第22話 廃病院の経緯

「光済病院がなんで営業をやめたか知ってるか?」

「知らないよ」

「表向きは営業赤字がかさんで改善の見込みがない、という経営上の理由だ」

 ヒロは病院に至る古い商店街の寂れ具合から見てそれは十分にあり得るように思ったが。石田の怪しい思わせぶりな態度はそうではないと言いたいらしい。

「違うのか?」

「人が死んだんだよ、自殺だ、病院内で」

「重病の患者が将来を悲観して?」

 そういう話もよく聞く。だから病院の屋上への出入りは鍵で管理したり、フェンスが乗り越えられないように高く設置されているのだ、と聞いたことがある。

「いいや。自殺したのは病院の若先生の奥さん。若先生ってのは院長の娘の婿、将来の病院長候補だな。その奥さんの院長の娘ってのが、水神先生のお姉さんだ」

「そのお姉さんが自殺したって言うのか?」

「そう。それも旦那が先生やってて、父親が経営している病院の中でだ。ちょっと、異常な感じがしないか? 自殺の動機にさ、なんか当てつけがましいものを感じないか?」

「うん……」

 なんとも陰鬱な、近しい人間の間だからこそ発生するどす黒い感情のわだかまりを感じる。

「自殺の動機は、分かってるのか?」

「奥さんは病気がちで、ノイローゼが高じた末の突発的なものだっただろう、という話だ」

 先生も以前はよく体調不良で休講が多かったそうだが、姉妹揃って体が弱かったのだろうか。

「誰から聞いた話だよ?」

「当時病院に勤めていた看護士さんだよ…………」

 そこで石田は妙な顔をした。

「どうした?」

「うん……。いや、まあ後で言う」

 何か引っかかるが、石田は気持ちを切り替えるように続けた。

「その事があってから、まあ根も葉もない噂なんだろうが、病院の運営を悪く言う流言が広がって……その若先生だの院長先生だのの、ほら、『白い巨頭』だよ、あれは大学病院だっけ?お偉い院長先生が王様みたいに威張ってるって言う、そんなのや、重大な医療ミスがあったのを隠している、とかさ、いろいろ根も葉もないことを言われたらしい」

 桝岡のことが連想されてヒロは暗い気持ちになった。何か事件があると人は自分の知っている断片的な情報を憶測で拡張してつなぎ合わせ、勝手におもしろ可笑しい物語に仕立ててしまう。頭の中で空想するのは勝手だが、それが言葉となって口から出ると、それを聞いた者の耳には「事実」になってしまう。無責任なうわさ話を、誰も責任は取らない。しかし……

「それは根も葉もない話なのか?」

「と、元看護婦のおばさんは言ってたぜ?」

「……それで?」

「そんなんで院長もすっかり意気消沈しちまって、地方病院が経営が苦しいって言うのも事実で、それで営業停止、閉鎖ってことになったようだ」

「閉鎖になったのはいつのことなんだ?」

「7年前だ」

「自殺したお姉さんっていうのは、当時何歳?」

「さあなあ、そこまでは。妹…つまり先生より4つ5つ上だったって言ってたな」

 先生は現在32から35の間くらいか? ということは7年前当時先生は25歳から28歳くらい、お姉さんは29歳から33歳くらいか? まだ若い女盛りだろうに、あの先生のお姉さんならかなりの美人そうだが、本当のところ自殺の原因はなんだったのだろう?

「じゃあ……、廃病院に現れる女の幽霊って、先生のお姉さんだったんだ……」

「そうみたいだなあ。どうだ?おまえの見た幽霊って、そんな感じだったか?」

「いやあ……」

 ヒロも思い出してみた。

「全然はっきり見た訳じゃないけど……、印象としてはもっと若い感じに思ってたけどなあ……。俺はてっきり鈴音ちゃんだとばっかり思ってたから」

 視線を向けると幽霊と間違われた鈴音は嫌な顔をした。

「そうだなあ…、今思い返してもせいぜい20代の感じだけど……、ま、ギリギリか? 女の人の年齢って男には分かんねえしなあ……。それで? まだなんかあるのか?」

「閉鎖された病院のその後だ。口汚くうわさ話をしていた地元の連中だが、いざ病院に閉鎖されちまうと、困った。この辺り大きな総合病院なんて無いからな。病院の客を当て込んでいた地元の商店街も客足がぱったり減っちまった」

「そうだろうな」

「でな、やっぱり病院が必要だって市の方にも要望書出して、市の援助で営業再開…ってことで話が進んでいたんだが、それが突然中止になっちまった」

「なんで?」

「人が死んだからだよ」

 再び繰り返された言葉にヒロはゾッとした。

「病院が閉鎖してからな、『幽霊を見た!』っていう目撃談が出始めたそうなんだが、まあうわさ話もお化けじゃあな、あんまりまともには取り合わないよな? それで特に問題にもされずに運営再開の準備が進められていたそうなんだが、建物の状態を調べに、次期院長の内定していた医者と色々関係者の視察団が病院に入ったんだが、そこで、その次期院長の医者が、事故死したんだそうだ」

「事故死?」

「ああ。そういう発表だが、噂によると、視察団からはぐれて行方不明になって、捜したあげく、死体になって発見された、と言うことらしい。どこかの診察室で、書類棚かなんかのガラスが割れて、グサグサに突き刺されて失血死していたらしい」

「それは……事故なのか?」

「警察はそう結論づけたようだ。そのお医者先生は何か気になることがあって、書類を調べようとして、うっかり棚を揺らしてしまって、飛び出してきた書類ホルダーがガラスを突き破って、鋭くナイフ状に尖ったガラス片に襲われて、大けがを負ってしまったのだろう、と言うことらしいな」

「どんだけうっかりで、どうやったらそんな事故が起こるんだよ?」

「さあな? でもまあ、そんな説明しかつかない状態だったんじゃないか? 事故、以外に言い様がなかったんだろう」

「ふうーーん……」

 ヒロは病院内でちらちら見た室内の様子を思い出した。椅子がひっくり返され、物が乱雑にばらまかれ、肝試しに侵入した連中の仕業だろうが、ひどいことをしやがると思ったものだ。視察団が入ったときはどんな状態だったのだろう? うっかり転がる椅子に足を取られて……なんてことなら全くうなずけない事故でもないが……。

「それは、いつのことなんだ?」

「5年前。閉鎖から2年後のことだな」

「早い……のかな? そんなんだったら閉鎖なんかさせないで援助してなんとか営業を続けさせるか、他に運営を譲渡させるかすればよかったのにな?」

「そうかもな。でもさ、その事故死…っつうか変死した、次期院長候補の医者って言うのが、元の光済病院の部長先生だったってことだ。どうだ?なんか裏で取り引きめいた密約の存在を感じないか?」

「その人は元院長の水神家の関係者じゃあないのか?」

 先生は独身のはずだから実家は「水神家」でいいだろう。

「一族の人ではない……はずだ。もっとも院長の右腕のナンバー1の実力者だったそうだから、まあ順当な人事ではあるんだけどな。そのまま光済病院が続いていれば、いずれは若先生が院長の座を引き継いで、その部長先生がお目付役ということになっていたんだろう」

「うーーん……、よく分かんないけど、それだけの人がいたなら尚更光済病院を閉じちゃったというのが腑に落ちない感じだな? いかにもドタバタした印象だぞ?」

「だな。こうなると俄然院長の娘の自殺が気になってくるな? 何か裏に重大な事情がある。案外『重大な医療ミス』って噂も、真実を突いてるのかもな?」

 したり顔で考えながらしゃべっていた石田が、へへへ、と軽薄に笑った。

「おいおい?、なんかほんとにホラーミステリーみたいでわくわくするなあ?」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。相手は本物の幽霊病院だぞ? これ以上下手に首つっこむと、本当に命も取られかねないぞ?」

「おお、そうだよ、それ」

「なに?」

 へらへらしていた石田が急に深刻な、怒ったような顔になって、思い出したように言った。

「ああ…、病院はな、それで再開計画は中止。白紙に戻して、現在あの通りだ。元々あった女の幽霊の目撃談がさかんに言われるようになって、もうすっかり心霊スポットとして定着しちまった。俺らみたいなのには面白れえけど、病院としちゃあもう駄目だな。みんなもうビビっちゃって、諦めちまってるわな。

 で、俺が気になってるのはだなあー。

 水神先生の態度だよ」

 ヒロはゴクリと固い物を飲み込んだ。さっき石田が妙に言葉を濁した事柄だろう。

「俺が今の話を聞いたのは話好きの元看護士のおばさんからなんだが、それ、どこで聞いたと思う? ここだよ、ここ大学のカフェでだ。俺がわざわざ来てもらって聞いたんじゃねえよ、それだってなあ…………、先生の差し金みたいなもんだ…………」

「どういうことだ?」

 石田はがらにもない疑り深い顔で面白くなさそうに言った。

「俺がおまえらに妙なことを吹き込むなと水神先生に呼び出し食らって説教されたのが昨日の午後のことだ。俺は火曜は午後の2限目しか取ってねえからな、2時を過ぎてのんびり登校したんだが、その途端狙ったみたいに携帯にメールが来やがってよ、部屋に来い、って。で、しょうがねえなあって行って説教されたんだが、そこにその元看護士さんがやってきたんだよ。あっちは俺がいるんで遠慮したんだが、先生がかまわないからどうぞと中に入れて、昨日姉の遺品を整理していたらこれが出てきたからあなたに形見分けしようと思って、って箱入りの絵皿を渡してな、懐かしいですね、今はどうされてます?なんて、どうでもいい世間話して、それではお呼び立てしてすみませんでした、わたしは講義がありますのでこれで、ああ石田君、喉が渇きましたでしょう?、カフェにでも案内してさしあげて?、こういう雰囲気も懐かしいでしょう?せっかくですから現役の学生相手にお話でもしてのんびりしていってください、では。なーんて、勝手に段取り決めて、自分は講義があるから出ていけ、って。な? 変だろう?」

「そうだな……」

「そうだよ! でさあ、その元看護士さん、大森さんっていう50くらいのおばさんなんだけど、大森さんもなんで今さら自分にそんな骨董品なんか寄越すのかさっぱり分からないって狐につままれたみたいな顔しててな。特に先生とも親しかったわけでもなく、亡くなったお姉さんともお付き合いがあったわけでなし、誰か別の人と勘違いしてるんじゃないか?って首をひねってたな。で、俺としてはだな、貴重な講義をさぼるはめになって、先生の言いつけ通り大森さんをカフェに案内して聞かされたのが、今聞かせてやった事だ。どうだ? 絶対に変だろう?」

「うん………」

「明らかに俺にその話を聞かせるために、俺を呼びつけたところに元看護士さんを呼びつけて、話を聞かせるようにし向けたんだぜ? なんでだと思う?」

「さあ………」

「おまえに聞かせるためじゃないか?」

 ヒロは何も答えられず、ヒリヒリと胃が痛くなった。

「変だよな? 口じゃあおまえに危ないことに関わるななんてこと言っておきながら、俺なんかを利用してさかんに興味を持つようにし向けている…なんてことを俺がおまえにチクってんのもどうせ織り込み済みだろうぜ? ほんっとうに気にくわねえな。俺はあの女は嫌いだ」

 石田は憤然と言い、ジロリとヒロを睨んだ。

「どうするよ? 俺ら、おまえも俺も、あの男女先生に完全に舐められてんだぜ?気色悪りい」

 石田はもはや生理的に水神先生を毛嫌いしているようだ。ヒロはむしろ水神先生のきりりとした美貌に生理的には惹かれるところが大なのだが……。

「そんならさあ……、無視するのが一番先生の鼻をあかすことになるんじゃないか?」

「面白くねえよ。つまんねえ」

「じゃどうすんだよ?」

「いいじゃねえか? あっちが招いてくれるんならとことん深入りしてやるまでだ。何もかも暴き立てて、こんなつもりじゃなかったって、ぜってえ慌てさせてやる」

 石田はニヤリと不敵に笑ったが、ヒロにはまんまと先生の術中にはまっているとしか思えなかった。

「なんか、嫌な予感がするけどな…」

 ヒロが同意を求めるように視線を向けると、鈴音も心配そうに石田の横顔を見た。

「だいじょうぶだって。俺は霊感ねえから」

 無いことを自慢して空虚に笑った。

「俺はもっと自殺の裏事情を探ってみる。大森さんからもっと詳しそうな人を聞いてるからな」

「危険だぞ? 暗がりに一人で入っていくような真似すんなよ?」

「おまえの同僚みたいに消されるってか? だから大丈夫だよ」

 ヒロはもっと現実的な危険……暗闇にひらめくナイフ……を思ったのだが、そう思うヒロの方が妄想を抱いているのだろうか?

「それよりさ、もっと詳しく教えろよ?」

 石田はいつもの軽薄な野次馬の顔になって身を乗り出した。

「やっぱおまえの同僚、『赤いドア』に引き入れられちまったのかな?」

『『赤いドア』……か…………』

 それも謎だ。本当に先生が意図的に情報をリークして自分たちを踊らせているのだとすれば、「旧・光済病院」と「赤いドア」に関連はあるのだろうか?……………

「どうよ? 教えろよお?」

 気持ち悪く顔をにじり寄らせる石田をヒロは指で弾く真似をした。時計を見ると、ギリギリの時間になっていた。

「やば、マジに遅刻しそうだ。俺は行く」

 立ち上がり。

「なあ石田。どうやら俺はもう関係者に組み込まれているような気がするんだが、おまえは部外者だろう? 本当にさ、わざわざ危険に首つっこむ真似はすんなよ?」

「なんだよお、仲間はずれか?」

 石田はムッとした顔をしたが。

「友だちとして忠告してんだよ。ムカつくところもあるけれど、基本愉快な奴だからな」

「なんだよ、それ?」

「じゃあな。鈴音ちゃん泣かすような真似すんじゃねえぞ?」

 鈴音に手を振って、ヒロは足早にカフェを出た。渡り廊下を駐輪場に向かいながら、この怪しい一件にトモキが関係していないことを祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る