第35話 内山崩れ(1)の事。

【 武田晴信と軍議の場 】

信濃佐久郡の攻略は中々苦労していたが、降りしきる雨を物ともせずに、強行隊が尾根の一部を制圧し、井戸(※)を奪い取って水の手を絶った。


「ようやった」


晴信がその報告を聞いて膝を叩いた。


「信方」

「委細承知、すでに増援を送っております」

「死に者狂いで取戻しにくるぞ」

「同時にすべての曲輪を押さえるぞ」

「漸く、全軍を動かせまするな」


同時攻略をしている伊那郡の制圧は順調に進んでいる。

対して、佐久郡の制圧には手を焼いていた。


内山城は比高150mの山城であり、城下、円城寺などはすでに制圧し、衣笠神社の脇から上がる1本道が城へと繋がっており、尾根伝いに攻めるにも100m毎に堀切りを施して、進むに進めぬように工夫されていた。


城の兵は詰めに詰めて300人余り、兵糧も尽きていると思われるが士気が落ちない。


初戦で大井軍に負けた事が尾を引いている。


武田の兵はいつ『赤鬼』が出てくるかと戦々恐々せんせんきょうきょうになっており、我が軍も足が鈍い。


大井軍は百姓まで味方して、城外に隠れて一緒に襲って来る。

山狩りをしているが、効果が見えない。

東の尾根を伝って決死隊が井戸を取った。

別働隊が東の曲輪を襲って、決死隊の支援路を確保した。

水の手を切った。

これで勝ったと晴信は確信した。


翌日、大井軍に総攻撃を仕掛けた。

向こうも必死に井戸を取戻しに来た。

武田軍は井戸を死守したが、大井軍は曲輪を死守し、戦意はまだ高い。


『おらたちには赤鬼様が付いておるだ』


百姓、足軽共が口々にそう言って騒いでいる。


忌々しい。


その報告を軍議で聞いて、一門衆、武田譜代衆も苦々しい顔をしている。


「まぁ、強がりも2・3日が限界でしょう」

「その通りだ。攻め手を緩めるな」

「すぐに飢えと乾きで根を上げる事でしょう」

「もう勝ったが同然」

「今日以上に井戸を取戻しに来ると心得よ」

「「「「「「ははぁ~」」」」」」


内山城は尾根伝いに突き出した大岩の上に城を作っているので登るのが難しく、攻め口が限られます。全軍で周囲から攻めたてても実際に攻めている兵は限られるのです。


そんな軍議が進む中に伊那郡からの伝令が走って来た。


「流石、信繁のぶしげだ」

典厩てんきゅう殿、見事な差配でござる」

「孫六も初陣、おめでとうございます」

「うむ、皆のお蔭だ」


晴信の弟、信廉のぶかど(孫六)も無事に初陣を飾ったと聞いて安堵した。

伊那郡に向かわせたのは比較的に若武者で構成される軍であり、未来の武田軍を支える若人であった。


「なにか、変わった事があったか」

「特にはございませぬが、妙な噂は流れております」

「それは何か?」

「三河で起こった戦の事をご存じでございますか」

「知らんな」

「三河でも鬼が出たと噂でございます」

「何ぃ!」


晴信は横に控える武田譜代衆の一人である金丸 筑前守かねまる ちくぜんのかみに視線をやった。

晴信に代わって家老の板垣 信方いたがき のぶかたが言う。


「何故、伝えなかった」

「噂が余りにも曖昧な為に、今、調べさせております」

「構わん」

「確かに三河でも赤鬼が出たと噂になっております。織田に率いられた鬼は西三河衆を悉く首を刈り、衣ヶ浦を赤く染めたと伝わります。西三河衆は震え上がって、織田に臣従したとか」

「織田が赤鬼を飼ったと言う事か」

「はい、それは確かなようで」


金丸はあくまで噂と言った上で、赤鬼が尼子の姫であるとか、織田がその姫の為に那古野城を改築するなどの報告をします。


「いつの話だ」

「三河の戦いは10日前でございます」

「佐久の赤鬼が尾張に下ったのか」

「さもありなん」

「そうだとすれば、朗報じゃ」

「そうだと言う確証も」


結局、御一門衆、譜代家老衆、外様家臣団が噂のみで真偽が明らかでなく、唸るだけで話が進みません。


忍者衆も人手が足りないのです。


板垣が金丸に命じて、三つ者と呼ばれる忍者衆、富田郷左衛門とだごうざえもんに再編成させています。それでもまだ手が足りないというのが実情であり、三河や尾張などに送る余裕がなかったのです。 


そう、銭が足りないのです。



そもそも父の信虎を追放する事になったのも、甲斐の困窮が極まっていたからです。

天文10年、信虎を駿河の国に追放する事で家臣団の不満を押さえた晴信でありましたが、それでも財政難である事は変わりません。


川の改修を始め、収穫高を上げる努力をはじめていますが、工事をはじめて4年、道半ばにも達していません。


『信玄堤』が完成するのは、開始から18年後の永禄3年です。


お金を使わず手っ取り早く搾取する方法として、豊かな南信濃の諏訪氏を襲って財を奪って間に合わせ、その戦の費用を次の戦で奪って払ってゆく。


諸行無常のエンドレスが続くのです。


よく嫌にならないモノです。


佐久郡など鶏肋けいろく(※)であり、時間を掛けている暇はないのです。


 ◇◇◇


翌朝、内山城から沢山の煙が昇っていたのです。

家臣一同、足軽に至るまで、武田軍の者が首を傾げます。


「あれは何じゃ? 何のつもりじゃ」

「何かの狼煙でしょうか」

「小諸に連絡を取り、村上の動きに注意せよ」

「はぁ」


小諸は3年前の小競り合いで、なんとか奪った北信濃へ攻め上る足掛かり、佐久郡の北にある小城です。


敵の村上義晴にすれば、喉元に刺さった棘のようなものです。


「野戦になるのは拙いですぞ」

「晴信様、もし村上が出てくるようならば、一度下がる事を進言致します」

「そう思うか」

「兵が浮き足だっている故に」

「致し方なし。まずは村上を探れ」

「はぁ、直ちに」


板垣が金丸を使い、三つ者に北信濃の様子を探らせに行ったのです。


内山城から昇る煙、それは飯を炊いている煙であり、狼煙でも何でもなかったのです。


「千代女ちゃん、私が大井を助けても問題はないのよね」

「好きにすれば、というか、私の話なんて聞かないじゃない」

「いやぁ~、そんな事ないよ」

「よく言うわ」

「いちおう、佐久郡は滋野望月の元所領でしょう」


千代女は小さく溜息を付きます。

今頃、千代女の身代わりに送られた望月の分家の娘が、持参金の5,000貫文を持って望月盛時に合っている頃です。

尾張の望月領で数日を過ごした彼女は、悲壮に暮れて諏訪に旅立っていったのです。


「千代女様、これって私、貧乏くじですよね」

「持参金もたっぷりだし、可愛がって貰えるよ」

「美味しい物が食べられなくなります」


望月領の人には、野菜を始め、カカオとか、サトウキビとか、色々な植物の管理を任せてあり、試食の砂糖菓子にチョコレート、日本でも望月の新領でしか食べられない食材があるんだよね。

諏訪に旅立つ彼女を慰労しようと、ささやかなパーティーを開くと、余計に悲しんだ訳だ。


「私は戻ってくる(アイシャルリターン)」


見送られた彼女が、そう心に決めて旅だった事を誰も知らない。


まぁ、それはともかく。


甲賀の望月にとって、佐久の望月の事情など知る訳もありません。

好きにやってという感じです。


好きにさせて貰います。


そう、大井の兵には忍が一度だけ助けられた事があるのです。


「一宿一飯の恩義があると言うなら、命の恩人を助けるのは当たり前だよ」

「忍、ホントか?」

「ホントだよ」

「某も想像が尽きませんな」

「信じられません」

「俺も信じません」

「ここに来た直後だったからね。右も左も判らずに急に殺されそうになったのよ」


千代女ちゃんはともかく、慶次様、宗厳様、藤八に、弥三郎まで信じないとはどういう事だ?


私は嘘を言った事がないぞ。


まぁ、助けてくれた大井軍の名も知らぬ兵へお礼と、殺そうとした武田軍へのお礼参りだ。


これが逆で、大井の兵に襲われ、武田の兵に助けられていたらどうなったのだろうか?


武田に運がなかった。


そうとしか言えない。


もちろん助けられたと言っても、忍を助けようと思った訳ではない。

偶然だ。

だから、大した支援をしていない。


「うん、大した事はしていないよ」


米10俵(300kg)とイノシシ1頭、鹿2頭、大樽に入った水3樽と酒2樽である。

それと鍋と薪も付けた。


「この時代の人って、1日に5合って、お米が好きよね」

「忍が小食過ぎるんだ」

「良いのではないですか」

「5合なんて足りません」

「5合が普通です」


慶次様と藤八は8合飯だもんね。


どこに入るんだろう?


1合が150gだから、内山城の兵士が300人なら1日225kgが消費される。

明日も持ってくると書いておいたので、みなさん、豪快に食べていらっしゃる。


「盛り上がっているね」

「普通、籠城していたら節約するのよ」

「10俵のお米なら」

「10日ぐらいに分けるんじゃない」

「そりゃ、腹が減るわ」


飯だけでは勝てないかもしれないので、鉄砲300丁、早合弾5万発、焙烙玉100個を置いてきた。


山城でそれだけの備えがあれば、落とせないだろう。


そして、日の出と共に戦がはじまった。


私達は内山城から3kmほど離れた八ヶ岳の双子山の頂上から双眼鏡で覗き込んでいる。


「なにぃ、これ?」

「何か、言った」

「これ、何なのよ」

「双眼鏡よ」

「私達の仕事がいらなくなるじゃないのぉ」


3km先から顔の輪郭までくっきりと見える。


30倍まで使える高性能な軍事仕様の双眼鏡である。

設計図を元に色々と試してみた。

残念ながら、デジタルの手振れ補正がなしではここが限界だ。


限界突破180倍も造ってみたよ。

モデリングの凄い所は純度100%のガラス結晶体を作れる事です。

つまり、ボヤけないレンズです。

でも、手振れが酷くて使えない奴です。


千代女ちゃん、使い熟しているけど、どういう事?


エスパーか!


「じゃぁ、予定通りに千代女ちゃんと慶次を残して帰るよ」

「後で交代する」

「差し入れ、よろしく」


内山城を監視するのは千代女ちゃんだけ、後で交代の望月衆を連れてくる。

慶次は周囲の警戒で残っている。

お昼までの我慢だ。


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