なにが生と死を分けたのか

 力は、からだの中でみなぎっているように感じた。


 しかし、立ち上がれない。上体を起こすことはできたが、背中には、まだ誰かの手が添えられていた。気付けば、鎧を身に付けた男たちが、辺りを走り回っている。自分の手当てをしているのは、そのうちの一人らしかった。


 右腕に添木そえぎが巻かれるのを、レオンは黙って見つめていた。自分の腕ではないような感じがする。頭の中も、感覚もぼうっとしている。血止めの巻かれた左腕も、同じだった。水を与えられ、それを少しずつ飲んだ。ハイネは、傍で俯いている。小さく、何事かを呟き続けていた。


 銀の娘。街にいる。死。何人も死んだ。青竜軍アルメ。戻らねば。


 断片的な思考が不意に立ち昇っては消えていく。微睡まどろんでいるときの感覚にも似ていて、からだには熱さだけがある。その熱で、からだを動かせそうにも思えた。


 立ち上がろうとした。脚は、無事なのだ。しかし、なぜか力が入らず、曲げることも、ひどくゆっくりとせねばならない。傍のハイネが、信じられないようなものでも見るような目で見た。動くな、と肩を押さえられる。振り払った。


「死んだ者たちのところへ。それから、街に戻る」


青竜軍アルメの兵が、あんたを運んでくれる。今は動くな」


 そんなものを、待ってはいられなかった。自分とともに戦って、死んだ者がいるのだ。自分の脚で顔を見に行きたかった。街にも、自分で戻る。仲間を連れて戻り、獣どもを追い払い、あの男を殺す。亡骸なきがらは家に返し、弔いも行う。そんなこともできずに、なにが領主レンスヘルか。なにが警備団長か。レオンは、左手をついて、また立ち上がろうとした。しかし、誰かがそれを押さえつける。頭がひどく痛んで、視界が白っぽくなる。気付けば、また同じところに寝かされていた。


「頼むよ、レオン。言うことを聞いてくれ」


 ハイネの声は、懇願するような調子すらあった。


「見せてやればいい」


 サントンが、いつの間にか傍らに立っていた。生きていたのだ。レオンはその顔を見て、僅かな安堵を覚えた。


「サントン、おまえ」


「見せてやればいいではないか、ハイネ。俺たちは、死んだ者と見つめ合わなければならない」


 強い言葉に比べ、声の調子は弱い。眼にも生気がなかった。大きな体躯たいくが、なぜかいまは、大きく見えない。これまでで、初めて見る顔をしていた。血を浴び、負傷もしているようだが、それが原因ではなさそうである。なにがそうさせるのか、レオンには分かるような気がした。


 脇の下から、サントンの腕が自分を支え、引き起こされた。気付けば、青竜軍アルメの兵士は周囲からいなくなっている。木々の向こうに声が聞こえる。声の方に、三人で歩いていく。


 月明かりがある。小さな灯もそこかしこに焚かれていて、森は仄暗い闇で覆われているようだった。人影が動き回っている。見慣れた着装のからだが転がっているのが映った。


「猟師のアレン。俺の親父と、仕事をしていた」


 その屍体したいを見つめ、サントンが呟いた。言われるまでもなく、レオンも知っている顔と名だった。


 歩いた。また、サントンが立ち止まる。屍体したいがある。


「トール。頭のいいやつだったのに。馬の医者がいなくなるな」


 サントンの声は、ただ小さく森に消えていく。


 畑を耕していた者。木をっていた者。塾の教師。医者の見習い。鍛冶屋の息子。


 顔を見れば、名も仕事も浮かぶ者ばかりだった。眼は開かれたままで、もう、息はしていない。血にまみれ、色を失ったからだばかりである。そのひとつひとつが、自分を見ている気がした。レオンは心の中で、び続けた。そうしたところで生命いのちは戻らないのは、分かっている。


 あるからだの前に、サントンが立ち尽くしていた。からだはふたつあって、そっくりな顔をしていた。誰が目蓋まぶたを閉じたのか、同じ顔で眠っている。兄弟だった。レオンは彼の横で、屍体したいとなったマルセルと、マルコの横にひざまずいた。


「俺のせいなのだ、レオン」


 ハイネが、初めて声を大きくした。


「弓に矢を、つがえようとした。剣でよかったのに。前に出るのがいやで、弓を持ったんだ。矢を抜いたら、目の前にあの化物ばけものがいた。マルセルが、俺の前で、やられた。俺をかばったんだ。マルコがそれに駆け寄って、闘っていた。矢を放ったらマルコに当たると思った。そうしていたら、二人とも」


 矢継ぎ早に言葉を重ねるハイネの声が、やけに甲高かんだかかった。それから嗚咽の声が聞こえた。


「俺が死ねばよかったのだ。臆病者のくせに、生き残ってしまった」


 彼が涙を流しているのは、見上げずともわかった。レオンも泣いていた。泣く資格などない、と思っても、涙は出ていた。何年も、ともに暮らした双子だ。ともに飯を食ったこともあったし、父の調練で苦しい思いを吐露しあったこともあった。


 すまない。冷たいからだに触れて、言い続けた。俺についてきたばかりに、死ぬことになった。命を預けられたのに、守ってやれなかった。


「レオン。マルセルもマルコも、勇敢に戦って死んだ。俺たちは、なぜ生きているんだろうな」


 サントンの躰が震えている。しかし、獣をここまで追う判断をしたのは、自分だ。何人であろうと、その死の責任は、自分にあるはずだ。副官のサントンにあるわけではない。


 なぜ自分が生き残り、この二人が死んだのか。レオンも考えた。サントンも、ハイネも、同じことを考えているのだろう。勇敢だから、死んだのか。弱いから、死んだのか。生き残った自分たちは、なんなのか。責任などと、言葉ではいくらでも言えるが、それを背負って、何ができるというのか。


 レオンには、わからない。ただ、涙は拭った。左手が、血にまみれている。痛みもある。自分は、生きている。


「俺は、街に戻る。戻って、街のために闘わねば、死んだ者に示しがつかない」


 後で、どんな罰でも受け入れるつもりだった。ただ今は、これ以上、死なせないことだ。自分にできるのは、それしかない。


「街だと」


「やつは、銀の娘、と言った」


 それが何を指しているか、サントンもハイネも察したようだった。


「しかし、おまえは、その怪我で」


「怪我など、なんだ。生きている限り、闘わねば」


 肩を、誰かに叩かれた。青竜軍アルメの小隊長、アルサスだった。背後には幾人もの甲冑を付けた男たちが控えている。


 彼らは、周囲の捜索を続け、あの男と獣を追っていたらしい。けば、街道の警邏けいら中、レオンとサントンも発見した屍体したいを見つけたのだという。偶然としか、言いようがなかった。その偶然で、自分たちは生き残ったのだろうか。


「レオン殿。生きている者もいる。彼らのことは、おぬしらに任せたい」


「無論です、小隊長殿。われらの命を、救っていただいた」


「あれが何か、レオン殿はご存知か」


「わかりません。しかし、まだ生きている。そして、街に向かったはずだ。私たちは、戻ります」


「そのからだで、か」


「行かねばならないのですよ、小隊長殿」


 アルサスが、思案する様子で、腕を組んだ。苛立っているかのように、指を叩いている。


「私は、ある任務を軍から命じられている。あの黒い化物ばけものどもを、追わねばならんのだ。ここで遭遇したのは、好機としか言えぬ。ノルンにあれらが向かうというのなら、我らも参ろう」


 アルサスは、もう決めてしまったようだ。すばやく、兵に指示を出している。そういえば、この軍人は、どこで自分のことを知ったのか。名を、はじめから知っているようだった。


「私のことを、どこかで?」


「憶えておられぬか。昨年、おぬしの父上、レーヴェン・ムート殿を訪ねたことがあったのだが。私は、指揮官コマンダントベイルの、副官だ」


 そう言われて記憶を辿ろうとしたが、今はできそうになかった。熱が思考の邪魔をする。ときどき視界が白っぽくなるのを、なんとか振り払う。血を流しすぎたのかもしれない。隣に立つハイネが声を掛けてくるが、それもほとんど頭に残らない。


「しかし、レオン殿。ノルンにあの獣どもが向かうと、なぜわかるのだ?」


 それも、うまく言葉にできなかった。銀の娘という、その言葉だけで、自分にとっては十分だ。しかし青竜軍アルメには、それを言ったところで伝わらない。結局、要領を得ない答えしか、返せなかった。アルサスは、いぶかしげな表情だったが、それ以上はいてこない。


「我らも警邏けいらの途中であったため、数は多くない。寡兵だが」


「恩に着ます、小隊長カピタンアルサス」


「なに、恩に着ることなどない。先刻も申したが、仕事なのでな」


 山を下り、集落で繋がれたままの馬のところへ戻った。ここに馬をめたのが、今日の夕刻である。それが、信じられない思いだった。もう、ずっと昔のような気がする。警備兵団をここまで馬で率いてきたのも、マルセル、マルコの双子の兄弟だったのだ。もう、二人の馬に、乗る者はいない。


 レオンは自分の馬を見つけ、あぶみに足を掛ける。


 次の瞬間、レオンの視界が暗くなり、気付いたときには仰向けに倒れていた。男たちが駆け寄ってくる。視界が歪み、それが誰なのか分からない。瞬きをする。サントンだった。また、その輪郭がぼやける。なぜ倒れているのか、自分では理解できなかった。


「だめだ。血を失いすぎている」


 誰かの声が聞こえる。あれだけ熱を感じていたのに、今は寒かった。いや、熱いのか。自分の息は、熱を持っている。思考が途切れる。また、眼を閉じそうになる。だめだ、と思った。サントン。ハイネ。呼びかけた。頬を、叩かれた気がした。何度か、それが続く。目の前に、知らない男がいる。小隊長か。


「レオン殿」


 アルサスが、必死の形相で自分を見つめていた。


「このままでは、おぬしは死ぬ。ハイデルの軍医なら、なんとかできるかもしれん。部下が、ハイデルまでお主を運ぶ」


 レオンは、かぶりを振った。頭を動かせたかは、わからない。少なくとも、自分ではそうしたつもりだった。


「しかし、街が」


 それを口にするのが、やっとだった。


「街には、俺が行く。ハイネも行く」


 サントンか。自分を、見下ろしている。からだを、持ち上げられた。それは、サントンでも、ハイネでもなかった。馬に乗らねば、と思った。街まで駈けて、妹と街を護るのだ。なぜ、俺は倒れている。なにかが、からだに巻かれている。振りほどこうとした。腕が動かない。そういえば、折れているのだ、と思い出した。


「おい、死ぬなよ、レオン。リオーネも、街も、必ず護るから、死ぬな」


 誰かの声が聞こえた。死なない。死んでたまるか。俺を連れていけ。レオンは返事をした。声を出したつもりだった。


 何かが遠ざかっていく。馬のようにも見える。


 そして、何も見えなくなった。




(風の吹いた痕  了)

(PART2 に続く)

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