた。戸惑っているのか硬い表情で無言だ。

 それを受け取り、私とドルス、それぞれのグラスに芳醇な香りを放つ琥珀色の酒を注いでいく。

 するとドルスが先に私に問いかけた。

 

「ケツ割って逃げるかと思ったんだがな」

「そんな事するわけ無いでしょ? 約束は守るわ」

「義理堅いんだな」


 ドルスのその言葉に私は切り返す。

 

「義理じゃないわ――」


 そっと声を発して、最後の単語に力を入れた。


「誠意よ」


 2つのグラスに琥珀色の芳醇な薫りの酒盃。こぼすことなく等しい量を注ぎ終える。一つはドルスの方へ、もう一つは私の方へ、そっとすすめるとドルスが手にするのを待った。

 

「手慣れてるんだな」


 そう言いながらドルスはグラスを手にする。

 

「昔、少しだけ働いてたことがあるのよ」

「ほう?」


 私はそれ以上話すつもりは無かったが、ドルスが私に対して悪意があることは明白だった。彼の口から出てきたのは当然の問いかけだった。

 

「どこだ?」

「北部都市のイベルタル」

「酒場か? 娼館か?」


 普通の神経ならこんな事は聞いてこない。さり気なく流して場を和ませる方を選ぶだろう。だが、今の彼にそんな配慮はない。無視する事もできるが会話を途絶えさせたくない。私はそっと答える。

 

「娼館よ」


 いやいや答えた風にならないようにさり気なく答えたつもりだった。だがドルスは最悪の返しをしてくれた。

 

「お前が?」


 それはおそらく意図的な言い方だろう。胸の中が瞬間的にムカついてくる。だがそれを露骨に出してしまったら思うつぼだ。幸いにして周囲がざわめいている。下世話な話だが、娼館と言う言葉に色めき立った一部の連中が居たのだ。私は周囲の反応にツッコミ返すようなノリで切り替えした。

 

「下働きの雑用と伝票整理よ! それと外国人客の通訳!」


 そして、そのまま周囲を振り向いて周りの男どもに向けてこう叫んだ。

 

「言っとくけど春はひさいでません! 水揚げもしてない!  そこ財布の中身確かめない! あんたは露骨にがっかりしない!」


 あたしの叫びを聞いて笑ってくれる人も居る。遠くでダルムさんやプロアさんが苦笑しているのが見える。

 こう言うやりとりを聞いて冗談として流せる人はまともな感覚を持っている。それにしっかりと事実を言っておかないと勘違いがあとを引くことになる。それだけは嫌だった。

 私はその言葉の後にグラスを手にする。そして、ドルスのグラスに乾杯がてらに打ち付けながら続けた。

 

「北部都市で食い詰めてた時にある娼館の女将さんが拾ってくれたの。裏方の雑用や事務職でいいなら住むところを世話してやるって言ってくれて」

「ほう?」


 それは今まで誰にも話したことのない大切な記憶だった。


「賃金は安かったしミスには厳しかった。でも、誠意を持ってやっているとしっかりと褒めてくれた。知らないことがあると丁寧に教えてくれたし、お店が忙しかったときは待合室で待っている人たちを相手に接待のお酌をやらせてくれて小遣い稼ぎもさせてくれたのよ」

 

 私は当時のことを思い出しながら語り続ける。過去を懐かしむ口調に周りは冷やかしの空気は薄れていく。じっと私の言葉に皆が聞き入っている。


「あそこで私はたくさんのことを教わった。世の中にはいろんな人間が居ることもね。あの時、女将さんがこう言っていたわ――『仕事に貴賤はない。人間に優劣はない。ただ違いがあるだけ』――って」


 グラスを視線を落とすように顔をうつむける。当時のことが走馬灯のように思い出される。

 

「いろんな人が居たわ。私を自分の娘のようにかわいがってくれる人。とにかく物を持ってくれば相手が喜ぶと思っている人。辛い事情を抱えていて一時いっときだけでも忘れたくてやってくる人。ただただ欲望を吐き出したいだけの人、

 お店の姉さまたちはどんな人が相手になっても、自分の仕事にプライドを持っていた。たとえ下賤げせんの女、うらびれ女と馬鹿にされても、うつむかずしっかりと前を見て毅然としていた。やましい事や、法に背く悪いことをしてないなら恥ずべきことはなにもないんだって。あの人達の背中に教えてもらった。

 暴力を振るわれても、罵声を浴びせられても、あの人達の輝きは失われなかった。あの人たちの〝美しさ〟を私は忘れない。あの人達から私は〝自分がどう生きるべきか?〟を教えてもらったのよ」


 そして私は、ドルスの顔をしっかりと見据えた。そうだ、今こそが怒りの吐き出し場所だ。

 

「ドルス――、あなた私がこのドレスを着てきた事の意味、全っ然分かってないのね!」


 静まりかけていた店の中、私の叫びがこだまする。

 

「あ?」


 ドルスはお前何を言ってるんだ? と言いたげだった。だが私は言葉を止めずに叫び続けた。

 

「このドレスはね、着の身着のままで仕事着すら用意できなかった私に、娼館の女将さんがプレゼントしてくれたものなの! 『女には晴れ着が必要だから』って! ただの裏方の雑用でしか無いはずなのに、娼館に居るのもおかしな小娘なのに! このショールも、わたしがこのドレスに見合った仕事を続けた時に『お前の誠意とひたむきさは立派な財産だ。だからその財産を形にしてやる』って言って贈ってくれたものなの! 私にとってたんなる衣装を超えるものなのよ!」


 私が叫んだ時、視界の片隅でダルムさんとリアヤネさんが頷いてくれていた。私の叫びを否定する人はだれも居なかった。

 そして私は立ち上がり、ドルスを見下ろしながら一気呵成に告げる。

 

「いい? 女が着飾るって事はね、それだけ相手に誠意を示してるって事なのよ! だがあなたはあたしのその誠意を踏みにじった!」


 私は左手のロンググローブを脱ぎながら続ける。

 

「あなた、私にわざと間違えた日にちでこの場所を指定したでしょ? 皆の前で私に恥をかかせるために! それとも私がギャラリーの多さに驚いて尻尾巻いてにげると思った? そうなれば約束を口外した私はメンツが潰れるものね! うまく行けば傭兵廃業かしら? でもお生憎! わたしはこんな事で逃げないから!」


――バシッ!――


 私は右手に握ったロンググローブをドルスに向けて叩きつけた。手袋を投げつけるのは古今東西変わらぬ決闘を挑む時のセオリーだ。周囲の人々の表情が一斉に驚きに変わった。

 

「帳尻合わせてもらおうじゃないの。あたしの誠意とメンツを傷つけたなら、あなたの傭兵としてのメンツを叩き潰してあげる!」

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