七
「お姉ちゃんは?」
「え? なにが?」
「お姉ちゃんも家に帰れないんでしょ? なんで?」
不意にぐおぉっと音がした。声かも知れない。
私たちはあの黒い怪物を恐れて震える。地面の微かな振動でも見逃さないように気を張り詰めて、間違えないように必死になっている。
いつも、家でだって間違えたらそこで終わりなのだ。
「こっちには来ないみたいだな」
雑兎がそう言うまで、私たちは身を寄せ合って震えていた。
身を寄せ合えるだけマシだ。それから私は話をする。
「私の友達がね……あぁ、そうじゃなくて……」
「ちゃんと全部話してよ。僕、もう子供じゃないよ。もう少し子供でいたかったけど、無理だったから。もう子供じゃなくなっちゃったから聞けるよ」
トトリはとても力強い声で言った。
「そっか。じゃあ言うけど……私の友達が自殺したの。たぶん、それが原因のほとんどだと思う。家族との事もあるけど、サグメの事に比べたらたいした話じゃないし」
「お姉ちゃんも家族と何かあるの?」
「ちょっとね。お母さんは口を開けば他人の悪口しか言わない人だし、気に入らないとすぐに物に当たるし、お父さんは目の前で何があっても自分の部屋に逃げてっちゃうし。上手くいく訳ないんだよ」
それでも今までは諦める事も出来ていたんだ。
この人はこういう人だから仕方がないと諦める事ができていたのに、いつの間にか感情が溢れ出した。
私を殴るわけじゃない。お父さんもそれを知っているから逃げるのだと思うけど、理不尽な怒りを向けられる度にぐったりとした気持ちになる。
そのくせ機嫌のいい日には私にべったりと懐いてきて他人の悪口ばかり。
聞きたくないと言えばまた物が壊れるのだから、それが嫌なら聞くしかない。
「お姉ちゃんも大変そうだね」
「たいした事ないよ」
私とトトリが黙ってしまうと、雑兎が言った。
「コヤネはいつも、間違えるなって自分を脅しながら生きてるよな」
「だって、対応を間違えるとまた……」
いつもその繰り返しだ。
今お母さんはどんな言葉を返してほしいのだろうか?
どんな顔を、私にしていてほしいのだろうか?
そんな事の正解ばかりを探して生きている。
話をしていると、急にずぅんと辺りが暗くなった。まるで蓋をされたみたいだ。
見上げると真っ暗だった。いつの間にか雀の神様はいなくなっている。
頭の上の真っ暗闇がニチャッと口を開ける。
「……⁉」
私たちは必死で逃げ出した。どこに向かうかなんて考えられなくて、ただ走る。
「あれは何なの⁉」
トトリが叫ぶけれど、私はこれと言える答えを持っていない。
「分からないけど、あれも感情だと思う!」
「けど、さっきのと見た目が違うぞ!」
私の声に被せるように雑兎が言う。
こんなのが他にもいるのだと。
足が縺れて転んでしまうと、私の足首を酷く冷たいものがつかんだ。あの真っ暗闇だ。何もかもを憎んだような声で叫ぶあの闇が、私を捉えたのだ。
「いやぁぁぁ……!」
捉まれた足首から流れ込んで来たのは、あの夜のサグメの母の姿。
もしかしてこの怪物が、あの夜の私から溢れた感情なのだろうか? そう思うと自分が恐ろしくて仕方なくなった。
この醜い怪物が自分であるなんて認めたくなくて、立ち向かえる武器を探す。
けれどそんな物は小枝か石ころくらいしか見当たらなくて、苦し紛れにそれを投げてみても何の意味もない。
その度に怪物は発狂し、凶暴さを増すように思えた。
当たり前だけれど、とても怖い。
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