第17話 精霊との交渉
いよいよ精霊辞典をつかいはじめた俺だが、それをつかってすぐに精霊を呼び出すというわけにはゆかなかった。
なぜなら……。
「とんでもない量の情報だな。
ついでに見た目とページ数がぜんぜんあってない気がするぞ」
ページをめくった先は、日本語と原文の両方で精霊の真の名とその特徴が簡単に記されているのだが、これがまた電話帳並みに情報量が多いのだ。
しかも、並び方がアルファベット順で統一されている感じらしい。
自分の目的にそった精霊を探すとなると、これではいまいち使いづらかった。
……まぁ、一人の精霊が複数の能力を持つこともあるのだろう。
そうなると、同じ精霊の名前がいくつも出てくる可能性があるから、能力別で記すと紙面の効率わるいのか。
これは目的ごとに精霊をえりすぐった版を出すことを智の神に提言したほうがいいかもな。
そんなわけで情報量の多さに苦労しながらも、俺はようやく目的にそった能力を持つ精霊の名を見つけ出す。
建築能力に長けた精霊の中で、一番最初に出てきたのが彼だった。
「えっと、まず精霊を呼び出す場として、円を描くんだったな」
俺はその辺に落ちていた棒を使い、苔の上に円を描く。
このとき、自分が円をまたぐようなことになってはいけない。
なぜなら円は囲われた場所を世界の断りから切り離すという意味を持ち、それをまたぐという行為は、せっかく切り離した空間の壁を壊すという行為になってしまうからである。
「うーん、ちょっといびつになっちゃったけど、これでなんとかなってくれるといいな」
俺は自分の描いた円の不出来具合に苦笑しつつ、ふたたび精霊辞典を開く。
そして付箋をたどって目的の精霊の名前を確認すると、ライティング・リクエストの
「智の神の叡智と威光において、精霊に願う。
新たなる書を記さんがため、我が呼びかけに応えよ。
来たれ、地霊エアルドフリス・ドゥ=ベールス」
呼びかけが終わった瞬間、俺の描いた円が金色に輝く。
そして円の中心に砂が湧き上がったかと思うと、その中から細身で筋肉質な男が現れた。
「……なんだお前。
スフィンクスの子供か?
最初に言っておくが、俺は建築が専門だぞ。
攻撃の魔術がほしいなら、ほかの奴をあたんな」
頭に頭巾のような形でバンダナを巻いたその精霊は、俺を見るなりつまらなさそうな声でそうはき捨てた。
しかし目つきがすごいな。
こんなのと細い路地であったら、反射的に逃げることを考えるぞ。
「いや、建築が専門だからこそお呼びしたのですよ。
実はこの廃墟になった寺院を再建するよう智の神から仰せつかいましてね。
建物を修復するための魔術書が欲しいんですが……依頼を引き受けてくれないでしょうか?」
すると、精霊の目が大きく開いた。
どうやら驚いているらしい。
「珍しい奴だな、お前。
戦闘に役立つような魔術以外の執筆を依頼してきた奴は、俺が知る限りお前が初めてだよ」
え?
そうなの?
「地の精霊を呼び出しておいて、執筆依頼するのが攻撃魔術だけなんて……馬鹿じゃないですか?
そんな使い道の少ない魔術、すでに巷にあふれているでしょ」
この世界の魔術師たちの愚かさに、思わず口から本音が漏れる。
すると、さきほどまで苛立っていたように見えた精霊が、精悍な顔に笑みを浮かべたではないか。
「じゃあ、お前はどんな魔術がほしいんだ?」
「そうですね、さし当たって欲しいのはこの神殿の柱の皹を消す魔術ですかね。
石材に対する治癒魔術みたいなのがほしいです。
あ、その前に建物の傷や痛みを調べる魔術がほしいですかね?」
実際そんな魔術があれば、建築関係で引っ張りだこでしょ。
それだけでいい商売になりそうだし。
人を傷つける魔術なんかよりよほど有意義で役に立つよね。
「くくく……面白い奴だな、お前。
その執筆依頼、ぜひ引き受けさせてもらおう」
「ありがとうございます。
ですが、実は報酬のほうがあまり出せなくて……」
俺がそう切り出すと、精霊はなんでもないといわんばかりに肩をすくめた。
「あぁ、そういうことか。
だが、俺たちにとっては人間の持っている金なんぞ、最初からたいした意味は無いぞ」
なるほど、言われて見ればお金なんて人間の社会の中だけで通用するものである。
では、精霊にふさわしい報酬とはなんだろうか?
すると、精霊は腕を組んで考えた後にこんな提案を出してきた。
「そうだな……報酬として、俺が本を書くときのペンネームをお前が考えてくれ。
俺の力を用いた魔術を使うときにも、その名前で呼びかけるように設定しよう。
あと、俺は頭に巻くバンダナの蒐集家でね。
後払いでかまわないから、新しいバンダナがほしい」
おお、それならば俺でも十分に用意できるぞ。
バンダナにする布地のほうは、
「では、できるだけ早いうちに準備しましょう。
さしあたって名前ですが……アドルフ・ローマンでどうでしょう?
アドルフはアナタの名前からもじって。
ローマンは、自分の知る建築能力に優れた古代の国家からつけました」
「アドルフ・ローマンか……。
いいな。
俺のことはこれからアドルフと呼んでくれ。
執筆依頼もガンガンくれると嬉しい」
「こちらこそよろしくお願いします。
なにぶんまだ図書が無いどころか建物の修復すらできていない図書館ですからね。
建築関係の本も、いずれたくさん必要になるはずです」
「よし、わかった。
すこし待ってろ。
お望みの魔導書はすぐに書きあげてやる」
そう告げると、アドルフは精悍な笑みを浮かべたまま手を軽く振った。
そして別れの言葉もなしにその場から消える。
やがて数分ぐらい待っただろうか?
ふたたび円が輝いて、砂の中から三冊の手帳サイズの本が現れた。
添えられた手紙には、『新しき友に捧ぐ』のメッセージと、アドルフ・ローマンの署名が誇らしげに記されている。
新しき友か。
悪くない響きだ。
「おお、これが魔導書か」
俺は本を手に取り、その中を読もうとしたのだが……。
「あ、これ、さっぱり読めない」
魔導書の中は、見慣れないこの世界の文字で埋め尽くされていた。
そうだよな。
俺をこの世界に送り込んだ智の神は日本語知っていてもおかしくないけど、地の精霊は日本語を知らなくて当たり前である。
「とりあえず
おそらく今頃は退屈しているであろう護衛のおっさんと話をすべく、俺は神殿の外へと足を向けた。
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