第114話 小熊の涙

 精霊の協力を得られたところで、俺は一気に本題に入ることにした。


「最初に確認しますが、ネグローニャさん。

 この本に書かれている内容は本当ですか?」


「ほほう、それに目をつけるとは……貴様、なかなかできる奴のようだな」


 俺の差し出した本を手に取ると、ネグローニャは懐かしげに題名を指でなぞる。

 あの、それ、つい最近貴女が書いた本では?

 この精霊、たぶんその場の空気に酔うのが好きなタイプなんだろうな。


「むろん本当だとも。

 ただの願望をつづった空絵事ではないことを、わが名において保証しよう」


「実物を見せていただく事は?」


「よろしい。

 今はまったく反応しない事はあらかじめ言っておくが、好きなだけ調べてみたまえ」


 そう告げると同時に、彼女の掌に小さな木彫りの熊が現れた。

 この手の転移魔術は、風の精霊の得意とするところであるらしいが、実に鮮やかなものだ。


「では、拝見します」


 俺は念のために手袋を準備してもらい、その木彫りの熊を丁寧に調べる。


 頭身の低い、愛らしさを重視したデザインだ。

 普段はあまり目につかないが、ふと疲れたと気に目について、心を癒してくれるような存在感である。


 デフォルメをがかかった簡素なデザインのように見えるが、ところどころに細かい手が加えられていた。

 自己主張は少ないけれど、とても丁寧な仕事である。

 

 言われたとおりその内側から感じられる魔力は無く、魔道具としては完全に壊れているようだな。

 本にあった現象が誰かの悪戯かどうかを確かめるために、俺は人形に魔力を注いで見る。

 だが、人形に反応は無い。

 おそらく、特定の波長の魔力にしか反応しないつくりになっているのだろう。

 もしくは魔力の受け皿になる部分が破損しているのか。

 

「例の現象が、誰かの悪戯という事はなさそうですね」


 そう告げると、ネグローニャはムッとしたように眉をしかめる。


「少々失礼だな。

 私とて、その程度の事は調べているぞ」


「それは失礼。

 ……そのついでに、自分の権能を使ってこの人形の贈り主が生きているかどうかの確認をしても?」


 すると、今度は一変して興味深げな顔になる。

 風の精霊だけあって、気持ちの切り替えは早いようだ。


「ほう、さすが智の神の眷属。

 実に面白い。

 そのようなことができるというのならば、ぜひやってみてくれたまえ」


「では、せっかくなのでこの場で確認させていただきましょう」


 俺は木彫りの熊をテーブルに置くと、メモ書きの束を取り出した。

 そして、いくつもある別れの詩の中で、劉商という詩人の送王永という詩に目をつける。


 よし、これがよさそうだ。

 俺は息を吸い、イメージを練り上げながらピブリオマンシーを発動させる。


 君去春山誰共遊……君が去ってしまったならば、春の山で誰と遊べはいいのだろうか。

 鳥啼花落水空流……鳥は鳴き、花が落ち、水の流れるもただ虚しいことよ。

 如今送別臨溪水……今、別れゆく君のために谷川を望むところにいる。

 他日相思來水頭……いつか想いが募れば、この流れる川のほとりに来るといい。


 イメージするのは、もし相手が存命であれば水が滴るという効果だ。

 さぁ、どうなる?


 木彫りの熊の反応を、俺とネグローニャが上からじっと覗き込んだ。

 すると、熊の小さな目から一筋の涙が零れ落ちる。

 よし、反応した!


「トシキとやら、これはどういう意味だ?」


 俺の表情から、何かを察したのだろう。

 ネグローニャは期待するかのような声で俺に尋ねた。


「おそらくですが……水が滴ったという事は、存命しているということでしょう。

 涙としてこぼれた意味はわかりませんが、滴る量からするとかなり衰弱していると思われますね」


 すると、その台詞が終わる前に彼女は俺の手をつかむ。

 そして世界に響けとばかりに大きな声で、役者のように手を広げて告げた。


「行こう! 友を助けなければ!」


「ですが、どこへ?」


 そんな俺の疑問に、彼女はにやりと笑って答える。


「エルフのところだ。

 前々から、奴らは何か隠しているのでは無いかと私は睨んでいた。

 友が生きているとすれば、奴らが知っている可能性が一番高い!!」


 なるほど、たしかにその可能性は高いだろう。

 彼らは先代の森の神を崇めていた神官の末裔。

 下手をすれば、当時の神官がそのまま生き残っている可能性すらある。


「では、その方向で動くとしましょう。

 ただし、すぐには無理です」


「なぜだ!

 連中の居場所なら、私の力ですぐに突き止める!

 移動手段も私に任せたまえ。

 その小さな翼で飛んで行くよりも早く、彼らの元へと君を届けよう!!」


 ネグローニャがテーブルを平手で叩いて抗議する。

 だが、俺は静かに首を横に振った。


「準備が必要だからですよ。

 排他的な彼らに真正面からぶつかっても、拒絶されるのは目に見えてますからね。

 彼らが素直になれるよう、手土産の一つは準備したほうがいいと思いますよ」


「ふむ、言われて見ればそうだな。

 貴殿にお任せしよう」


 食糧難に苦しんでいるだあろう彼らを思い浮かべ、俺はしらずと唇の端に笑みを作っていた。

 おそらく頑固な連中だと思うが、食料をチラつかせれば話しぐらいは聞いてくれるだろう。


 さて、食料を作るならば精霊より妖魔たちのほうが得意そうだな。


「仲間に協力をお願いしてきます。

 貴女は、しばらくこの浮遊図書館の中で待っていてください」


 そう告げてから、俺はこの部屋を後にしたのであった。

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