第107話 前門のアレと後門のソレ

 俺が上空に逃れてすぐである。

 ズズンと、地震のような揺れが後ろ襲いかかってきた。


 空中にいる俺の体が震えるとか、どんだけすごい衝撃だよ。

 怖いもの見たさで後ろを振り返ろうと思ったが、すんでのところで思いとどまる。

 なんというか、今ポメリィさんと目を合わせるのはちょっとまずいかもしれないからな。


「あ、あの、すいません。

 私たちはどこに向かっているのでしょうか?」


 俺が翼をはためかせて高度を上げていると、俺の腕の中から控えめな声でお姫様が尋ねてくる。


「あぁ、実はこの雲の上に私たちの拠点があるのです。

 貴方の身柄は、一旦そこで保護させていただきます」


「雲の上ですか?」


 信じられないといった顔で彼女が呟いたその瞬間、再び大地と大気が揺れた。

 どうやら、ポメリィさんが暴れているらしい。

 ひゃー、おっかねぇなぁ。


「うー、すごいねアレ。

 本当に人間?

 正体は大怪獣って言われたほうが納得できるんだけど」


 そんな台詞を吐いたのは、いつの間にか近くに来ていたヴィヴィだった。

 お前、実は飛べたのかよ。

 まぁ、精霊だし、わりとなんでもアリだよな。


「あ、ヴィヴィ。

 このまま飛んで浮遊図書館に戻ると、風が冷たくてお姫様が風邪をひいちゃうから、迎えを呼んでくれると嬉しいんだけど?」


「……その必要はないみたいよ?

 ほら」


 その言葉と共に、雨雲が割れて一艘の船が降りてきた。

 しかも、大地をあらわす金色のオーラを纏っている。


「うげっ」


 お姫様の前だというのに、俺の口から思わず下品な声が漏れてしまった。

 あのオーラの色と質感は、たぶんアドルフだろうな。

 まずい。 捕まったら、いったい何をされるか知れたものではない。


「前門のアドルフに、後門のポメリィさんか……」


「自分でやったことのツケでしょ?

 せいぜいがんばって始末をつけることね」


 ケラケラと笑いながらヴィヴィは先に進んでいった。

 くぅっ、ほんとにどうしよう。


 アドルフに捕まったらどうなるか?

 たぶん、奴を振り切って出て行ったことへの報復は確実だ。


 まず、肉体を傷つけるような事はしてこないだろう。


 すると、おそらく精神的に苦痛をうけるようなことになるだろうが……。

 想像するだけで胸が苦しくなる。


 逃げるべきか?

 逃げるべきだろう。

 だが、お姫様を抱えた状態で逃亡は無理だ。


 なら、どうするか?

 俺が答えを思いつく前に、小型艇から光が放射される。

 な、なんだこの光は?

 なんか、ヌルッとしているというか、ドロっとしているというか、光にあるまじき質感を感じるのだが。


 うわっ、なんかこの光おかしい!?

 小型艇のほうに引き寄せられるんですけど!?

 まさか、これは……トラクタービーム!?


「ファンタジーの癖にSFの技術を持ってくるとか卑怯だぞアドルフ!!」


「ファンタジー? エスエフ?」


 俺の言葉を理解できないお姫様が首をかしげているようだが、その疑問に答える余裕は無い。

 謎の光は俺の体をどんどん小型艇のほうへと引きずってゆく。

 

 やがて、小型艇の操縦者の顔が確認できる距離まで近づくと、そこには予想通りの顔が悪魔の微笑みを浮かべていた。


「……誰か、助けて」

 俺の求めに応じる声はなく、かわりに小型艇からいくつも鎖が伸びて俺の体に絡みつく。


「え、あの、これ、大丈夫なんですか?」


 心配げにそう尋ねるお姫様に、俺は精一杯の強がりで笑顔を作って見せた。


「君は大丈夫」

 でも、俺は無理だろう。

 フロントガラス越しに俺を見るアドルフの顔が、お前は絶対に許さないと告げている。

 やがて至近距離まで近づくと、小型艇のサイド部分がパッカリと割れた。

 そして鎖に引きずられるまま、俺は小型艇に回収されたのである。


「とーしーきぃぃぃぃぃ!

 勝手に出て行きやがって!

 もぅ、逃がさねぇぞ!!」


 小型艇の中にはいると、すぐさまアドルフが鼻息も荒く飛び出してきた。

 くっ、万事休すか!


「ったく、手間かけさせやがって。

 外は寒かっただろうに」

 

 そのままアドルフは俺をつまみ上げ、逃げた飼い猫を捕まえたときのようにガッシリと抱きしめる。

 うん、俺の扱いってこういう感じだよね。

 硬い筋肉に抱きしめられるよりも、もっとやわらかい方に抱きしめられたいのですが、ダメですか。


「あ、あの……お二人はどのような関係なのでしょうか?


 なぜかキラキラした目で俺たちを見るお姫様だが、それはどういう意味でしょうか?


「暑苦しいほど愛されてはいますが、みての通り家族愛みたいなものです」


 正確にはトチ狂った動物好きがモフモフにむける愛情だとは知っているが、俺の口からは絶対にいいたくない。

 認めたら、自分の中の何かが壊れそうな気がする。


 俺の顔と、やんちゃな飼い猫を抱きしめるようにガッチリと俺を抱えたアドルフの顔を難度も見比べ、お姫様は僅かに首をかしげた。

 その顔が、何か残念そうに見えたのは俺の錯覚だと思いたい。


 すると、ふとお姫様が何かを思い出したような顔になる。


「あ、そうですわ。

 助けてくださってありがとうございました。

 すっかり自己紹介が遅くなってしまいましたが、私、地方都市サラサデールを治めますシュード男爵家の娘で、マリベール・ダグハウト・シュードと申します」


「これはご丁寧に。

 自分は智の神に仕えるスフィンクスの一人で、トシキともうします。

 自警団員ジスベアードの願いにより、お救い申しあげました」


 結局、お姫様の前では活躍させてやることができなかったからな。

 このあたりはしっかりと伝えておいてやらなければ。


「まぁ、ジスベアードが?

 お父様にも、この件については報告させていただきますわね」


「とりあえず、お疲れでしょう。

 今日のところは、我々が所有する船でお休みください」


 ……と、ここで一礼したいところだが、アドルフに抱えられたままではそれすらままならない。

 かといって、アドルフが手を離してくれるとは思えないしな。

 ちらりと奴の顔に目を向けると、俺を捕らえる力がギュッと強くなった。

 痛いって。

 もう逃げないから、それやめろよな。


「船……ですか?」


 ふたたび、不可解なことを聞いたとばかりにお姫様が首を傾げるが、たぶん実物を見ない限りは理解できまい。

 やがて浮遊図書館が雲間から見えるようになると、彼女はポカンとしたまま動かなくなった。

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