episode8 花の季節

表と裏

 レーヴェン・ムートが、部隊を率いて“青の壁ブラウ・ヴァント”に入った。


 すでに、五日ほど前に、赤の国の軍隊と一戦交えてもいる。たった三百の兵を、さらに少し失っての入城であった。ただし、ポルトの敗残兵を数十名、引き連れている。


 ポルトの街を救うことはできなかったが、逃げる民と兵士を寡兵で守った。そのことは、すでに先遣された兵士たちから報告され、砦の全員が知っている。無論、ギルベルトも話だけは聞いているが、実際がどんな男たちなのかは、これからよく見定めなければならない、と思っていた。


 ギルベルトは、ファルクとともに、城門の近くにいた。義勇兵や傭兵、新規の部隊は、ここで誰何すいかされる。どんな兵士たちでも、そうだった。出自が言えない、身元を明らかにできない者は、さらに厳しく検問を受けるか、入城を認められない。戦中である。時間はかかるが、いま、この砦では必要なことだった。


「ノルンの元領主、レーヴェン・ムートであります。寡兵ではあるが、国のため戦うべく馳せ参じました」


 丁寧な物腰の、壮年の男。眼差しは強いが、どこか落ち着きを感じるものである。


「ファルク・メルケル。この城の指揮官コマンダント。これは、副官のギルベルト・ベルガー」


 ファルクが応える。ギルベルトがその傍で、胸に手を当てると、レーヴェンという男も一礼した。


「元、領主と仰ったな、レーヴェン殿。領地はいま、あるじが不在か?」


「息子に譲ったのですよ、ファルク殿。私はいま、ただの、ひとりの義兵。そう思っていただきたい」


 譲ったというが、戦に加わるために、領地を捨ててきたのと同じだ。珍しいことをする。思いながら、ギルベルトは男の双眸そうぼうを眺めていた。覚悟を決めてきた、ということなのだろう。


「義兵か」


「そう。ただ国のことを考える男です」


その言葉に、ファルクは口の端を歪める。ギルベルトからは、皮肉な笑みのように見えた。


「過去の武勇など、この城では意味を成さぬ。我らは、いまのおぬしの力を、求めている。どの程度のことを任せるかも、これから検討しよう」


 挨拶は、この程度だった。すべての兵が検問を終え、幕舎へと案内される。レーヴェンも、それに伴って立ち去った。


「それなりの覚悟は、決めてきたようですな」


「覚悟の問題ではない」


ファルクの言葉には、きっぱりとした調子があった。


「義勇の心で立ち上がった民は、あの男だけでなく他にもおりますが」


「心が重要か? 違う。戦の勝敗を決めるのは練度だ。その点で言えば、民兵というのは最も死に近い。あの男の部隊が何年調練をやってここに来たか、おまえは知っているのか?」


「軍人でも、死ぬときは死にますよ」


「その通り。しかし、生き延びる可能性だけを考えれば、民兵というのは軍人や傭兵団に劣る。そういうことだ」


ギルベルトは、思わず首を振った。ファルクはそれを見ていなかっただろうが、いつもの癖だ、という呆れにも近いものがあった。


「ラルフが死んだ。最期を見たのは、あの男らしい」


 この話はこれきりだというふうに、ファルクが呟いた。その報告も、ポルト陥落の報と同時に、この砦に届いていた。兵を逃がすために、数百の集団に一人で立ち向かったのだという。あの男らしい、とギルベルトは思った。戦うと決めたら、死ぬまでやる。そして、何人もの民と、兵士を救った。


「惜しい男を失った」


「それこそ、心の問題です」


「街のために死んだか」


「街のために死ぬのと、軍令のために死ぬのと、俺には同じように思えます。あんな男でも死ぬ時は死ぬ」


 そしてラルフをうしなったときが、ポルトの陥落するときであった。ギルベルトには、そんな気がした。


 執務室に戻ると、ファルクはいつものように、地図を見つめはじめた。隊長が各々、報告にやってくる。報告はギルベルトが受けているが、ファルクもすべて頭に入れているだろう。


 ポルトには、偵察の部隊を出している。街を占拠する敵軍の総数は、いま二万ほどに膨れ上がっているようだ。軍船の他に何艘も船が入港していて、人も物資も、次々と上陸しているのだという。


 一方で、敵国の国境近くの街、オルカンにも敵の兵が集結していた。こちらは、約一万といったところだ。さらに、“青の壁ブラウ・ヴァント”の攻囲から撤退した二万が加わっている。この軍の撤退はきわめて迅速で、ギルベルト達が街を焼くのとほとんど同時に、攻囲を解いていた。ギルベルトは、あの老練な将軍の顔を思い出していた。


「こちらが、おかの二万に注力している間に、海を渡ってくるとは」


「おまえの言っていた老兵とやら、遣手やりてであろうな。ほとんど兵を失わず、役割だけは果たして撤退したのだから」


 最初から、この砦を落とすつもりがないことは、うっすらと感じていた。しかし、その裏で一万以上の水軍を動かしているとは、思わなかった。ファルクは見抜いたが、昏睡状態に陥っていたために、後手に回りすぎた。


 いま、この“青の壁ブラウ・ヴァント”を攻めようとする敵はいない。しかし、オルカンの軍は今後も増員されるだろう。騎馬で一日ほどの距離に、三万以上の敵軍がある。ポルトに兵をすぐにでも向けたかったが、やすやすと動くわけにもいかなかった。


「街をとして、四日だ」


 またファルクが呟き始める。これは独り言だと分かっているので、ギルベルトは、ただ聞いているだけだ。


「速かった。その後の動きもそうだが、一日であのポルトをとしきった」


 ファルクの白い指が、東の沿岸と海とを行き来する。


「夜襲。内応。それを含めても、三日は持つと思っていたのだが。三日あれば、攻囲が解けてすぐに援軍を送ることもできた」


 ギルベルトは、ポルトの街を見たことはなかったが、小さな街ではないということくらいは、知っている。そして、水軍があることも知っていた。しかし、その水軍は瞬時に焼き払われ、おかの部隊もたった一晩で殲滅せんめつされたのだという。レーヴェン・ムートからの報告では、海を燃やし、空を照らすほどの炎であったという。


「船、いや、海が燃えるほどの炎か。なにがあったのだ」


 ふと、ポルトという街について、ラルフの言っていたことを、ギルベルトは思い出した。


「海の民を使ったのではないでしょうかね」


「民に、何ができると?」


「潮の流れを知り尽くしている漁師などがいれば、海を燃やすこともできる」


 燃やすものも、たとえば植物や魚から採った油なら、多くあるはずだ。漁民や農民は、そういうものを作ることには長けている。赤の国の軍や、こちらの軍の裏切り者に、与えられていたかもしれない。


「民が、おのれの街を焼くか」


「燃えたのは街ではなく、軍船ですよ、ファルク殿。まさか、この国の民すべてが、青竜軍アルメに従順だとお思いで?」


 ファルクは、苦い顔をした。これなのだ、とギルベルトは思った。兵法を極めたこの男の唯一の欠点は、戦において民の力が介入することに気が回らないところにある。民を敵と、あるいは味方と仮定すれば完全に策の中に組み込めるが、そうでなければ意識の外だ。おそらく育ちが良すぎるからなのだろう。少しずつ、柔らかく考えるようにはなってきたが、まだまだその名残はある。


「赤の国と繋がりのある者が、青竜軍アルメのなかにどれだけいるのか」


 ファルクは元の調子に戻って、地図の指を国境付近まで動かす。


「あぶり出しは、進んでいるか」


「ドロゼルが、やっていますがね。四名を処断し、あと十名ほど、目は付けていると」


 この砦の中でも、敵国の手の者や、裏切り者が出る可能性はある。大隊長オフィツィアドロゼル・ナハトが、それを見つける役目を与えられている。ファルクが提案したのだ。ドロゼルは数日で、四名の不審な者を見つけ出し、尋問まで行っていた。


「ドロゼルの隊を、どう見た、おまえ?」


 ファルクの眼が、地図から離れた。ギルベルトは、オルカンの街を焼いた夜のことを思い出していた。


「なかなかのものですよ、あれは。一千の埋伏を、難なくやってのけた。地から騎馬隊が湧いたのかと、思ったほどです。暗闇の中の行軍も、実に速かった」


 思ったままのことを述べると、ファルクは何度か頷いた。


「そのときのことなのですが。西の山を、ドロゼルの部隊を追って進んでいたときのことです。ファルク殿に、お話しておきたいことが、あるのですよ」


 言うべきか迷っていたが、ギルベルトは意を決して、あの夜に見たことを口に出した。


「俺たちは山中で、この世のものではないものと、出いました」


「おまえ、何を言い出すのだ、ギルベルト」


「見たのです、俺たちは」


 いつもなら、ファルクはこの手の話など相手にしない。しかしいまは、黙ってギルベルトの言葉を待っている。


「獣のようであり、人のようにも見えました。黒いもやのようであり、風のようでもありました。闇そのもののようでも」


「つまり、なんだ、それは?」


「人ではないもの。俺には、そう言うことしかできません」


 この指揮官コマンダントは、伝説も神話も、御伽噺も迷信も信じない。そんな相手に、自分が話していることが、滑稽こっけいにも思えた。


「ふざけているのでは、なさそうだな」


「俺も、この眼で見てしまったので。忘れろ、とは言いましたが、部下の中には、いまだに夢に見る者もいます」


「迷信など、私は信じぬ。神話など、人の創り出したものにすぎぬ」


 予想していた通りの答えを、ファルクは淡々と言った。


「しかし、そうも言っていられぬようだ」


 そう言うと、ファルクは自分の首筋を撫でた。


 その傷をつけた者もまた、人であり、人でないもののようだったのだ。ギルベルトは、ファルクの眼が微妙に揺れているのに気が付いた。


「ポルトの軍に、内通者。オルカンの軍、そして、黒い怪物。すべてをこの砦で相手にするのは、難しい」


 山積する問題を、ひとつずつ解決する。必要なのは、人だった。ときは待ってくれない。


 いわば、いまこの砦は、合計五万から六万ほどの軍を二面に相手取っているのだ。ポルトをられたことで、いつ挟撃されてもおかしくない形になった。しかし、すぐに動けないのは、赤の国も同じはずだった。ポルトは地理的に優れた場所だが、それでも滞留たいりゅうしているのは、二万である。


 青竜軍アルメは、この“青の壁ブラウ・ヴァント”だけにいるのではない。総兵力は、二十万を超えるのだ。


「やつらが動き出すのは、“火の季節ブレンネ”。この“花の季節ブルーメ”が終わる頃だ」


 かなりの確信を伴ったような、ファルクの言い方だった。


「差しあたって、ポルト奪回のための派兵を要請せねばならん。我らがポルトに兵を差し向ければ、オルカンから背後をかれる。それは、避けたい」


「“神都ブラウブルク”に、伝書を出しますか」


「いや、今度の場合は、伝書ではなく、人だ。つかいを出す」


 もはや、伝書などでは重大さが通じない、ということなのだろうか。ファルクの表情には、呆れもあった。これまでも神都しんとブラウブルクには、伝書で増員を要請してきた。不自然なくらいに、まったく反応がないのだ。この国難に際しても、同じように沈黙を貫くのだろうか。


「都へは、ドロゼルの隊を向かわせる」


 ギルベルトは舌を巻いた。戦時に、大隊長オフィツィアの一人を、この砦から離れさせようというのだ。派兵要請の使者にしては、大層なことのように思えた。通常、こういうことには文官が出るものだ。


「それから、おまえの隊からも、数名、選び出したい」


「俺の? なぜです」


「街に潜伏したろう。とくに変装が巧みな者や、人に取り入るのがうまい者を、選び出しておけ。できれば二十名ほど」


「何をされるおつもりですか、ファルク殿。さすがに、教えていただきたい」


 自分が育ててきた兵だ。無論、ファルクの考えに逆らうつもりなどないが、目的は、いておきたかった。ファルクは視線を地図に戻すと、静かに言った。


「ドロゼルには、いずれ、新たな部隊を率いさせたい」


 小さく、指揮官は息を吐いた。


「その部隊は、昼夜を問わず、街も原野も問わず、駆ける。人に紛れ、獣に紛れ、闇に紛れる。いないと思ったところから湧き、いると思ったところには影も残さない」


 それこそ、御伽噺のような話ではないか。ギルベルトは、思わず笑いそうになった。しかし、実現すれば。とてつもない兵士の集まる部隊ができ上がるのではないか。


「そんな兵たちに、何をさせるおつもりですか」


みやこのなかを、探らせたい」


 ファルクの指が、神都ブラウブルクを捉えた。“青の教会”の総本山、青竜軍アルメの本部と城がそびえる、この国最大の都市。


「私がみやこにいた頃――四年前には、地方からの派兵要請にも、まだ僅かながら対応をしておった。それが、この二年ほどは、まったく反応がない。この国境の砦で、この国難のときとあってもだ」


 口調には、苛立ちと怒りが混じっていた。


「なにか、あるのだ。ブラウブルクで、いま。我々のことなど気にも掛けられぬような、なにかが」


 指先に力が入って、白っぽくなっている。


「ドロゼルの部隊には、まず、都を探らせる。なんとしても、南に増援を出させる。それから、戦地のあらゆるところに向かわせる。騎馬や歩兵の戦が表だとすれば、この部隊は裏だ」


 なんとしても、赤の国の兵を国土から追いやる。ファルクは断言した。


「表には、私とおまえ。裏には、ドロゼル。両面から、この戦を制するのだ」

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