第85話 浴衣は〇〇な服

 男性用の浴衣は、女性のものよりも比較的に簡単に着ることができる。そのため、俺と雅人は先に店の前でみんなを待っている状況だった。


「というか、お前誰?」


「は? いや、俺だけど」


「いや分からねえ! 印象変わりすぎ!」


 そう。俺は浴衣に着替える時に髪を少しだけ整えられてしまったのだ。そのため、この前美咲とモールに行ったときくらいの格好になっているのだ。


 雅人の前で髪を整えたのは初めてだ。それはさておき……。


「やっぱり、浴衣は誰かが着ているのを見たいとは思っても自分で着ると動きにくくてあまり着たいと思わないな」


「静哉、こういうもんは祭りとかそういう場で着るからこそ良いんだよ。祭りに浴衣、それだけでロマンの塊だろ? もし他に例えるならそう……学校以外で着るスクミズ……」


「うわっ、キモ。気持ち悪っ!」


 にやけながら放たれたその言葉に割と本気で引いた。


「ちょっ! マジトーンで引くなよ!」


「いやだって、えぇ……。急にスクミズとか、恐怖しか感じないんだが……」


「だけど! 浴衣は分かるだろ? なっ? お前も誰かが着てるのを見たいとは思うって言ってたもんな?」


「浴衣は分かるっちゃあ分かるけど、スクミズは全く違うベクトルの話だろ」


「オーケー忘れろ。それか目覚めろ」


 そんなくだらない話をしていたら、いつの間にか美咲が着替え終わったようで俺たちの近くまでやってきていた。


「お兄ちゃんお待たせっ!」


「おう、早かったな。それに、似合ってるぞ」


「むふーっ! お兄ちゃんも似合ってるよ! もっと褒めて!」


「いいぞっ! いよっ! 浴衣が似合う体型!」


「でしょでしょ! ……って、それ褒めてないよね!?」


「ちっ、ばれたか」


 浴衣が似合う体型とは即ち、胸がない体型のことを指す。だから美咲は褒めたような言い方で胸がないと指摘されて怒ってしまった。


 浴衣というものは、上から下まで起伏がない真っ直ぐなつくりとなっている。そのため、体のラインがほとんど現れることがない。


 例え胸が大きくても小さくてもほとんど大きさは分からなくなるのだが、小さい方が浴衣に着替える時は早くできる。


 だから美咲が女子の中で最も早く出てきたのだろう。……まぁ、一ノ瀬さんが江橋さんを待っているためまだ来ていないという可能性もあるのだが……。


 なぜなら、一ノ瀬さんも美咲のようにむーー


「--お待たせ二人とも! いやぁ、やっぱり祭りには浴衣だね!」


「一ノ瀬さんお疲れ様です!」


「一ノ瀬さんも来たか。むしろ、俺には祭り以外で浴衣を着る時のイメージが湧かないな」


「一応旅館で着る服も浴衣っていうけどあれはあれで違うだろ?」


「そうだね! あれはただ温泉に行く時の服ってイメージかな?」


 そんな話をしていると、後ろからもう一人の声が聞こえてきた。


「お待たせしました。……私が一番最後でしたか」


「大丈夫だよ麗華! 遅れたわけじゃないんだから!」


「そうだな。江橋さんはただ着替えてきた……訳……だから……な」


 雅人が何も言わないと思いながら江橋さんのほうを見たら、息を飲んだ。美しく靡く黒い長髪に恐ろしいほどまでに似合う浴衣。


 和服美人とはこのような人を言うのだと、そう伝えてきているかのように思わせてくるほどの美しさがそこに存在した。


「おおおお! 麗華さん超美人さんです! 何これ! 和服ってもしかして麗華さんのためにある服だったの!? 似合いすぎ! お兄ちゃんもそう思うよね!?」


「あ、あぁ。そうだな」


 興奮した美咲に話を振られたが、俺は曖昧に返事を返すことしかできなかった。むしろ、美咲がこうして騒いでくれて助かった。


「あ、ありがとうございます、その、日裏くんもお似合いですし皆さんにあってますよ」


「うんうん、って! 一ノ瀬さん聞いてくださいよ!」


「おお! どうした日裏くん妹よ!」


「お兄ちゃんが私を浴衣が似合う体型って馬鹿にするんです!」


 なんてこと言いやがる。よりにもよって何故一ノ瀬さんに言う。


「お、おい! それはただの冗談だから!」


「うん? どういうこと?」


 と思ったら一ノ瀬さんはよく意味を理解していないようだった。


「ふふっ。明梨ちゃん、浴衣というものは体型が目立たないように作られている服なんですよ」


「え、江橋さん? 一体何を言おうと? 一ノ瀬さんは気にしなくていいからな!」


「え? え? そこまで焦ってるのを見ると逆に気になるんだけど……」


「ですよね! 簡単に言うとすっとーん!」


 簡単に言いすぎだ。しかし、一ノ瀬さんには伝わったようで自分の身体を見下ろしており……。


「すっとーん……? すっとーん。はっ、つま先が見えてらぁ」


「おいっ! 美咲は一体何がしたいんだ!」


「え? ……自虐ネタ?」


「……そこの君よ。自虐ネタに他の人を巻き込んでるぞ」


 雅人は美咲に言われた呼ばないでというものを守っているし、場がめちゃくちゃだ。


「え? あ! 違うんです一ノ瀬さん! 私はただ自虐ネタで一ノ瀬さんと仲良くなろうと!」


 美咲は一ノ瀬さんの胸が無いから言ったわけではなかったようだ。まぁ、そういう差が分からなくなるのが浴衣だし、ただの偶然だったのだろう。……多分。


「そうね……。胸がない人同士で仲良くなりましょうか」


「あわわわわっ。どど、どうしよう! お兄ちゃん!?」


 美咲が焦ったところを見て、一ノ瀬さんがクスリと笑みをこぼす。


「ふふっ。冗談だよ。よろしくね! 美咲ちゃん! 私のことは明梨でいいよ!」


「びっくりしました……。よろしくお願いします! 明梨さん!」


 俺には、途中の一ノ瀬さんの声のトーンが一ミリも冗談には聞こえなかったのだが、まぁ一ノ瀬さん本人が冗談にしてくれようとしているのだから、掘り返す必要は一切ない。


 これのおかげで江橋さんの姿に目がだいぶ慣れてくれて、平常心を取り戻すことができたからこっそりと応援しておこう。


「とりあえず、ここで屯ってても意味ないし、早く祭りに向かおうぜ」


「そうだね!」


「行きましょうか」


「雅人先輩綿あめお願いしますね!」


「おう任せとけ! あ、静哉には奢らねぇからな」


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