第25話 小豆と袋の鼠の事。

密談が終わると今日の予定だった熱田の『福屋』饅頭店に向かう。

孫(信光)さんの護衛に守られて行くから長門君も文句が言えない。


頭が高い、控えおろう!


黄門様の印籠だ。


飯母呂いぼろ瓢 八瀬ふくべ やせがプロデュースした饅頭が作られている。


八瀬ちゃんは普段は大人しい無口な忍者だが、甘い物になると目の色が変わる。


かき氷もすべてのジャムと練乳をトッピンングして堪能していた。


饅頭と言えば甘い物と思うが、然に非ず、皮の小麦粉を甘酒で発酵させてつくたもので、塩味で野菜を煮たものを包んだ物を言う。


高価な輸入品の砂糖を使った砂糖饅頭は贅沢品であり、あまり流入していなかった。


那古野の台所は、私が用意した三温糖、和三盆糖、グラニュー糖、蜂蜜、ガムシロップ、メープルシロップなどを揃えているからケーキだって作る事ができるが、一般庶民はそうもいかない。


まずは砂糖を流入させようと、熱田商人の『福屋』さんとコラボして、甘いお菓子に挑戦している。


手を上げたのが八瀬ちゃんだった。


饅頭屋さんなので、甘いあずき入り饅頭に挑戦して貰っていた。


挑戦と言っても甘い饅頭を作るのはあまり問題じゃないんだ。


あずき菓子は古くからあり、甘いモノの原料は水あめ、蜜、あまづらなどを原料に作られていた。


古来は神饌しんせんとして神社などで祭神用として尊ばれたが、室町時代になると裕福な庶民まで手に入るようになっていったと言う。


饅頭は、鎌倉時代の末期に宋から入り、肉や野菜を詰めた物が出回った。

中には点心に砂糖を使った甘い饅頭も作られた。

砂糖は輸入品だったので、庶民の口に入る事はなかった。


しかし、室町の末期には、皮を甘酒で発酵させたほのかに甘い饅頭も出回るようになった。


藤吉郎がお土産に買える程度には値段も抑えられるようになった。


それが慶長年間(秀吉の時代)になってから鹿児島は大島でサトウキビの栽培が始まって広まった。


甘々の羊羹などが秀吉への献上品になっていった訳だ。


そう、キーワードは砂糖だ。


作るのは砂糖たっぷりの超甘々なあずき餡が入った饅頭だ。


でも、大変だったんだよ。


サトウキビから上白糖を作るって!


三日前に藤八と弥三郎のリクエストで『ドラ焼き』が追加され、その試食の日だったのです。


「これが幻のドラ焼きなのです」

「じゅるるるる、元気のでる至高の食べ物です」

「それほどそんな大層なモノじゃないよ」


涎を垂らしながら藤八と弥三郎が変な事を言っている。


「見ていても仕方ないから食べましょう」

「わぁぃ、なのです」

「パク、パク、食べます」

「お行儀は悪いから一口で食べちゃ駄目よ」

「残念無念なのです」

「味わって食べます」


ドラ焼きの試食だ。



サトウキビの原産地のニューギニアに行って採取し、望月島で栽培を開始している。


台湾辺りでプランテーション農業を行って、砂糖の価格破壊を起こしてやるぞ。


は、は、は、甘い物は女の子の力の源泉なのよ。


「何考えてんだか!?」

「面白い事」

「そうかしら?」

「忍様がやる事は何でも面白い」

「まぁ、確かにね」

「うん」


千代女ちゃんと月ちゃんは割と仲がいいな!


「忍様、こちらはスイート用のドラ焼きです。生地をふんわり柔らかく焼かせて、水あめを混ぜて焼かせた一品です。二つの甘味が超絶な食感を生み出します」

「貰うね」

「はい、はい、食べちゃって下さい」

「うん、これはいける」

「デリシャスなのです」

「元気です。甘、甘で元気一杯です」


藤八と弥三郎も最高評価だ。


甘党の信長ちゃんはモクモクと出されたドラ焼きや饅頭を満足そうに食べている。


「信長ちゃん、感想は!」

「非常に美味しいです。八瀬に100万石の所領を拝領させたいくらいです」

「ありがたく、お気持ちを頂きます」

「よかったね! 八瀬ちゃん」

「ありがとう。千代女様と同じ100万石に為れました」

「様はいらないって」

「いいえ、千代女様や久月様らと身分が違いますから」


私の周りにいる忍者はほとんどが総代か、頭領の上忍なんだよね。

八瀬ちゃんは飯母呂から派遣された下忍だから、上忍に何か特別なステータスであるとの考えを持っているようだ。


「でも、この生地は美味しくできているわね。どうやって作ったの?」

「はい! バニラエッセンスをふんだんに使って甘味を強調しました」

「それ! 売り物でできないでしょう」

「あっ~~~、そうでした」


八瀬ちゃんは普段は大人しい無口な忍者だが、甘い物になると饒舌になる。


甘い物を作る為に周りが見えなくなったのね。


バニラはメキシコから持って帰っている。


那古野や出島では普通に使っているけど、販売用となると栽培が成功しないと使う訳にいかない。


出島の温室を管理している甲賀のおじさんも悪戦苦闘中だ。


「そりゃ、栽培した事もない植物を数十種類も任されたら頭も痛くなるわよ」

「でも、私が行っても嫌な顔1つもしないのよ。大人だ!」

「まぁ、そういった事が好きな人だしね。やりがいはあるんじゃない」


バニラはラン科だからと言って育て方が同じではない。

土が悪いのか、日照時間の問題か?

植物なんて育てた事がないから全部丸投げだ。


「バニラは高温多湿を好むから、望月島の方がいいかもって言っていたな」


ハウスのおじさんは出島を弟子に任せて、望月島に移住するようだ。


「八瀬に命ずる。おじさんと相談して望月島でのバニラの栽培計画をまとめて、レポートを提出するように!」

「了解であります」


福屋の主人もにこにこ顔だ。


「あずきがこんなに美味しいとは思わなかったなのです」

「そうね! 本当に美味しいわ」

「これを食べると、129馬力です」


ならないからね!


八瀬ちゃんが白い砂糖を作るまでの苦労話をみんなに語っている。

サトウキビから黒砂糖は甘味成分を取り出して固めるだけで終わるけど、白砂糖はここから白く雑味を取り除くのが一苦労なのだ。


さとうきびの甘味成分を煮つめて取り出し、冷やしながら結晶を析出させ、その結晶の周りに存在する黒色成分を含む蜜を取り除いてゆく。


近代の遠心分離器法が使えないので、覆土法ふくどほうという方法で取り出す必要があったのだが、それより凄い方法が『加圧式』だ。


簡単に言うと醤油や酒を搾るのと同じ「押し槽(ふね)」と呼ばれる道具をつかって、圧縮して蜜汁のみを取り出す方法だ。


サトウキビの栽培が順調に行ったとしても尾張に入って来るのは来年の春以降だ。


しばらくは贈答品の菓子のみだ。


「甘味の力をとくと見るがよい」

「男衆を山科卿が酒で陥落させたように、女性陣を甘味で陥落させるのね」

「は、は、は、そういう事だ」

「忍と山科卿と似ているね!」

「似てないよ!」


似てないよね!


 ◇◇◇


せっかく八瀬ちゃんが作ってくれた『ドラ焼き』を試食だけで終わらせるのは勿体ない。


「信長ちゃん、孫さん、このお菓子を斉藤の姫さんに送っても問題ないかな?」

「私は構いませんが、どうしてですか?」

「利政(後の道三)でなく、娘の方ですか?」

「理由はいくつかあるけど、甘い物を送るのは女性の方がいいに決まっている」

「そうね!利政が甘党とは聞いた事がないわね」

「二つ目は、何となく縁があるかも?」


利政(後の道三)の娘、帰蝶は史実では信長の正室になる女の子です。

美濃の重臣である明智一族と明知遠山氏に繋がり、信長ちゃんが美濃を取った後に美濃の統治が巧く進んだのも帰蝶がいたからかもしれません。


「忍の世界の信長様の正室ね。断固拒否ね」

「どうしてですか!」

「ライバルを増やしてどうするのよ」

「千代女ちゃんが正室で、帰蝶は側室ならいいでしょう」

「う~~~~ん、仕方ないか」

「信長様、おめでとうございますなのです」

「おめでとうです」


ははは、信長ちゃんが困っていた。

孫さんはしばらく考えた後に許可をくれた。


「悪くはない。相手の内乱の種を蒔く。兄者なら喜びそうな手だ」

「そうね! 姫様の所に敵の織田から特上の菓子が届く。色々と深読みしてくれそうね」

「明智が織田に寝返ったと考える訳か」

「利政(後の道三)には通用しないけど、家臣は勝手に噂を流してくれると思うわね」

「痛くない腹を探られて、腹を立てるだろうね」

「何か、悪い事をしているような気がします」

「信長様、ここは妥協しては駄目ですよ」

「そう、今は斉藤と戦をしているからな!」


うん、ごめん!

思い付き。

そういう深い意味はないんですけどね。


孫さん、千代女ちゃん、慶次様が菓子を送った結果を話し合っている。


こりゃ、送る事は決定だ。


「もう一工夫、欲しい所ですな!」

「孫さんも欲張りだね。そう言ってもそんなに…………あっ!」

「おぉ、何か思い付きましたか?」

「これも私が知る信長ちゃんの話だよ。まだ、生まれていないけど、信長ちゃんの妹にお市ちゃんがいて、浅井家に嫁ぐ事になったのよ。信長ちゃんは越前の朝倉に攻めていると、お市ちゃんから『陣中のお菓子になされますように』と袋の両側を縛ったあずきが届けられたのよ」

「陣中であずき菓子が食べられるなら元気100倍なのです」

「馬力も129です」


そのネタはもういいのよ。


「あずきが届けられた事が何か?」

「今、言ったでしょう。袋の両側が絞められたあずきの袋が届けられたと」

「判りました。袋の両方、袋の鼠と言う意味です」

「そう、浅井が寝返った事をお市ちゃんは信長ちゃんに知らせてくれた訳よ」

「生まれていない我が妹ながらあっぱれであります」


生まれていない内からお市ちゃんの株が上がったような気がする。


まぁ、いいだろう。


「あははは、面白い」

「面白い?」

「甘いのではないのですか?」

「ドラ焼きは甘いのぉ。甘い不破が寝返った。なら、もう片方の甘い輩は誰だ? はい、弥三郎君、答えて!」

「むむむ、難しいです」

「次、藤八」

「判らないなのです」

「あははは、判らんか。織田という甘いドラ焼きを食べにくるのは美濃の岩村じゃ。東とい西、斉藤は袋のねずみじゃと脅しておるのだよ」

「孫さん、簡単に答えを教えちゃ駄目だよ」

「おぅ、そうか」

「この場合、利政(後の道三)に送らず、娘の帰蝶に送る意味が出てくるわ」

「あぁ、美濃の明智に寝返らぬかと誘っているようにも思える」

「あははは、さらに西と東で美濃が割れるぞ」


あぁ、そういう意味が加わるのか!


私は甘みで帰蝶ちゃんに寝返らないかって意味が一番大きいだけどね。


この場合、帰蝶ちゃんじゃなく、そのバックの明智になるんだ。


全然、気が付かなかった。


「忍殿は兄者に次ぐ、知略家だ。某も脱帽しました」

「流石です。忍様」


脱帽されても困りますよ。

信長ちゃんのきらきらの目が眩しい。


千代女ちゃんと慶次様が意味深な顔で私を見ています。


「忍の凄い所ね」

「凄い所だ」

「天然ですな」


宗厳様、こっちに来て初めて口を開いたよ。


う~ん、辛い。

よし、誤魔化そう。


「みんな、餃子って知っている!」


饅頭と餃子は入ってきた時代が違うだけで同じ食べものなんだ。


美味しいよ!


あとがき



柳生石舟斎宗厳も甘党だったと言うネタを探したが見つからない。

探して見ると、子連れ狼で「柳生烈堂の額に目掛け菓子箱を投げつけた」くらいしか見つからないね。

のんびりと探そう。

ホント、信長ちゃんと甘い物で団欒をしたかったんだよ。

かすったら、その設定にしようと思っていたのに!

残念です。


饅頭怖いの話が入れられなかった!


※).小豆あづき:日本には古くからあり縄文土器から発見されている食糧です。平安時代の『本草和名ホンゾウワミョウ』には阿加阿都岐アカアツキという名で紹介されている


アカツキが濁って、あずきになったようですね!


漢字も赤小豆、赤豆、赤粒木アカツブキ)と見たままに当てられました。


中国の薬学書『神農本草経』(世界最古の薬学書)には、小豆の煮汁が解毒剤としてもちいられたといった記述があります。


なんと、小豆は梅と同じく薬として重宝されたのかもしれません。


アズキはショウズとも呼ばれます。

小さい豆です。

大型の豆に対して小型の豆という意味です。


栽培過程は、種まき(5~6月)で発芽まで約2週間、開花(7~8月)で小豆の黄色い小さな花が咲きます。 開花後、受精が行われ莢がつきます。 莢の色は緑色から褐色へと変化します。収穫(9~11月))は刈り倒された状態で2~3日、地干し。 2週間程度、自然乾燥させます。 乾燥後、脱穀し莢から小豆を取り出します。


小豆は水や油を使わずに、鍋に食材を入れて煎ると非常に栄養価が高い食物になります。〔乾煎からいり 〕

特にビタミンBが豊富であり、豚肉より多く含まれています。疲れを取り除き、皮膚の健康維持に役立ちます。その他のミネラルも豊富な小豆は大変重宝な食べ物なのです。


しかし、あずきをゆでるとその多くのミネラルが抜けてしまうのは残念です。


中国より伝来した「アン」は、米や麦でつくった食物に穴をあけ、その中に詰める詰めものを意味します。唐菓子は一つに「団喜(ダンキ)」という「アン」を包んだものがありました。


これがおそらく『団子ダンゴ』の語源であり、詰める方のアンも『餡子あんこ』となったようです。

餡子あんこ』と『餃子ぎょうざ』が似ていますね。

その種類もいろいろありました。


餃子は肉、エビ、野菜などで作った餡を包み、茹でたり、焼くなどした食べ物です。


あの小麦粉で出来た薄い皮の部分を「餃」というそうです。

餃子は 北京語で「チャオツ」、 子の字は、小さいものにつける接尾語です。

山東方言の発音「ギァオヅ(giaozi)」と呼び、韓国はマンドゥ(饅頭)と呼ばれたみたいです。


料理書『隋園食単』(1792年、清代)に餃子の記述があり、日本に伝来したのは、江戸時代 安永7年(1778年)で中国料理書『卓子調烹法』で初めて餃子が紹介され、その10年ほど後に中国事情を記した書『清俗紀聞』には、餃子が絵入り(シュウマイの形に似ている)が紹介されていますが、根付かなかったようです。


そして、第二次世界大戦後、中国東北部の満州にいた日本人が帰国し、満州で食べた餃子ギァオヅを懐かしみ、作って売ると、瞬く間(2~3年)で全国に広まったようです。


肉が足りない時代に、栄養価の高い餃子が受けたと伝わりますね。


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