催眠術でディスティニー

ぼさつやま りばお

第1話

「好きです! 付き合ってください!」

「……あの、ごめんね。気持ちは嬉しいけど」


 そんな引きつった顔を向けられて、私の恋は終わった。

そして、そのまま悪びれた様子もなく、彼は背を向けて歩き出す。

 私の告白など、彼にとっては歩く道端で小石を蹴った様なものなのだろう。


 多分、彼は私と違ってこういった事に慣れているだろうし、私が何人目かは分からない。何せ彼は顔がいい。

 狭き門を潜る事は愚か、叩くことすらに叶わなかった私の恋心は、校舎裏で見事に潰えた。そして果てた。そして、粉々になった。

 

 そこはかとなく包み隠さず満遍なく申すのなら、私は失恋した。

 

それは、放課後の出来事だった。


 ◇


「辛い。とても辛い。失恋がこんなに辛いものだなんて……」


 机に突っ伏し、私はシクシクと泣いた。運命の人だと思い込んでいたのは、どうやら都合の良い一方通行だったようだ。何て悲しいのだろう。


「まあ、あいつ顔がいいからな」


 そんな私に向かい合う様に座る男子が、呆れたように言う。彼は5歳からの幼馴染で、ご近所さん。つまり、姉弟のような存在だ。

 だから当然、恋愛における相談事も話していた。


「そう! そこなのよ! 顔が良いって罪じゃない? 人の気も知らないで……!」

「勝手な奴だなぁ……」

 

 悲しみも色々と通り越していくと、ちょっぴり怒りが湧き出てくるものらしい。

 私はグシャグシャになった顔を里中へ向けると、意味もなく息巻いていた。


「はぁ……辛い。もの凄く辛い。こんなに辛いのなら死んだほうがまし!」

「そりゃ言い過ぎだろうよ」


 里中を異性として見てないのも相まって、何でも有りなのだ。こいつの前ならば寝起きの髪もボサボサで不機嫌な面を見られても何も思わないし、部屋を何一つ掃除しなくても招く事もできる。

 それくらいに、里中は近い存在なのだ。


「どうにかしてよ里中ぁ。甘い物が食べたい」

「お前があいつと付き合ってるなら、我儘に嫌気がさして三日と持たないだろ」

「あんたの前だけですぅーだ」

 

 涙を拭い、里中にそっぽを向いて頬杖を付く。少し気が紛れたが、やっぱり悲しいもので、拭ったはずの涙は、直ぐに頰を濡らして行った。


「……気持ちは分かるけどさぁ、元気出せって」


 里中は言う。元気を出せとは無理なもので、こいつのデリカシーと配慮の無さに、少しだけ私は苛立った。昔からそうなのだ。


 恋愛ドラマや映画では、異性として見ていなかった幼馴染を在る日を境に意識し出すというシナリオをよく見るが、私的にはあり得ないと思う。


 画面越しに見るイケメン映画俳優の如く、端正で歯の浮く様なセリフを囁かれるのなら話は別であるが、こいつに限ってそんなことは無い。


「あんたにこの辛さが解る訳ないでしょ。ならどうにかしてよ」


 我ながら嫌な女だと思う。里中の言う通り、私は我儘だ。頭で理解していても気持ちという物は大変正直なもので、つい感情をぶつけてしまう。

 そんな自己嫌悪が涙に拍車を掛けていると、里中は大きく嘆息して席を立った。


「里中……。ごめんて」


 私は反射的に謝った。自分でも酷い事を言ってるのを理解しているからだ。

 嫌な奴。確かに、里中の言う通りだ。私が男なら私の様な自己中とは付き合わない。

 そう思うと、とても悲しくなった。


「まって。どこ行くのよ」


 立ち上がった里中は、教室の後方へと歩き出す。珍しく怒ったのだろうか。

「佳奈。しょうがねえからどうにかしてやるよ」

「……は?」


 里中が自身のスクールバックを棚から取りだして、机上へと置く。

余りにも突飛な発言と行動に呆気を取られていると、里中は財布を取り出していた。


「なに? 現金でもくれるの?」

「馬鹿言え、そんなんで癒える程安い傷じゃないだろうが」


 里中の言葉に、ほんのちょっぴり胸が脈打つ。中々いい事を言うじゃないかと、様子を伺っていると、里中が取り出したのは五円玉が一枚。

 私は意味が解らずに首を傾げている。

 すると、里中はあらかじめ着けていたであろう紐を指で摘まみ、五円玉を私の前でぶら下げた。


「最近ちょっと催眠術を勉強しててさ、佳奈の失恋した記憶を消してやるよ」

「…………馬鹿にしてんの?」


 一瞬でも里中を見直した私が馬鹿だった。昔からこいつはアホなのだ。最早色々を通り越して呆れてくる。これなら現金を貰った方がまだましだ。


「私帰るわ」

「待て待て待て。一回だけ、一回だけで良いから! な?」


 立ち上がろうとした私の肩をがっちりと掴み、里中は押さえつける様にして再び私を座らせる。仮にこの失恋感情をどうにかできるのなら飛びつきたいが、流石に五円玉と言う古典的な催眠術に踊らされるほど私は悲観していない。


「絶対上手くいくから。な?」


 しかし、先程の里中に対する身勝手な行動に自責を感じ、私は仕方なく催眠術ごっこに付き合う事にした。これで自身の罪悪も少しばかり軽減されるかもしれない。


「……上手くいかなかったらスター場のフラペチーノ奢ってよね」

「よっし。じゃあ、大きく深呼吸して。まずはリラックスだ」


 里中は宥める様に私の肩を軽く揉みだす。別に肩は凝っていないのだが、言われるがまま、息を大きく吸い込み、吐き出す。

 リラックスしろと言われても悲しい気持ちが無くなる訳もなく、やっぱり悲しいままだった。


「んじゃ、この五円玉を見つめてくれ」

「ん……」


 正直私はバカバカしいと思っていた。そんな心境も知らずに、里中はぶら下げた五円玉を私の直ぐ目と鼻の先で左右へと振りだした。


「貴女は段々眠くなる。ねむくなーる」


 ……催眠術のコツは、受け取り側が心身共にその暗示を信じる事から始まると思う。なので疑いを持ってしまってはその効果は薄まると言えよう。私だってこの失恋した悲しみを取り除けるのなら、万々歳である。だから里中の催眠術にも喜んで掛かりたい。


 だが、里中のベタな小道具とベタベタなセリフを信じろというのは、無理があった。


「里中さぁ、やっぱり馬鹿にしてるでしょ? そんなベタな……」

「いいから! ほら、五円玉を見つめる!」

「う、うん……」


 左右に揺れる五円玉を、目で追う。

 心なしか意識がぼんやりしてきたかもしれない。それにいつもより、里中の声がはっきりと聞こえる。こんなに通るような声じゃないないのに、里中の声はしっかりと、直接頭の中に響くように、何度も何度も脳裏に交差しては深く焼き付いていった。


 けれど、聞こえているのに、分かっているのに――――。

 ――――――――えっ。という言葉は出なかった。


「貴女は、失恋した事を忘れます。そして、俺から催眠術を受けたことも忘れます。いいですね? 3・2・1」



 ――――――――――――――――――――。



「……何してんの?」


 気が付くと、里中が財布を取り出して私の前に立っていた。どうやら疲れた様で放課後にぼんやりとしてたらしく、窓辺からは野球部たちの活気ある声が風に乗ってカーテンを揺らしていた。


「何って、帰りに甘いもん奢れっつうから財布の中確認してんだろうが。全く。いくら俺がバイトしてるからって、簡単にたかりやがって」


 そういえば、そんな話をしていた気がする。いや、気がしなくても奢って貰えるのなら損はない。ここは迷わず食いついておくべきだろう。


「あー、そうそう! そんな事言った気がする。スター場に新作出てるのよね」

「お前よくあんな甘ったらしいもん食えるな」

「女子は生クリームやスイーツ用に胃袋が二分されてるのよ。さ、行こう」

「……へいへい」


 教室の後ろにある棚から自身のスクールバックの中から鏡を取り出して確認する。女子たるもの、お洒落な店に行くとならば、身形を確認する必要があるのだ。


「あれ? なんで目が腫れてんの? やばっ。寝てた?」


 里中に確認する。こいつに腫れぼったい眼を見られても今さら何ともない。だが、里中は私の問いに一瞬の間を作ると、目を逸らした。


「あ、ああ。十分ちょいくらい」


 今一的を得ない里中の反応に、ついつい茶々を入れたくなる。


「何その反応。まさか私が寝てる間にやらしい事してたんじゃないでしょうね?」

「馬鹿野郎、仮にお前の全裸見たとしても何もしない自信あるっての」


 里中の言う通り。

 それくらいに、私達は小さい頃から近所で育った姉弟の様な関係なのだ。


「ほら、置いてくよ!」

「へいへい」


 ◇

 

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