第73話「駄目だな。いきなり正気を失った」
聖竜領の職業比率でメイドがいちやくトップに躍り出た。いや、エルフの大半が農家であるとすれば農家が一番なのだろうか?
どちらにしろ人間が暮らす聖竜領の屋敷周辺でメイドの数が激増したのは確かだ。
八名の『リーラお姉様親衛隊』はそれぞれ部屋を割り当てられた後、翌日から仕事にかかった。
まずは屋敷の掃除だ。領主の屋敷は大きな建物に対して使用していた部分が少なかった。
部屋なんて三分の一も使っていない。リーラを中心にメイド達は使っていない部分も含めて丹念に掃除した。二日がかりで。
屋敷の掃除が終わった後、人員の配置が行われた。
まず、ダン夫妻の経営する宿屋に二名。トゥルーズの厨房に一名。サンドラのサポートに一名。残り四名はリーラと共に屋敷を維持管理しつつ、人手が足りない箇所へ助けに入ることになる。
今は手が空いたら農業の手伝いなんかをしているが、これから来客が増えれば宿屋や厨房の仕事が増えて忙しく働くだろう。
今回のメイド達の加入は思った以上に聖竜領に変化をもたらした。
まず、リーラがサンドラの側にいないことが増えた。メイド達の特性を把握するために彼女は忙しそうに聖竜領内を走り回っている。
「これは新鮮な光景だな」
「見世物じゃないのだけれど。気持ちはわかるけれどね」
俺は屋敷の執務室内で書類仕事をするサンドラと話していた。
当然ながらリーラはいない。さっき宿屋に向かうのとすれ違った。
「仕事の方は大丈夫なのか? 思ったよりも早く事務仕事に入ったようだが」
「大丈夫よ。ちゃんと人を配置してくれたから」
書類を見ながらサンドラが部屋の片隅に置かれた机に向かうメイドを指し示す。
そこでは身体の小さな眼鏡でおさげのメイドが黙々と書類を整理していた。
メイドは一瞬だけこちらを向くとぺこりとお辞儀をして作業に戻る。
仕事熱心な上に無口な彼女はリーラがサンドラの秘書として配置した人材だ。
「メイド達が来てリーラ殿の仕事が減るかと思ったんですが、案外そうでもなかったのが驚きです」
そう言ってきたのはサンドラの近くに立っていたマイアだった。
リーラがメイド長としての仕事を始めてから彼女がサンドラの護衛として付き従っている
「マイアはいいのか? 護衛をしているとルゼと探検に出れないだろう?」
聖竜領に来てからのマイアは、修行を兼ねてエルフのルゼとそこら中を探検していた。彼女の目的に沿ったものだし、地図作りなのも頼んでいたので問題ないのだが、護衛の仕事をするとそちらに手を出せない。
「構いません。春になるとルゼが忙しくなってしまい、出かけられなくなるのはわかっていましたから。それに、私も自分向きの仕事を与えられるのは有り難いです」
こと戦闘に関してマイアの能力はリーラを上回っている。魔物退治など突発的な事態がない限りは護衛の仕事が適任だろう。
「本当はわたしとマイアも畑仕事をしたいのだけれど、こう忙しいとね。クアリアから受け入れる農家とか職人とか、あと東都からも色々来るし、西側の開墾もあるし、南も……」
書類にサインをしているサンドラの顔がどんどん険しくなってきた。
「大丈夫か? なんなら俺も手伝うが」
「ここは平気よ。実際、メイド達が来てくれたので助かったわ。ダン夫妻に手伝って貰っていた計算もやってくれるし、リーラ一人でこの屋敷の面倒を見るのは無茶だったしね」
その通りだ。宿屋も屋敷の厨房も人手不足が一挙に解消した。リーラには悪いが聖竜領にとっては大きな援軍だ。
「ここはいいなら俺は外で何か手伝ってこよう。邪魔したな」
俺は一日一回は執務室を訪れるようにしている。リーラから「お嬢様の様子を見てください」と頼まれたのもあるし、個人的に心配なのもある。昨年、サンドラが無理を重ねて熱を出したことは忘れない。
「心配してくれてありがとう、アルマス。じゃあ、一つ仕事をお願いしていいかしら? 夜になったらロイ先生のところに行ってくれない?」
俺が来ている意図をしっかり察していた若き領主は、礼を言いつつも仕事を押しつけてきたのだった。
○○○
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
夜になってロイ先生の工房に行くと、そこにはユーグの姿もあった。
工房の奥の雑然としたスペースの一画。大きめの机の上には小さなガラス容器に入れられた色とりどりのポーションがあった。
嫌な予感しかしない。
「ポーションだな」
「その通りです。これらは冬に採取したゼッカとアルマス様が作った魔法草を使った新作ポーションの数々です。主な効力は魔力の底上げ、回復などです。……多分」
最後に聞き捨てならない単語が付け足されたぞ。小声で。
瓶の蓋にはそれぞれ期待される効果が書かれている。魔力増強、魔力増強、魔力強化、体力回復、魔力回復、魔力増強……。増強が多いな。
「ロイ先生…………」
「言わないでください。僕にとって切実な問題を解決したいんです……」
あまりにも少ないロイ先生の魔力をどうにかするため、二人は冬の間こっそり研究していたというわけか。
地中に花を咲かせるゼッカという魔法草。
あれを使ったことでどれほど効果が変わるのか……。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「これから僕がポーションを順番に飲みますので。正気を失ったら治してください」
ロイ先生は自分から実験台になるのを躊躇しないタイプだった。考えてみれば前からそうだ。
「一応、オレの方で普通より効果を抑えて精神に影響がないように調合したつもりです。ただ、アルマス様の育てた魔法草は強すぎることと、ゼッカは色々と強く作用する特性がある上に希少なんで扱ったことが少なくて……」
ポーションの専門家であるユーグが自信なさげに言う。
思い返せば、昨年は大変だった。何度もロイ先生が正気を失った。
「まさかこれを繰り返すとはな……」
「僕にとって魔力の底上げは永遠のテーマなんです。それに、上手くいけば聖竜領にとって莫大な利益をもたらす特産品になります。お願いします、アルマス様!」
ロイ先生がいつになく強い口調で言って俺に頭を下げた。
「普段から世話になってる人間にそこまでされたら協力しないわけにはいかないだろう」
返事を受けて、ロイ先生が輝くような笑顔になった。
そしてそのまま勢いよく手近にあった一本のポーションを手に取る。
「ありがとうございます! では早速うごおおおおおおおおおおお!! ほおおおおお!」
駄目だな。いきなり正気を失った。
「ロイ先輩! 大丈夫ですか! くそっ、思ったよりも薬が強い!」
「落ち着けユーグ! 俺が治すから抑えてくれ!」
素早く手を出してロイ先生の魔力を整えにかかる。
「つつつぐぎぎぎぎぎ!」
「駄目です先輩二本目は! 連続は駄目です!」
「頼むからじっとしててくれ!」
何とか触れて魔力を整える。雄叫びをあげていたロイ先生ががいつもの落ち着きを取り戻す。
「……ふぅ。ありがとうございます、落ち着きました。次行きましょう」
「ちゃんと準備をしてからにしてくれ」
その後、ロイ先生を椅子に縛り付けて行った実験は深夜までに及んだ。
なお、正気を失った回数は五回にのぼった。
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