episode6 海が燃える

ポルト

 荒れた路面を進んだ。


 ポルトの青竜軍アルメが、数カ月に一度通る以外は、ほとんど使用しない道である。石があっても、草が方々ほうぼうに伸びていても、管理する者はいない。軍用の交通路で、それ以外は、誰も通らない。輜重しちょうが通れる幅さえあれば、多少、荒れていた方が都合がいいという面もある。


 隊は静かに進んでいる。荷駄にだの進む音くらいしかない。あとは、斥候せっこうが前方の安全を伝える声が、聞こえる程度である。鳥の鳴く声が、妙に大きく聞こえるほどだ。ラルフはそれで、あらためて静けさに気付き、驚く。しかし、部隊長の亡骸なきがらを運んでいるのだから、当然なのかもしれない、とも思った。


 国境の砦“青の壁ブラウ・ヴァント”。そこで、自分たちの指揮官コマンダントが殺害された。ハンス・ヴルストという、その指揮官のからだは、色を失っていま、荷駄の中に置かれている。


 自分が殺したようなものだ。ラルフの心中から、その考えだけは全く消えなかった。


 夜襲のあったとき、指揮官は二人いた。殺気を背後に感じ振り返ったときには、もうハンスの首から血が噴き出していたように思える。それとほとんど同時に、もう一人の指揮官コマンダントファルクに向かっていた刃を、剣で受け止めたのだ。不覚を取ったが、あれ以上速く反応することもできなかった。


 ただ、心のどこかに、護る人間を選んだのではないか、という疑念もあった。自分に対する、疑念である。ほんとうに、ハンスを護ることは、できなかったのか。剣が振るわれたのが同時だったのなら、自分が、どちらの首を護るかを選んだのではないか。


 日が経てば経つほど、その疑念は何度も浮かぶようになった。指揮官の亡骸を車に載せるとき、その眼が自分を訴えているような感じすらした。


 亡骸なきがらは家族のもとに返す。そのとき、自分は何を言えばいいのか。何を言っても、ゆるされないような気がした。


 暖かい風が吹いて、ラルフは一度考えをめる。慣れた風である。海から吹く風。もう、東の海が近いことを感じさせた。大陸の東側、この海岸線をもう少し行けば、ポルトの街である。


 断崖地帯を抜け、一気に視界がひらける。水平線が目の前にある。薄い空の青と、濃い海の青がぶつかり合う風景。晴れた空が、わずかにラルフの心を軽くする。


 ポルトではないが、同じような海沿いの街の出身である。自分にとっての“青い壁”は、この海と空だった。仕官し、軍に身を置いてからも、海の見えるところでいれば、自然と心は落ち着いた。


 坂を下ったところに、広く、休めるところがある。ラルフはそこで、部隊に休息を命じた。ハンスのいない今、全体の指揮をっているのは、自分である。副官として、その務めくらいは果たさなければならない、と思っていた。


 朝から休みなく駆け続けてきたおかげで、全体の行軍は非常に速い。ここで少し休んでも、夕暮れのころには、ポルトに帰投できる。兵たちには、さすがに疲れが見えていた。口には出さないが、不満そうな者がいるのも、見て分かった。ラルフは、思わず溜息が出た。こんな兵に命を預けるのか。南の砦で、大隊長オフィツィアギルベルトに言われたことを思い出す。


 少し高いところにある岩の上に、腰を下ろした。肌は陽に焼けて黒くなっている。海の照り返す光と、風のせいだ。幼いときから、こうして海を眺めているのが好きだった。父は軍人で、自分もそうなるのだと疑うことなく育ってきた。実際、父が退役するのと時を同じくして、自分が青の軍服に身を通している。ポルトに赴任したのは、二年前だ。


 二年で自分にできたことといえば、気概のあるほんの数十人を、並の兵より強く育てたくらいである。彼らは、他の兵と違って、今ももう進発の準備にかかっている。ほかは、ギルベルトの言う通り、戦では使いものにならない。そんなことは、ラルフもよく分かっていた。


 北と東を海、南と西を断崖に囲まれたポルトの街には、外敵らしい外敵は現れたことがない。軍の仕事といえば、民のいさかいを収める程度のことである。それでは、兵が強くなることはないのだ。


 ラルフはひとつ大きく息を吐き、立ち上がった。兵たちの所に向かう。部隊は、もう整列していた。疲れた表情である。自分の鍛えた兵だけが、先頭で表情を変えずに立っている。こういう兵士を増やすことが、今の自分にできる唯一のことだ、と思い直した。


 軍のすべてを、一度に変えることはできなくても、少しずつ変えていけばいい。指揮官コマンダント亡き今、自分がそれをするしかない。ポルトにいる上官は、いずれも兵士を鍛えるということなどには関心がない。下にいる自分のような者だけは、気持ちを失ってはならないのだ。


 進発した。遅れそうなものは、叱咤しったした。口数が多い方ではないし、言葉で何かを伝えるのは、苦手だ。慣れないが、これも必要なことだ、と思った。


 想定していた通り、夕暮れの前には、街に到着した。港に面した軍営に向かう。兵たちにそれぞれの役目を伝え、ラルフは指揮官コマンダントのための執務室に向かった。部屋の鍵は開いている。入ると、すでに人が中にいた。ひょろりとした、背の高い男だ。一礼すると、男は薄く笑って返事をした。


「ずいぶんと、早く戻ったのだな、小隊長カピタンラルフ」


 ここは指揮官コマンダントのための部屋だ。真先まっさきにそう言いかけた。


大隊長オフィツィアリューゲン殿」


「ハンス殿のことは、惜しかった」


「私が、護らねばなりませんでした。どのような罰でも、受ける覚悟でおります」


 リューゲンは、ラルフの言葉に首を振った。


「おぬしの剣の腕は、私もよく知っている。それでも護れなかったことを、責めはせぬ」


 肩に手が置かれる。ラルフは、死んだ指揮官コマンダントよりも、この男のほうが好きになれなかった。大隊長オフィツィアリューゲン。いつも笑みを浮かべているが、なぜか明るさを感じない男だった。中年で、ポルトでの務めも長い。生まれは、北のほうだということだった。


「ハンス殿の御躰おからだを、届けて参ります」


 報告を終えると、ラルフはすぐに退室しようとした。あまり、長く話している気にならない。リューゲンも、任せた、と言うだけである。遺族の者には、すでに報せが届いているという。自分が遺骸を届けることも了承済みで、ラルフのことを責める言葉もなかったらしい。それでも、気は重いままだった。


「後任は、決まっているのですか?」


 退室する直前、ラルフは気にかかっていることをリューゲンに尋ねた。


「後任?」


「ハンス殿のあとでございます。大隊長殿が、継がれるのですか」


 何気ない、質問だった。指揮官がいなくなったからには、後任を探さなければならないだろう、と思っていたからだ。


「まあ、そうなるだろうな」


 リューゲンの返事は、曖昧あいまいだった。眼は、どこか、違うところを見ている。階級からいえば、この男が後任になるはずだ。それは臨時であって、いずれは北から別の指揮官が寄越されるのかもしれないが、すぐにというわけにもいかないだろう。思ったことを言っただけだが、その反応が、ラルフは気になった。後任の話が、出ていないわけがない。なぜ、その程度の反応なのか。


 もう少し尋ねようか迷ったが、結局、ラルフは何も訊かず退室した。どうせ、しばらくの間は、リューゲンが指揮官を代行するのだろう。別に、それで困ることはない。自分のすることに変わりはないのだ。


 軍営から、聞いていたハンスの屋敷に向かった。数名の兵士が、遺骸を載せた車をく。家族は、奥方と娘がひとりだけであったという。夫を亡くした女の気持ちを、ラルフはふと考えた。何を言われても、自分にはびることしかできないだろう。それが、辛かった。


 浜の近くを歩いた。このくらいの時間であれば、魚を獲る者がいるはずだが、今日は姿が見えなかった。舟が浜に上げられている。釣りをしている者もいない。代わりに、数名の兵士が浜からこちらに歩いてきていた。ラルフの姿を認めると、一瞬、からだを硬直させ、慌てて頭を下げる。巡回の者か、とラルフはなんとなく考えた。


 漁師たちは、浜から離れたところでたむろしている。顔を知っている者ばかりだが、ラルフ達が通ると、声をひそめた。


「漁には、出なかったのか?」


 尋ねたが、男たちはあまり答えようとしなかった。今日は潮が悪くてほとんど獲れなかった、だから早く引き上げたのだという。繕ったような笑顔だ。日頃はもう少し、言葉を交わしている者たちである。付き合いは悪くない、とラルフは思っていた。


「一番のお偉い方が亡くなったってのは、本当ですかい、軍人さん」


 違和感を覚えていると、漁師の一人がそういてきた。視線は、兵士のいている車に向けられている。ラルフは頷いた。隠すことでもない。


「俺たちの魚は、またもとの値で買ってもらえるようになるんですか」


 そういうことか、とラルフは苦い気持きもちになった。


 ハンスがこの街を変えたことは、誰もがよく知っている。治安を取り戻し、ただの漁村だったところに商人を呼び込んだ。外敵の少ない地理的な利点を生かして、流通の拠点にしようとしたのだ。数年かけて、その目論見もくろみは、おおむね上手くいっている。港は大きく整備され、商いと交易が盛んになったのだ。軍が治安を維持するため幾分か金を取っているが、商人たちからしても、それに見合うだけの儲けはあるらしかった。


 ただ一方で、漁師たちのあいだに不満が溜まっているのも、たしかだ。漁で得たものを、軍と結託した商人が安く買い叩くようになってからである。経済の中心が漁業でなくとも成り立つ仕組みを、ハンスが作ってしまった。軍人の中には、賄賂わいろを受け取って、商人からの税を無いも同然にする者もいる。そのくせ、それ以外の税は引き下げず取り続けているのだ。不満は、当然だった。


 結局、ハンスは、商人には優しかったが、もともとの住民であった漁民には厳しすぎたのだ。くすぶりり続けているものが、何かの形で出てこないか、ラルフはいつも気になっていた。この男たちは、ハンスがいなくなったことで、もとの生活に戻ることを期待しているのかもしれない。


「商いのことは、今はなんとも言えぬ。おまえたちの苦労は解っているが」


 ラルフ自身は、賄賂を受けたこともないし、受け取った軍人をたしなめることもある。自分も、海の街の出身として、民の暮らしは解っているつもりだった。


 男たちはその答えに何も答えず、視線を逸らした。理解はされない。それは、お互いが思っているのかもしれなかった。それ以上言葉が見つからず、ラルフはその場を後にした。


 ハンスの屋敷の前に着く。すでに、奥方らしき女性が、待っていた。ラルフが目を伏せて一礼すると、ゆっくりと同じように頭を下げる。荷駄にだの布を解き、ひつぎを降ろす。


青竜軍アルメ指揮官コマンダント、ハンス・ヴルスト殿であります」


 ラルフが告げると、奥方が棺に飛びつくようにして近寄った。ふたを開け、何かを語りかけている。しかし、嗚咽おえつも混ざり、何を言っているのかは、よく分からなかった。胸の奥が締め付けられるような心持がした。


「主人の、最期は。軍人として、死ねたのですか」


 ラルフは、言葉に詰まった。背後から首をかれた、とは言えなかった。


「剣を持ち、勇敢に闘い、亡くなられました」


「そうですか」


 奥方が、震える手で、ハンスの亡骸を撫でていた。これでいいのだ、とラルフは自分に言い聞かせた。あとは、なるべく平坦な声で、今後のことを確認する。埋葬は、青の教会が行うという。軍での葬儀は済ませている。その後をどうするかは、遺族の決めることだった。


 ラルフと部下は、屋敷を後にする。奥方は、棺から離れなかった。最後まで、自分たちへの恨み言のひとつも、言わない女性だった。


「責めてくれたほうが、有難いのだがな」


 誰にともなく、ラルフは呟いた。兵たちが何か返事をした気がするが、あまり耳には残らなかった。


 すでに陽は海に沈んで、あとの僅かな光を空に残していた。人の姿は、街中からほとんど無くなっている。先刻の漁師たちも、姿を消していた。ふと気になって、港のほうに向かった。船らしきものはなく、すべて引き上げられている。軍船だけが停泊している。有事にのみいかりが上げられるから、動きはしない。ただ、商隊の船らしきものも、一せきも停まっていないのは、最近ではあまり見ないことだった。


 軍営に戻る。ちょうど、夜警の兵が出て行くところだった。そのほかの兵は、兵舎に戻ったらしい。大隊長オフィツィアリューゲンが、ラルフが戻ったのを見て、歩み寄ってきた。


「船の数が、少ないようですが。なにかあったのでしょうか、大隊長殿」


「どういうことかな」


「漁船も早く引き上げているようでしたし、商船も今日は一せきもありませんでした」


「潮が悪いのではないか?」


 漁民と同じことを、リューゲンが言った。この男も、気にしていたのだろうか。


「巡回の兵が、浜まで行っていましたが、あれは大隊長殿の指示だったのですか」


「おお、そうだ。おぬしと同じように、私も気になったのでな。様子を見に行かせたのだが、とくに変わったことはなかったようだ」


 リューゲンは何でもないことのように言う。兵舎に戻る前に、もう一度巡回をしておくべきかもしれない、とラルフは思った。遺骸を届けた旨だけを報告し、軍営を後にする。リューゲンは、まだやることがあるのだと言って戻っていった。


 なにか、拭えないものが心の中にある。街全体から、変な感じがするのだ。ラルフは足早に街を見て回った。夜警の兵が同じように巡回しているくらいで、あとは何もない。何もないことが、またラルフの疑念を強くする。十日ほど前に街を出たときには感じなかったものを、自分は感じている。その感覚を、ラルフは信じた。


 かがりの焚かれた、街の外れまで歩いた。耳を澄ませる。なにか、潮の音以外のものが聞こえる。馬蹄ばていの音だ、ということに気付いたとき、ラルフは剣を抜いていた。音が、近づいてくる。陽はもう沈みきっている。闇の中、音のほうを見た。


 一騎、こちらにけてきている。


「止まれ」


 ラルフが声を上げると、相手は速度を緩めて近づいてくる。


「“青の壁ブラウ・ヴァント”から参った者です。小隊長カピタンラルフ殿ですな」


 男が馬から下りる。身に付けている甲冑は、青竜軍アルメのものだった。馬の荒い息遣いが聞こえる。警戒するラルフをよそに、男は懐から紙を取り出した。男も、息が荒い。


指揮官コマンダントファルク殿より、言伝にございます」


 ラルフは、男の差し出した文書を広げる。かがりの灯で照らした。書面は、短いものだった。


「南にて開戦。東の海より敵襲の可能性。内通者に注意されたし」


 同じ内容を、“青の壁ブラウ・ヴァント”からの兵士が復唱する。ラルフは、自分の眼と耳を疑った。


 しかしその直後、ラルフの中で、何かが繋がった。今まで拭えなかったものの正体が、突如として頭をもたげる。


 ばかな、と思った。海を見た。目を凝らした。


 海は夜の中、真黒まっくろだった。その上。黒く、小さい影がいくつもある。あまりに多いその数に、言葉を失った。ラルフは次の瞬間には、駆け出していた。


 船だ。信じたくないが、ラルフは眼を離さなかった。あれはすべて、船だ。


 赤の国の船が、やってくる。

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