幕間4 沈む町



 凍りついていた足は溶け、しかし液体になったように頼りなく。

 さまよう。


 ――水。


 ここは水を守る町。


 お父さんが言っていた。


 八百万。

 八百万人だ。どれくらいか分かるか?

 この町が一万人。

 その八百倍が、一箇所にいるんだ。

 凄いところだぞ。


 ――いつか、連れて行ってやろうな。


 ここは水を守る町。

 お父さんとお母さんは、その町を、守る人たちだった。



 最初は、気のせいだと思った。

 でも、気のせいじゃないとわかった。

 怖い夢。粘りつく身体で、恐ろしげな海の底をかき分けながら進むような。


 町の中を歩いた。

 何人もの知っている人たちは、何人もの知らない人たちだった。

 洗濯屋のリンダおばさんは、大きな声で励ましてくれたり、黙って隣りに座ってくれたり、たくさん優しくしてくれたけれど、違う人だった。

 ガードのローマンさんは、泣きながら謝ってくれて、いつも遠くから見守ってくれたけれど、違う人だった。

 マージョリーおばあさんは、家が近くて、昔から色々親切にしてくれて、手作りのお菓子がおいしくて、大好きで、けれど、違う人だった。

 その吐き気すら催す違和感。



 そして亜竜が現れた。



 マルコはダンジョンから出てきた亜竜を目撃した。

 厚みがもっとも薄かった部分の岩盤を破壊して、ダンジョンの中に潜り込み、町の中にある出入り口から出現した。

 亜竜の中でも特に巨大な種類で、かつ、 賢し インテリジェントだったと言われている。

 出入り口の前には広場がある。景観を大事にした、公園のように造られている。

 町の子供たちは時折、その広場で土産物屋の宣伝をしていた。

 飴玉やソーダ水になるこの仕事が、マルコは好きだった。

 観光客の一団が、ダンジョンに入っていった。

 このときは、しつこくしない。愛想だけを振りまく。

 戻ってきた人たちに対して、ほどほどに、けれどしっかりアピールするのがコツだと、マルコは思っていた。

 やがて、そいつが現れた。

 その場の誰よりも最初に気づいたのはマルコで、

 目が合って、

 一番小さかった彼は、ただ、ぽかんとした。


 悲鳴。逃げ出す音。思い出せば、聞こえていたと思う。


 はるか見上げるほどの巨体が、今は目の前にいた。

 そいつは前足を振り上げて、

 ぐしゃり、と。

 赤い世界を、マルコは初めて見た。よくわからないものの上に立っていた。あれは潰された自分の体だったのだろう。

 二人のガードが駆けつけた。

 マルコの両親だった。

 この町のガードの中で、即応できたのはこの二人だけだった。


 蘇生。


 生き返ったマルコは、しかし動けなかった。

 恐怖、混乱、でもない。

 ただ、身体が動かなかった。

 マルコを連れて、一人がその場を離れるわけにはいかなかった。

 この亜竜は、ここで止めておかないと。

 それには二人がかりでないと。いや、おそらくそれでも足りぬのだ。

 だからこそ、身内のために、戦力は割けなかった。

 両親はマルコを広場のすみに移動させて、

 戦った。

 マルコは、現実感を持たずに、それを見ていた。


 一分か、あるいは一年が経過した。


 やがて赤い色が一つ舞って、

 すぐにもう一つが、それに続いた。


 赤い砂時計。

 マルコは知っていた。

 三分以内なら、蘇生できる。

 亜竜は両親を見下ろしている。

 はやく行ってくれ。

 はやく向こうに行ってくれ。

 どこかに行ってくれ。

 はやく。


 ぱくり、と、亜竜は父親を飲み込んだ。

 ぱくり、と、続けて母親も飲み込んだ。


 亜竜はダンジョンの中に、姿を消した。


 増援が到着したのは、数十秒後。


 彼らが見つけたのは、岩のように身体をこわばらせて、目を見開いているマルコ。



 すぐさま行われた亜竜探索の成果は、無く。

 その後数日に渡って行われた捜索の成果も、無く。

 亜竜が侵入した場所は固く塞がれ、告別すらできない、両親の葬儀が、行われ。

 しばらくして、同じ特徴を持った亜竜が、どこかで退治されたという報告があった。

 しかし、心の石は見つからず。



 溺れるように深い海の底で、

 彼は、彷徨さまよう。


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