八不浄

 真々白まましろ氏の芝居がかった言い方に辟易へきえきしながら、温泉に浸かっているときですらくつろぐことが許されないのかと、私は今さらながら『かむらた山』で休日を過ごそうなどと考えた己の判断を呪った。 


「封じたはずの八ツ足様の脚が八匹のバケモノに変容し、今度は村人を襲って喰らうようになったそうなんです。その八匹のバケモノがヤフジョウといって、かむらた山各所の鎮め石の下に封じられているんだとか」


 いつまでも与太話よたばなしに付き合ってなどいられない。


「例えば、想像してみてください。ご覧の通り、湯船の先がどうなっているのか暗くてわかりませんよね? いや、もちろん、あるのは湯船の壁面ですよ。ただ考え方によってはこの先に壁がなくてですね、真っ暗な谷底へと続く滝のようになっている可能性も」


「あの、失礼ですが、何の話ですか?」


 どうして真々白氏は突然そんな例え話を始めたのだ。バケモノの話をしていたのではなかったか。考え方によってはも何も、それは真々白氏の妄想である。どんな場合であろうと湯船の一端が滝などになっていてたまるか。


 上がるつもりだった私は肌寒さを感じて再び湯の中へと身を沈めた。


「固定観念の話です。いいですか、だって、これは伝承なんですよ? バケモノが文字通りバケモノなはずないですよ」


 正論である。私は一瞬でも真々白氏の正気を疑ったことを恥じた。


「既成事実があるとしますよね。もしそれが動かしがたい真実で、他に代わるものがないのに、まったく信憑性がなかったとしたらどう思います? 作り話だと思いませんか?」


 真々白氏は何を言わんとしているのだ。私の理解力が不足しているのか、それとも疲れているせいで頭に入ってこないのか、いまいち言葉の意味がうまく飲め込めない。わざとまわりくどい言い方をしているようにも思える。


 既成事実なのだから真実だろう。その真実に信憑性、つまり証拠となる資料がない。だからその既成事実は作られたものである。


「現実にはありえない話、あるいはフェイクということですか?」


「いえ、そうではなく、ありえない話がありえたら、という話です」


 非現実的なことを仮定して議論するのはまさに時間の無駄である。百億円が道端に落ちていてもし拾ったらどうする、と同等の話でしかない。私の答えは、落ちていても警察に通報するのが面倒だから無視をする、だ。


「えっと、待ってください。それだと、バケモノは存在する、ということになりませんか?」


「ネッシーはご存知ですよね? ネス湖のネッシー。UMAユーマというやつです。このネッシーの場合、ネッシーの写真が動かしがたい真実の証拠となって、当時の人々にその存在を知らしめることになったわけですよね? でもわたしたちからすれば、あんな精度の低い写真では何の信憑性もないわけです。正直、今の時代なら個人でももっと精度の高いものを作れますよ」


「つまり」


「つまり、わたしたちにはこう言えるわけです。ネッシーなど作り話である、と」


 言っていることが二転三転している気がするし、主張に矛盾を感じもするせいで、真々白氏の論点も話の筋もまるで見えてこない。それに滝の話はどこへ行ったのだ。


「では、真々白さんは、ネッシーは存在しない、と言いたいわけですね?」


「作り話だからネッシーは存在しない、ですか? でも、それがそう思い込むよう仕向けられたものだとしたら、どうです?」


「本当は存在するものを、わざと存在しないように見せかけている、ということですか?」


「わたしが言いたいのは、何かのカモフラージュなのではないか、ということですよ」


 下手に人々の目をらすよりも、馬鹿げた話で適当な注目を集めておいたほうが、誰かにとっては都合がいいということだろうか。にも角にも話の着地点がわからない。


「ネッシーがですか?」


「ネッシーもそうですし、ヤフジョウと呼ばれたバケモノも、おそらくは何かのカモフラージュだと思うんですよね。あ、八つのフジョウ、汚いという意味の不浄と書いて八不浄だそうです」


 申し訳ないが真々白氏の話にはとても興味が持てない。シズメだのフウジだの八不浄だのと、祭りがそれらにちなんでいるから何だというのか。


「それで、もともとは何の話でしたっけ?」


「そうそう。それでですね、明日のフウジでは門外不出のヒギが執り行われるそうなんですよ」


「ヒギ?」


 真々白氏は「秘められた儀式で秘儀です」と簡潔に説明してくれた。


「なるほど。来訪者はそれが目的でこんな山奥まで来てるわけですか。さぞ特別な儀式なんでしょうね?」


「でしょうね。タクシーの運転手も女将も、訊いても内容は教えてくれませんでしたから、わたしも詳しくは知らないんですけどね。まあ、明日のお祭りの楽しみをとっておいてくれたのでしょう」


 実際のところ、私は祭りにもバケモノにも興味はない。山の澄んだ空気を吸って、土地で振る舞われる料理を食し、ゆっくりと休んで仕事への英気を養えればそれでいいのだ。居心地が良ければ二泊しようかとも思っていたのだが、秘儀などには構わず明日の早い時間に帰ってしまおうか。


「わたし、そろそろ上がりますね。ずいぶんと長湯になってしまったもので」


 すべてを喋り尽くして満足したのか、真々白氏はそんなもっともらしいことを言って立ち上がり、「お先に失礼」と言いつつ湯船から出るとさっさと浴場から姿を消してしまった。


 今日一日でもっとも言葉を交わした真々白氏の姿を、結局私は一度も確認することができなかった。次にどこかで顔を合わせたとしても、それが真々白氏だと気づける自信はない。


 真々白氏とまたすぐそこで鉢合わせるのも気まずいと思った私は、たっぷり時間をかけて身体を温めなおし、そろそろいいだろうという頃合いを見計らって十分に間を置いてから湯船をあとにした。

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