幽霊部員
「あれは絶対に幽霊だった」
「お前が勤めてんのって心療内科だっけ?」
「呼吸器内科です。心療内科の皆さんと私に謝れ馬鹿キャプテン」
後日、改めて、私と
高校時代、義務付けられていなかったにも関わらず「球児っぽいから」とかいうアホな理由で丸刈りにしていた丹羽君だけど、当然、今は丸刈りじゃない。清潔感のある短髪に、細身のスーツ。
今やすっかり営業マンと化した丹羽君は、大人みたいな顔をして珈琲なんて飲んでいる。
「幽霊だって言い切る根拠は?」
「丹羽君も見たでしょ、あのグラウンド。誰かが足を踏み入れた痕跡が無かった」
「だから足が無い幽霊だって?」
「じゃあ他の誰が、グラウンド荒らさずにバッティング練習出来るっていうのよ」
「お前の聞いたバッティングの音が幻聴だって可能性もあんだろ。グラウンドで見た影も見間違いじゃねぇの。お前、グラウンドにあんま良い思い出ねぇだろうし」
「……う、っ」
ずきん、とひときわ大きく頭が痛んで。眉間を揉む私を気遣う丹羽君に「大丈夫」と首を振る。ああ、もう。頭が痛い。
とにかく、だ。丹羽君の出した結論がそれなら仕方がない。
「じゃあいい。あとは一人で調べる」
「調べるって何を」
「あの幽霊の正体。自宅の徒歩圏内に憑りついてる上に真夜中にバット振られちゃ堪んないのよ、こっちは」
「また夜中に出歩く気じゃねぇだろうな」
ぎゅう、と高校時代によくやられていたようにおでこを掴まれる。そのまま鍛え抜かれた握力でもって頭蓋骨を締め上げられて悲鳴が漏れた。頭蓋骨変形する!
「
「痛い痛い痛い!」
「お前、それはもう脅しだからな?」
そう言って丹羽君は大きな溜息をつく。諦めたようでいて、どこか「仕方ねぇなぁ」って顔。懐かしい。どうやら一人きりでの調査は免れられるようである。
「俺、日曜くらいしか空いてねぇぞ」
「日にちと時間は丹羽君に合わせられるよ。私、基本残業ないし。休み暇だし」
「じゃあなんで野球部の飲み会来ねぇかね。監督もみんなも美咲が居ねえと始まらねぇって寂しがってんだぞ、毎回」
「……っ、た、」
ああ、まただ。ずきん、ずきんと頭が痛む。みんなの顔を思い出そうとする度に、頭の中を蜃気楼が包み込む。
「おい、やっぱ体調悪いんじゃ、」
「大丈夫……ちょっと、頭痛持ちなだけ。しばらくしたら治まるから……」
「……ならいいけど。今日、高校寄ってみるか。監督居るだろうし。お前の言う地縛霊ってやつかどうか、確かめてみようぜ」
◇◇◇
久々に足を踏み入れた母校は、ちょっと拍子抜けするくらい何も変わっていなかった。そしてそれは、私達がお世話になっていた頃には既に御年六十を越えていた女性監督も同じなわけで。
「地縛霊ぇ? あんた達、相変わらず馬鹿なことばっか言ってんのねぇ!」
「監督も、お変わりなく……」
「いい意味で受け取っておくわね?」
にっこりと微笑む、ユニホーム姿の年嵩の女性。有無を言わさぬその笑顔もちっとも変わっていない。
「大体のことは丹羽君から聞いたわ。変質者だったら大変だしね」
「……でも、足跡が、」
「それも聞いた。確かに妙よね、ボール跡も残ってないし。でもねぇ、幽霊ってのは……少し飛躍し過ぎじゃないかしら? 実際、目の前で消えたわけじゃないんでしょ?」
「……姿を、見ました」
ぼんやりとした影だったけど。あれは確かに人だった。
大人というには骨格の甘い、未完成の身体。短く切り揃えられた髪。
「あれは……球児、でした」
「それで私に聞きに来たわけね」
そう、納得したように監督は頬に手を当てた。丹羽君はそうすることが当たり前であるかのように腰の後ろで手を組んで、じっと監督の言葉を待っている。
「期待してるとこ悪いけど、野球部設立から今まで、部員が亡くなったことは無いわ」
「……卒業してから、とか」
「正直そこまでは分からない。でも、あなたの言う地縛霊ってやつなら、グラウンドに未練があってのことじゃない?」
……確かに、監督の言う通りだ。
最初、私は野球部の生徒が亡くなったのだと信じて疑わなかった。きっと、部活に打ち込む野球部の少年が、志半ばで亡くなったのだろうと。だから野球を、グラウンドを諦められずに、夜な夜な現れるのだろうと。
しかし、実際には野球部から死亡者は出ていない。じゃあ、あれは何なのだ。あの、一心不乱にバットを振っていた少年は。
「せっかく来てくれたとこ申し訳ないけど……でも、こうして会えて嬉しかったわ。丹羽君もね」
「いえ、また顔出します」
「そうしてあげて。みんな喜ぶわ。あんた達の代は甲子園のこともあるし、やっぱりみんなの憧れなのよ。美咲……あんたには随分苦労かけちゃって、本当に申し訳なかった、」
「……甲子園」
「え?」
「甲子園! それだ! 甲子園!」
監督の言葉で、ガツンと来た。雷に打たれたような、とか、そんな未知の感覚じゃない。後ろからバットでフルスイングされたくらいの衝撃だった。つまり死ぬほど頭が痛い。
でも、そんなことどうでもよかった。そうだ。甲子園。思い出した!
「
「蓮? レンレンがどうし……あー!」
急に叫び出した私に怪訝そうな顔をしていた丹羽君が、私を指差す。それだ、とも言わんばかりに。
そんな私達の姿に、監督が呆れ返ったように溜息をついた。
「朝倉君、生きてるでしょうが」
「生きてるけど! 私達が甲子園行ったとき、レンレン、膝故障してたじゃないですか!」
「そうだけど……え、まさか、」
「生霊ですよ、きっと!」
今でも思い出せる。甲子園出場を懸けた県大会、準決勝。最後の一点、どうしても欲しかったその一点のために、朝倉蓮は無茶な帰塁をした。確かにその一点が無ければ、丹羽君達が甲子園に行くことはなかっただろう。しかし、彼は……朝倉君は膝の筋を傷め、彼の夏はそこで終わってしまった。
じくじく、頭が痛む。あの日の暑さがまだ身体の中を渦巻いているとすら錯覚する。朝倉君の涙が、一人きりの部室に響く押し殺した嗚咽が、頭から離れない。
「朝倉君、物凄く悔しがってた。あんな終わり方、納得してるはずない!」
「だからってねぇ……」
「丹羽君、朝倉君の連絡先知ってる? 会いに行こう! 朝倉君の甲子園はまだ終わってない!」
彼はまだ苦しんでる。あの夏に取り残されたまま、まだ、母校のグラウンドで燻っている。そう思ったらもう、じっとしては居られなかった。
「助けられるのなら、助けてあげたい」
「……お節介」
「う……、そうかも、だけど」
「ま、仕方ねぇか。名物だからな、うちのお節介マネージャーはさ」
そう言って、呆れたように笑って。丹羽君はスマホをタップした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます