第82話 妖魔たちの怒り

 最初に怒りを見せたのは、ドランケンフローラだった。


「のぉ、主ら。

 森はいつからお前たちの物になったのじゃ?

 かの森の守護者である我に聞かせてはくれぬか?」


 背筋にゾッと寒いものが走るような声と共に、彼女は唇を吊り上げて笑った。

 恐怖を感じてか、民衆の声と足が止まる。


「まるで森を自分たちのものであるかのような物言い、実に不愉快であるぞ」


「これはちょっと、お仕置きが必要ですね」


 アンバジャックは俺を背中からおろすと、ドランケンフローラと共にゆっくりと前に歩き出した。

 何も知らないジスベアードがそれを留めようとするが、アンバジャックの太い腕であっさり押しのけられる。


「お、おい! 下がってろ!!

 何をする気だ!?」


 ジスベアードの問いに答えず、アンバジャックはいつもののんびりとした口調で民衆に告げる。


「貴方たち、木がほしいのですか?」


「ならばいくらでもくれてやろう。

 己の身でタップリと楽しむがいい」


 ドランケンフローラが悪意タップリに呟いた瞬間、異変は始まった。


 最初の異変は、音である。

 わりと小さな、何か硬いものを踏んで割ってしまったような音が、罵声と怒号の合間を縫って耳に響いた。


「うわぁぁぁぁぁぁ!

 俺の、俺の指が!?」


 つづいて、群集の中から悲鳴が沸きあがる。

 見れば、先ほど高見の見物を決め込んでいた騎士の一人が、うずくまって手を押さえ、悲痛な声を上げていた。


 そして俺が何が起きているのかと覗き込むより早く、群集の頭上を突き抜けて細い枝が高く伸びる。

 よく見ると、その枝葉はうずくまった騎士の指から伸びているではないか。


「どうですか? 樹木になった気分は。

 もちろん嬉しいですよね?

 あれだけ熱烈に求めていたのですから」


 まるで風呂の湯加減でも聞くように、柔らかな声が尋ねる。

 だが、かえってきたのは悲鳴でしかなかった。


 民衆は一瞬で青ざめて、その中の一部がこの場から逃げようと走り出す。

 状況についてゆけず、誰かに突き飛ばされて転んだ誰かが、後から来た誰かに踏み潰されて悲鳴を上げた。

 その痛みの声でさらに民衆は深い混乱に陥ってゆく。


 こいつら、もしかして呪いやがったか!?

 呪詛……怒りと憎悪を元に、世界を捻じ曲げておぞましい現象をもたらす力。

 妖魔たちが得意とする事は事前に聞いていたが、なんとも恐ろしい代物である。


「聞け、愚かなる人の子らよ。

 森の木々はお前らのためにあるものではない。

 その傲慢、自ら樹木となることで思い知るがよかろう」


 うわぁ、こいつら怖ぇ。

 ケラケラと笑うドランケンフローラの表情には、欠片ほどの慈悲も無い。

 まさに妖魔の本性丸出しだ。


「だ、誰か! 俺を神殿へ……呪いを解いてくれ!!」


 すでに腕が丸ごと樹木に変わってしまった騎士が、周囲を見回してそう叫ぶ。

 だが、その場にとどまっていた同僚の誰もが静かに首を横にふるしかなかった。


「むりだ、こんな強烈な呪詛……こんな田舎町に解ける奴いるはず無いだろ!」


「それこそどっかの大きな街の司教に山ほど金貨でも積まないと」


 うわぁ、ご愁傷様である。

 なお、今も呪いは進行しており、すでに肩のあたりまで木になってしまっているようだ。


「くそっ、こうなったら全身木になって動かせなくなる前に、どこか邪魔にならないところに植えるしかない!」


「そんな……たのむ、見捨てないでくれ!」


 敵とはいえ、そのあんまりな扱いに、見ている俺の方がつらくなる。

 なぁ、許してやらないか?

 そんな思いをこめてアンバジャックの顔を見るが、奴はゆっくりと首を横に振った。


 だが、そこで遠巻きに見ていた民衆の中からこんなことを言い出す奴が現れたのである。


「おい、あんたら森の神に仕える騎士だろ?

 なんで木の呪いに掛かってるんだよ」


「それは……」


 その言葉に、騎士たちは答えを言いよどんだ。

 たしかに森の神に仕える者ならば、この手の呪いには強い耐性があってもおかしくはないだろう。


 ちなみに俺にも智の神の加護があり、精神にかかわるものや隠蔽魔術、あとは幻覚の魔術などはほぼ効果が無いらしい。

 前に記憶を覗こうとしたときも、上級精霊たちが七人がかりでやっと記憶をこじ開けることができたほどだったらしいからな。


「もしかしたら、普段の欲深い行動が原因で森の神から見限られているんじゃ?」


 その言葉に、民衆がざわめく。

 なお、ジスベアードが背中に回した手でこっひり親指を立てているところを見ると、民衆に紛れ込ませたこちらのスパイかも知れない。

 妖魔の呪いに便乗して相手を落としいれようとするとか、大人のやる事はえげつないねぇ。


 そしてそこにアンバジャックが微笑みと共にこんな一言を追加した。


「よかったら治して差し上げますよ?

 ただし、森の神の信仰を捨てるならばですが」


「捨てる信仰が残っていればよいがのぉ」


 さすがにこの言葉は看過できなかったのだろう。

 神殿騎士たちは一斉に武器を構えた。


 同時に、自警団の連中も武器に手をかける。

 ジャラリと金属のこすれる音に横を見れば、ポメリィさんもまた愛用のモーニングスターを握り締めていた。


「やる気か、ボンクラ騎士共。

 そもそも、この事態は森の神殿が智の神の使いであるトシキ殿に対して無礼を働いたのが原因だ。

 森から木が無くなったのは、トシキ殿を守護する地の精霊による報復……このような振る舞い、精霊の怒りを深めるだけだとなぜ気付かない」


 ジスベアードの威嚇に一瞬迷いを見せるものの、神殿騎士たちはふてぶてしい笑みを貼り付けなおして嘲笑う。


「何を言い出すかと思えば、世迷いごとを。

 お前の言葉が真実だという証拠がどこにある」


 この期に及んでまだそんなことを言うのかよ。

 なんて馬鹿馬鹿しい。

 それが真実である事は、お前らもよく知っているだろうに。


 思わずジスベアードのほうを見ると、奴もまたおぞましいものを見たといわんばかりの顔で軽く頭を振る。

 そして、痛ましさすら感じる声で告げた。


「そんなものを出す必要はないな。

 これ以上無礼を働けば、更なる神罰を持って真実を理解することになるだろう。

 なんだったら、試してみればいいじゃないか」


 その言葉に、神殿騎士たちの顔が僅かに汗ばむ。

 同時に、地面がゴゴっと僅かに震えた。

 奴め……見ているな。

 妖魔たちが呪いを発動したことに、精霊であるアドルフが気付かないはずは無い。

 たぶん、呪詛の波動を感知して、人ならざる目でこちらの様子を伺っているのだろう。


 だが……天罰や呪いといったものはもううんざりだ。

 しかたがないから、この俺がじきじきに助け舟でも出してやるか。


「おい、トシキ」


 前に出る俺をとめようとし、ジスベアードが手を伸ばす。

 だが、俺はその手を振り払って前に出た。


「お伺いしますが……この行動が神の御業だと本気で思ってらっしゃるので?

 だいたい、私の行動が気に入らないならば、なぜ直接神罰を与えてこないのですか?

 町の人間が迷惑するようなやり方は、神にあるまじき行為。

 とても森の神の意志とは思えませんね」


「何を言うか! この異教徒め!!」


 だが、俺は目を細めて反論してきた騎士を視線で刺し殺す。

 そして、脂汗をかいている彼らにむかって告げた。


「一度、神にその意志を問い直すことをお勧めします。

 そもそも、智の神からは話はついていると伺っておりますが、何か行き違いがあったのではないですか?


 むろん、ハッタリである。

 だが、この程度で口を出すほどうちの神は暇じゃない。


「そ、そんな話は聞いていない!」


「だから、問い直すことを進めているのですよ。

 騎士に過ぎない貴方たちには無理でしょうから、神官たちにお尋ねになるといいでしょう」


 その後、しばらく騎士たちは迷いを見せたが、分が悪いことを悟ったのだろう。


「くっ……忠告に従い、今一度神官殿に神の意志を確認しよう。

 だが、お前の言ったことが嘘であれば、そのときこそ覚悟するがいい!!」


 そんな捨て台詞を吐き、奴らは引き上げていった。

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