八ツ足様

 話が長くなりそうだと感じた私は、途中で逆上のぼせてはたまらないと思い、松明たいまつを背にして湯船のへりへと腰掛けた。正面からときおり吹きつける冷たい風が火照ほてった身体に気持ちいい。


「では、今日がお祭りの初日ということですか?」


 私は心中では興味を失いながらも、真々白まましろ氏の好奇心をくすぐるような言い方に乗せられ、ついみずから話を進める取っ掛かりとなる質問をしてしまっていた。


「いえ、それがですね、お祭りではあるらしいんですけど、より神事色が強いと言いますか。そうか、お祭りで神事色という表現はおかしいですね」


 真々白氏が自省するように祭り自体が神事なのだから、神事色が強いでは意味が通らない。


「そうですね、たとえば、お祭りの賑やかで騒がしい側面をぎ落とした、とでも言えばいいんでしょうか」


「まあ、なんとなくですが、わかります」


「ええ。なので、露店が出たり、祭り囃子ばやしが鳴ったりもしない、静かなものだそうですよ」


 聞いた限りでは地味な祭りのようだが、そんなものをこんな山奥までわざわざ見に来ようという人間が私と真々白氏を別として、少なくとも十四名もいることが驚きである。そういえば中村も祭りを見に来たのだと言っていた。


「えっと、それだと、何が見所みどころなんでしょうね?」


「見所ですか? ほら、ご覧になりませんでした? 広場でやぐらが燃えていたでしょう?」


「ああ、なるほど。あれはやっぱり祭りの一部だったのか」


「ええ、オクリという儀式らしいですよ。教えてくれた女将本人は、まだ一度も見たことがないそうですけどね」


 儀式の名称などどうでもいい。短時間で多くの耳慣れない単語を聴いたせいですでに頭に入ってこないのだ。


「それで、何の話でしたっけ? 今日がシズメで、明日が?」


「フウジです。封印のフウでフウジです」


 私はうすうす、真々白氏は知っていることをすべて喋り尽くすまで口を閉ざさない性分しょうぶんのような気がしてきて、それならばさっさと終わらせて温泉から出ようと脱線した話を本筋に戻して先をうながした。


「明日のフウジなんですけど、順番に伝承から話しますね」


 さっき残酷な内容だとか言っていた気もするが、いくら酷い話であっても空想なのだから構いやしない。


「ええと、間賀津まがつ四宮彦よみやひこが八ツ足様を討ち倒した。と、ここまでは良かったのですが」


 それにしても、英雄が呼び捨てでバケモノには様をつけるのは何とも奇妙な感じだが、おそらくそれは元凶が間賀津四宮彦その人だからなのかもしれない。


「妖力を帯びた化けグモは死してなお、その亡骸なきがらから瘴気しょうきを発し続け、集落の人々にわざわいもたらして生活をおびやかしたというんですね。そこで四宮彦は禁呪きんじゅ外法げほうを用いて八ツ足様の亡骸を封じたというわけです」


 話がだいぶオカルトじみてきているが大丈夫だろうか。言ってはなんだが、こんな馬鹿げた話を伝承と信じて熱っぽく語る真々白氏が恐ろしい。


「話のキモはこの禁呪の外法とやらなんですよ」


 そんな言葉は漫画や小説でしか見たことがない。私は真々白氏の声が聴こえるほうから顔を背けながら、暗いおかげでにやけた表情を見られなくてよかったと安堵した。


「まず四宮彦はですね、八ツ足様の強大な妖力を弱らせるために、その亡骸から脚をぎ取って胴体とバラバラに分けたそうなんですね」


 私はもう少しで吹き出してしまいそうになるのをどうにかこらえ、「へぇ、バラバラに」と震える声で真々白氏に調子を合わせた。


「あ、怖い話、苦手でした? それとも夏風邪ですか? ずっと鼻声のような」


 どうやら真々白氏は私が恐怖に震えたと勘違いしたらしい。鼻声なのは口だけで呼吸をしているせいである。臭み消しの強烈な消毒臭が湯から立ち昇っているはずだが、真々白氏はよく平気で話を続けられるものだ。


「いえ、大丈夫です」


「大丈夫ですか? 本当に恐ろしいのはこの後ですよ。神霊となった四宮彦には神通力じんつうりきが宿っていたらしいんですけど、さすがに八本もの脚と胴体を封じるまでの力はなかったそうで」


 真々白氏はそこで言葉を切り、「どうしたと思います?」と私に訊ねてきた。


「どうしたって、さあ? 火をつけて燃やしたとかですか?」


人柱ひとばしらですよ」


 生けにえというわけだ。いくらフィクションといえども気分のいい話ではないし、温泉に浸かりながら聴きたいものでもない。


「生気のみなぎる子供を八人、それぞれに八ツ足様の脚を抱かせて土中へ埋めたそうで。でもそれだと胴体が余ってしまいますよね? そこで四宮彦ですよ。彼は己の命と引き換えに、八ツ足様の胴体を黄泉よみの国へ持ち去ったとされているそうです」


「つまり、最後は四宮彦も人柱になった、ということですか?」


「さあ、それはどうなんでしょうね? タクシーの運転手は『黄泉の国へ持ち去った』と言っただけですから」


 どちらであっても私には関係のないことだ。ともかく、これでフウジの話も終わりだろう。残酷な内容ではあったが、この程度の物語であれば素人にだって思いつく。古くからの伝承などではなく、最近になって誰かが後付けで作った話だと言われたほうがまだ説得力がある。


「でもまあ、それでめでたし、めで」


「足らなかったらしいんです」


「え?」


「八人では足らなかったんですよ」


 人柱となった子供のことか。話の続きがあるのだとすれば、さらに人柱を増やしたといったところだろう。空想上の犠牲が増えて悲しさを感じなくとも、それは情緒に欠陥があるのではなく、単に私が物事を現実的にしか考えられないつまらない人間だというだけのことである。

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