第42話 出でよ、百姓

 翌日、目を覚ますと体がバキバキになっていた。

 しかも、部屋の温度がかなり寒い。

 吐く息は白く、凍えた手足を揉み解そうとして触れた肌は、氷のように冷たかった。


「うー、なんでこんな寒いの……。

 無理。

 ちょっとこの生活は無理だ」


 愚痴をこぼしながら上体を起こすと、足の鉤爪がコンクリートの床にあたってカチャリと音をたてた。

 たぶんこの気温で風邪を引かないのは、フワフワでモコモコなこの獣の下半身のおかげだろう。


「あー、なるほどね。

 なんでこんな寒いのかと思ったら、壁は断熱したけど床の断熱を忘れていたのか」


 肉球が床に触れた瞬間、俺はこの寒さの原因を理解する。

 凍える足先をマントの中にひっこめて暖めながら、俺はこの生活環境の悪さについて考える。

 野宿だけでもかなり無理があるのに、さらには旅までしなくてはならないのか……と。


 とてもじゃないが、素人である自分ひとりでは無理だ。

 誰かの助けが必要である。


「……となると、さっそく守護者の出番だな。

 生活の改善なんて俺には無理!」


 せっかく智の神からもらった力である。

 最大限に活用させてもらおう。


 取り出したのは、この世界に来てから一番付き合いの長い本……森暮らしの書だ。

 この本を守護者にすれば、野外での生活は格段によくなるに違いない。


 なお、守護者創造の発動条件は、その本を最初から最後まで読み終わっていること。

 そんな条件なら、この世界にきた初日に満たしている。


「智の神の叡智と威光において、智の眷属たる書物に命ず。

 我が呼びかけに応え、我に仕えるべし。

 汝が智は力となりて、共に栄光の道を歩まん」


 俺が本を手に祝詞を唱えると、光と共に一組の男女が目の前に現れた。

 一人は三十歳ぐらいの、優しげな雰囲気をまとう女性。

 そしてもう一人は同じぐらいの年代の、精悍な男性である。


 なぜ二人?

 そう口に出すより早く、二人の守護者は俺の前にかしずくと、丁寧な口調で名乗りをあげた。


「主の願いにより参上しました。

 百姓の智の化身、イオニス・シーモアと申します」


 これは男の守護者。

 背中には弓、腰には山刀をさしており、なかなかにかっこいい。


「同じく主の願いにより参上しました。

 百姓の智の化身、ヨハンナ・シーモアと申します」

 

 こちらは女の守護者。

 ビクトリアンスタイルのメイド服を纏っており、腰にはこまごまとした道具でも入っていそうな袋を提げている。


「おおお、しゃべったぁ!

 ……ところで、なんで二人なんだ?

 本は一冊だったはずなのに」


 すると、イオニスがなんでもない事のように答えた。


「私たちは同じ百姓の化身ですが、それぞれ家の中と外における知識を担当しております」


 その衣装からすると、おそらくはイオニスが野外担当。

 ヨハンナは屋内担当といった感じだろう。


 しかし、百姓とはな。

 彼らの名乗りに、俺は関心するしかなかった。


 本来の百姓とは農民のみを示す言葉ではない。

 税を納める側の人民全て……つまり自らを百姓と名乗ることは、庶民の携わる全ての能力を持つという意味なのだろう。


「違う体と名を持っていますが、その根本はひとつの同じ存在だとご理解ください」


「なるほど……とりあえず真の名を隠すために、ヨハンナ、イオニスと呼ぶことにするよ」


「お気遣いありがとうございます」


「では、早速ですが主が旅をするために必要なものを作成いたしましょう」


「申し訳ありませんが、今日一日はこの森の中でお過ごしくださいませ」


 二人は交互にそう告げると、俺の判断を待つかのように微動だにしなくなった。


「うん、わかった。

 よろしくたのむ」


 すると、最初に動いたのはヨハンナだった。


「主様、この枯れ草をいただいてかまいませんか?」


「かまわないけど、何するの?」


「籠を編みたいので、まず縄にしようと思います」


 すると、ヨハンナは入り口につめておいた枯れ草に手を伸ばし、それをひとなでする。

 ただそれだけで、次の瞬間にはそれが縄になっていた。


 ……え、なにこれ?

 魔術?

 でも、呪文どころか唇すら動いてなかったぞ。


 つづいて縄をひとなですると、今度は手品を見ているような速さで籠が編みこまれていた。

 何をしているのかまったくわからない早業である。

 もはや某三分の料理番組であらかじめ作っておいたものと交換するシーンを見ているようだ。


「なんか……魔術みたいだな」


「これがわたくしの専門でございますので」


 俺がボソリと台詞を漏らすと、ヨハンナはどこか自慢げな響きのある声でそう答えた。


「主様、ドアをお持ちしました。

 取り付けてもよろしいでしょうか?」


 すると、こんどはイオニスである。

 いつの間にか外に出ていたらしく、外から声をかけてきた。

 しかも、手には真新しい木製のドアがある。


 俺が行動許可を出してから、わずか二分ほどのことである。

 対応が早すぎて、わけがわからない。


「……よ、よろしいんじゃないでしょうか?」


 俺はわけのわからないまま、震える声でそう告げるしかなかった。


 そのあとも、理解できないスピードでどんどんと用意が整ってゆく。

 まず、家の中にヨハンナが竃を作ったとおもったら、イオニスが木でできた桶に水を汲んでもってくる。

 すると、いつの間にか鍋と茶器を作ったヨハンナがお湯を沸かして茶をいれてくれるのだ。

 茶の材料に関しては、イオニスが森にあったハーブをつんできたものらしい。


「この森はあまり食料が豊富ではないようで、粗末なものしかご用意できませんでしたふがお許しください」


 もはや抵抗する気も理解する気力もないまま、俺は与えられた茶をすする。


「……うまい」


 それは日本茶の味ではなかったが、スッキリとした酸味と

 この世界にきた初日に自分でいれた激マズ茶とはえらい違いである。


 しかし、守護者二人が優秀すぎてやることがないな。

 こんなことならば、本の一冊でも余計にもってくればよかった。


「あ、そうだ。

 こんなときこそアレだよ」


 俺は外に出ると、木の棒を使って地面に円を描いた。


「智の神の叡智と威光において、精霊に願う。

 新たなる書を記さんがため、我が呼びかけに応えよ。

 来たれ、地霊フェリファーロ・ロセ=レ・アフリーリャ」

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