save20 フェリエ、帰る
マルコットの町。
エンシェントダンジョン――
これを攻略した竜伐の英雄、マルコットにちなんで名付けられた町。
天地の双湖。 かつて竜が自らの城としていたダンジョン。その名前は、洞窟迷宮を挟むように存在する、地底と山頂の二つの湖に由来する。
地底湖の方には、王都ルミランスに水を転送するための仕掛けが施されている。
簡易に聞いた話では、エンシェントダンジョン同士は繋がりやすいらしい。
あとは観光名所としての顔。迷宮を抜けて、地底湖を見て、上まで登り、天上湖を眺める。それが人気のルートである。
ただし、今は……。
フェリエは、外回りから帰ってきた。
ゆるく波打った髪をうしろで結んで、品のいいメガネを掛けた美人。年の頃は二十歳ほど。
一年ほど前、彼女は自らの希望によって、この町の冒険者ギルドに赴任してきた。
与えられた仕事は、泊まりの外勤。町での事務を願ったのだが、そこまでは叶わなかった。ただどのような形であれ、突然の我儘を受け入れてくれたギルドには感謝こそあれ、文句などない。
およそ十日ぶりに、門の前に立つ。
町の入口には、同僚であるギルドの女性職員が立っており、観光目的で訪れる人々に対して、いまは訳あってのお引き取りをお願いしていた。
と、彼女がこちらに気づく。
「あ、フェリエちゃん。ご無事ー」
「ただいま戻りました。ありがとう」
交わされる笑みは、親しげなものだ。
「話には聞いていたけど、大変ね。……一人?」
ひとり。頷く。
「もーさー。魔王が来るとは。昔研修は受けていたけど、まさか役に立つ日が来るなんてね」
「なんでも勉強しておくものよね。 ……ところで、雰囲気変わった?」
「うん? なんにもないよ?」
「そう、」
付き合いをはじめて、一年に満たないほど。髪型、化粧、小物等、差異は見えないが、なんとなく。まさしく雰囲気としか表現できないものが、異なっているように感じたのだが。
「そっちこそ、またおっぱいが大きくなったんじゃなーい?」
もはや鉄板のやり取りと化しつつある応答を受け、苦笑で返して。気のせいだろうと流し、フェリエは足を進めた。
「じゃあ、またあとで。手伝いに来るわ」
「ありがとー。もう四時間も立ちっぱなしでつかれたよー」
けだるげに手を振る彼女に見送られて、町の中に入る。
今回は特殊な事情で、騒ぐことができないための処置。普通ならば、冒険者などが大挙して押し寄せてくる事態なのだろうけれど。観光客向けの商店も臨時休業で、町はしかし、のどかな様子。
ここぞとばかりに、普段は忙しいのだろう両親に、遊んでとせがむ小さな子どもたち。親子連れで歩く人々の姿が、よく見える。
微笑ましく、眼差しが和らぐ。
その瞳が、道の先にいる一人の老人を捉えた。
「長老様」
「おお」
思わぬ出会いに声をかけた相手は、ここの町長で、『長老様』はアダ名である。八十を超え、
「これはこれは。ご苦労でしたな、フェリエさん。 ……天よ、彼女の息災に感謝を」
「ありがとうございます。 ……天に感謝を」
そしてやはり、ふとした違和感。
「なにか、雰囲気が変わられたような……」
「おや、気づいていただけましたか」嬉しそうに笑う。
「実は、理髪師様に髪を整えていただきましてな」
禿げ上がった頭を撫でる。
「少し若者風にしてみたのですが……ちょっと冒険しすぎましたかな」
にこにこ笑う
「それ以外は、いつもと同じ、ただの
「よくお似合いですよ」
このユーモアである。何度も町長選に当選しているのも、うなずけるというもの。持ちネタも、色々あるらしい。
出会えたついでにと、本来はギルドを通して連絡するものを、世間話がてらざっと伝える。
一通り終えたところで、フェリエは気になっていることを長老に尋ねた。
「ところで長老様、マルコは……」
「今日はまだ、帰っておらんようですな」
いまは長老が、彼の後見人になっている。
マルコには、町の出入りをする際、長老に伝わる形でそれを報せる義務がある。
返事を聞いたフェリエは、落胆――というわけではないが、心配では少しある。そのような顔になる。
それを察したのだろうか、長老は言った。
「気づいておられるとは思いますが、あなたが帰ってくるときには、あの子も必ず帰ってくる。今日はちょっと遅れているようだけれど、じきに来るでしょう」
そうして、ふと遠くを見る目をする。
「あのときから、ようやく一年。
あの子はよく、自らを癒やしている。
強く生きる、ということで」
眼差しをフェリエに向け、続ける。
「そしてあなたが、その支えになっているのは、間違いありません。
新しい家族のもとに行きたくない、というのは、今までの家族を忘れたくない、離れたくないから。その思いは、自然なものです。
必要な物は、時間です。われわれは、見守るだけです。
そしてそれ以上に、真に彼のことを思ってくれる、あなたのような人がいてくれるなら、だいじょうぶです」
少なくとも、私の気苦労は、相当に軽くなっておりますからなあ。
ほっほっほ。と。徳深く笑う。
……なんども。聞いた話。けれど老人は、繰り返しの力を知っているから、それをするのだろう。
フェリエはそう思う。
彼女もかつて、両親を失い。
同じ家でともに過ごしたマルコの両親は、彼女にとって歳の離れた兄姉というよりは、歳の近い両親であったといえる。
……そう、たしかに。まだ、一年。ようやく一年。
焦ることはないのだ。
――やはり、知らず知らずに気負う気持ちが、湧いてしまっているのだろう。
フェリエは、努めて気分を楽にして、息を吐いた。
「はい」
感謝の気持ちも込め、うなずく。
と。
フェリエたちの前に、異様な風体の男があらわれた。
腰に刀。黒い帯をまいたような眼帯を右目に。問題は、顔を含め、上半身の殆どを包帯で覆っていることだ。
ひどく古い医療道具である包帯。ポーションと比べた場合の優位性が全く無くなったため、廃れてしまったもの。
現代においては、伊達か酔狂以外で、用いるものではないはずだが。それは眼帯にしてもそうであろう。
包帯の男は、驚いたような顔をしていた。それは物音がしたので見に来たら、まったく望外のものを見つけた、といった顔であろうか。
男は目を閉じた。それでしかし、なにかを確認しているような様子だった。
やがて片目を開いた包帯の男は、フェリエに向かって、告げた。
「おい、別嬪さん」
ずばんっ、と、赤い世界にフェリエは落ちた。
(!?)
死?!
イビルアーム?
邪教徒?
地に臥せる自分の身体の上に立つような視点で、フェリエはしかし思考を回す。
(長老様、)
彼も昔は名のある冒険者。更に周囲には人が沢山。すぐにでも、ガードが駆けつけるだろう。
赤い世界の中、フェリエは蘇生後に取るべき行動をいくつもシミュレートする。だが、
(え……?)
長老は穏やかな様子で、髭を撫でている。騒ぎもせず、叫びもせず。
なにもせず。
周囲の人々も同じように、今日という営みを、そのままに続けている。
子どもたちに手を引かれ、並ぶ夫婦が、歩いてゆく。
(なに、これ。)
その異常さ。
フェリエは赤い世界の中に立ち尽くした。
そんな彼女に、頬を掻きながら、包帯の男が近づいてきた。
取り出した蘇生薬を、彼女の身体にかける。
かはっ、と息を吸い、彼女の視界は地に。色彩を取り戻した世界の匂い。
身を跳ね起こす。
「なにをっ、」
「わりぃな、間違えた」
ずぱんっ、と。
首をはねられ、フェリエは気絶した。
手加減にゃ便利だ。と、取り出した短刀を眺め。
包帯の男は、フェリエを担いでいく。
がくがくと震えながら、マルコは、その様子を陰から見ている。
彼は、見ていた。
一連の異常を。
周囲が、全て。
ここに来るまでに感じた違和感は、全て間違いのないことだった。
ふらふらと、口を両手で塞ぐ。うっかり叫び出しそうで。うっかり走り出しそうで。菓子の箱は足元で潰れている。
真っ青な顔で。あとずさっていく。
「おい、ボウズ」
びりぃいいっ、と、身がこわばった。
「無駄に騒ぐな。黙って家でじっとしてろ。
……今日明日で、終わる話だ」
向こうを見た。
男も見ていた。
お前を見ているぞ。という、目をしていた。
背を向けて、フェリエを担いだ男は、その場を去っていった。
早鐘を打つ心臓が、あまりにも冷たい。
マルコはその場に、立ち尽くした。
◇ ◇ ◇
昼。太陽の位置は午後三時くらいを示している。
一台の馬車が、マルコットの町に到着した。
入り口に立っていた女性に、自分たちの正体とその目的を伝えると、よほど待ち望んでいたのだろうか。文字通り飛び跳ねて喜んでいた。
エリスとロイドは、馬車から降りた。
まずは宿を取ろうと、ロイドが提案する。
姫には英気を養ってもらいたいから。それに魔王さんの都合もあるだろうし。
うむ。
エリスも同意する。
「宿を取るのは、任せてもいいかな」
「任された。そなたはどうする」
「ここで待つよ。話をしたのはぼくだからね」
「うむ。ではすまぬが、出迎えを頼む」
宿の場所は掲示板で。
言い残して、エリスは町の中心に向かって歩いていった。
残ったロイドは、左手首につけた腕輪に数言語りかけると、その場で待つ。
やがて、一台の馬車が、ロイドのもとに向かってきた。
彼の手前で停まった馬車から、四人の冒険者たちが降り立つ。
「お待ちしていました。
来てくれて、ありがとうございます」
頭を下げて、彼らはロイドの言葉に答えた。
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