なにが生と死を分けたのか
力は、
しかし、立ち上がれない。上体を起こすことはできたが、背中には、まだ誰かの手が添えられていた。気付けば、鎧を身に付けた男たちが、辺りを走り回っている。自分の手当てをしているのは、そのうちの一人らしかった。
右腕に
銀の娘。街にいる。死。何人も死んだ。
断片的な思考が不意に立ち昇っては消えていく。
立ち上がろうとした。脚は、無事なのだ。しかし、なぜか力が入らず、曲げることも、ひどくゆっくりとせねばならない。傍のハイネが、信じられないようなものでも見るような目で見た。動くな、と肩を押さえられる。振り払った。
「死んだ者たちのところへ。それから、街に戻る」
「
そんなものを、待ってはいられなかった。自分とともに戦って、死んだ者がいるのだ。自分の脚で顔を見に行きたかった。街にも、自分で戻る。仲間を連れて戻り、獣どもを追い払い、あの男を殺す。
「頼むよ、レオン。言うことを聞いてくれ」
ハイネの声は、懇願するような調子すらあった。
「見せてやればいい」
サントンが、いつの間にか傍らに立っていた。生きていたのだ。レオンはその顔を見て、僅かな安堵を覚えた。
「サントン、おまえ」
「見せてやればいいではないか、ハイネ。俺たちは、死んだ者と見つめ合わなければならない」
強い言葉に比べ、声の調子は弱い。眼にも生気がなかった。大きな
脇の下から、サントンの腕が自分を支え、引き起こされた。気付けば、
月明かりがある。小さな灯もそこかしこに焚かれていて、森は仄暗い闇で覆われているようだった。人影が動き回っている。見慣れた着装の
「猟師のアレン。俺の親父と、仕事をしていた」
その
歩いた。また、サントンが立ち止まる。
「トール。頭のいいやつだったのに。馬の医者がいなくなるな」
サントンの声は、ただ小さく森に消えていく。
畑を耕していた者。木を
顔を見れば、名も仕事も浮かぶ者ばかりだった。眼は開かれたままで、もう、息はしていない。血に
ある
「俺のせいなのだ、レオン」
ハイネが、初めて声を大きくした。
「弓に矢を、
矢継ぎ早に言葉を重ねるハイネの声が、やけに
「俺が死ねばよかったのだ。臆病者のくせに、生き残ってしまった」
彼が涙を流しているのは、見上げずともわかった。レオンも泣いていた。泣く資格などない、と思っても、涙は出ていた。何年も、ともに暮らした双子だ。ともに飯を食ったこともあったし、父の調練で苦しい思いを吐露しあったこともあった。
すまない。冷たい
「レオン。マルセルもマルコも、勇敢に戦って死んだ。俺たちは、なぜ生きているんだろうな」
サントンの躰が震えている。しかし、獣をここまで追う判断をしたのは、自分だ。何人であろうと、その死の責任は、自分にあるはずだ。副官のサントンにあるわけではない。
なぜ自分が生き残り、この二人が死んだのか。レオンも考えた。サントンも、ハイネも、同じことを考えているのだろう。勇敢だから、死んだのか。弱いから、死んだのか。生き残った自分たちは、なんなのか。責任などと、言葉ではいくらでも言えるが、それを背負って、何ができるというのか。
レオンには、わからない。ただ、涙は拭った。左手が、血に
「俺は、街に戻る。戻って、街のために闘わねば、死んだ者に示しがつかない」
後で、どんな罰でも受け入れるつもりだった。ただ今は、これ以上、死なせないことだ。自分にできるのは、それしかない。
「街だと」
「やつは、銀の娘、と言った」
それが何を指しているか、サントンもハイネも察したようだった。
「しかし、おまえは、その怪我で」
「怪我など、なんだ。生きている限り、闘わねば」
肩を、誰かに叩かれた。
彼らは、周囲の捜索を続け、あの男と獣を追っていたらしい。
「レオン殿。生きている者もいる。彼らのことは、おぬしらに任せたい」
「無論です、小隊長殿。われらの命を、救っていただいた」
「あれが何か、レオン殿はご存知か」
「わかりません。しかし、まだ生きている。そして、街に向かったはずだ。私たちは、戻ります」
「その
「行かねばならないのですよ、小隊長殿」
アルサスが、思案する様子で、腕を組んだ。苛立っているかのように、指を叩いている。
「私は、ある任務を軍から命じられている。あの黒い
アルサスは、もう決めてしまったようだ。すばやく、兵に指示を出している。そういえば、この軍人は、どこで自分のことを知ったのか。名を、はじめから知っているようだった。
「私のことを、どこかで?」
「憶えておられぬか。昨年、おぬしの父上、レーヴェン・ムート殿を訪ねたことがあったのだが。私は、
そう言われて記憶を辿ろうとしたが、今はできそうになかった。熱が思考の邪魔をする。ときどき視界が白っぽくなるのを、なんとか振り払う。血を流しすぎたのかもしれない。隣に立つハイネが声を掛けてくるが、それもほとんど頭に残らない。
「しかし、レオン殿。ノルンにあの獣どもが向かうと、なぜわかるのだ?」
それも、うまく言葉にできなかった。銀の娘という、その言葉だけで、自分にとっては十分だ。しかし
「我らも
「恩に着ます、
「なに、恩に着ることなどない。先刻も申したが、仕事なのでな」
山を下り、集落で繋がれたままの馬のところへ戻った。ここに馬を
レオンは自分の馬を見つけ、
次の瞬間、レオンの視界が暗くなり、気付いたときには仰向けに倒れていた。男たちが駆け寄ってくる。視界が歪み、それが誰なのか分からない。瞬きをする。サントンだった。また、その輪郭がぼやける。なぜ倒れているのか、自分では理解できなかった。
「だめだ。血を失いすぎている」
誰かの声が聞こえる。あれだけ熱を感じていたのに、今は寒かった。いや、熱いのか。自分の息は、熱を持っている。思考が途切れる。また、眼を閉じそうになる。だめだ、と思った。サントン。ハイネ。呼びかけた。頬を、叩かれた気がした。何度か、それが続く。目の前に、知らない男がいる。小隊長か。
「レオン殿」
アルサスが、必死の形相で自分を見つめていた。
「このままでは、おぬしは死ぬ。ハイデルの軍医なら、なんとかできるかもしれん。部下が、ハイデルまでお主を運ぶ」
レオンは、
「しかし、街が」
それを口にするのが、やっとだった。
「街には、俺が行く。ハイネも行く」
サントンか。自分を、見下ろしている。
「おい、死ぬなよ、レオン。リオーネも、街も、必ず護るから、死ぬな」
誰かの声が聞こえた。死なない。死んでたまるか。俺を連れていけ。レオンは返事をした。声を出したつもりだった。
何かが遠ざかっていく。馬のようにも見える。
そして、何も見えなくなった。
(風の吹いた痕 了)
(PART2 に続く)
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