仕事前のちょっとした出来事
昨日は家の中に入ってすぐログアウトした。
とりあえず何かしようと思ったんだけど、ファムさんも居なくなっちゃったし、何をどうしたらいいのかさっぱりわからなかったし、まぁ、しょうがないといえばしょうがないってことで。
◇◇
んで、朝。
今日の俺はいつもより早く出勤していた。
俺の会社……っていうか、俺の部署は毎朝当番を決めて早出する奴を決めている。
ゴミ箱は入り口横に全員共用のが1個だけあるんだけど、そのゴミ捨てとみんなの机の上の拭き掃除。
あとは、コーヒーメーカーをセットしていつでもコーヒーが飲める状態にしておくって作業が主な仕事になる。
他の部署では若い女の子だけにやらせている部署がほとんどなんだが……このご時世、そんな差別的なことばかりしてるのもあれなんで、俺の部署では、俺の決断で持ち回り制を導入した。
もちろん、言い出しっぺの俺もそのローテーションに加わっている。
責任者だからって例外はなしだ。
そのおかげで、部下のみんなからも苦情は出ていない。
小鳥遊もすでにこの朝当番を何度かこなしているけど、とりあえず今のところ問題は起こしていない。
はじめて小鳥遊が当番になった時は、さすがに心配になって少し早めに出勤してみたんだが……小鳥遊の奴、ジャージにマスクにゴム手袋という超完全武装で作業をこなしていたもんだから
『こいつってばホントに期待を裏切らないよなぁ』
って、思わず苦笑してしまったわけなんだけど……
そんな事を思い出しながら、今日が当番だった俺は朝当番を手慣れた手つきで終わらせ、
「さて、コーヒーでも……」
そんな事を口にしながら洗い場へ向かおうとしたんだけど……
ドタドタドタ
「……ん?」
なんか、廊下の方からすごい足音が聞こえてきたか思うといきなり部屋の戸が開いて、小鳥遊が部屋の中へ駆け込んできた。
「なんだ小鳥遊か。今日は早いんだな」
笑顔でそう声をかけた俺に向かって、小鳥遊がすごい勢いで駆け寄ってきたんだけど……どうしたんだ、こいつ? 耳まで真っ赤になって、あたふたと両手を動かし続けているんだけど、口をパクパクさせるばかりで一向に言葉を発しようとしない。
他の奴には相変わらずコミュ障全開でまともに会話の出来ない小鳥遊なんだけど、俺に対してだけはそれなりに話が出来るようになってたはずなんだが……
んで……俺の前で顔を真っ赤にしながら両手を動かし続けていた小鳥遊なんだけど……しばらくするとスマホを取り出して俺の前に突きつけてきた。
「……ん? こりゃあスクリーンショットってやつか?」
そこには、ディルセイバークエストのゲーム内の様子を撮影した画像が表示されていたんだが……これって、俺が昨日手に入れた農村の家の画像じゃないのか?
「あれ、小鳥遊、お前俺の家を見に行ったのか? ちょうど昨日……」
俺が笑いながら話を続けようとすると、小鳥遊はその画像の一部を拡大して再度俺に突きつけてきた。
その画像には家の表札部分が拡大されていて、
『フリフリ』
『エカテリナ』
って名前が並んでいる。
「あぁ、そうそう。あのゲームの中では夫婦なんだし、まぁいいかなと思って……」
後頭部をかきながら照れ笑いをする俺。
そんな俺の前で顔を真っ赤にしたままの小鳥遊なんだが……なんか、固まってるような気が……
「……あの……ひょっとして嫌だったのか? なら、今夜インした時に書き換えて……」
「か、変えないで!」
「え?」
俺の言葉を遮るようにして声をあげた小鳥遊。
なんか瞬間的に俺に近づいて来たんだけど……その……なんだ……小柄な割にでかい胸が俺の体に思いっきり当たっていてだな……なんというかポヨンとしていて……
で、胸が俺に当たっていることに気がついたのか、小鳥遊は両腕で胸を抱えながら慌てて後ずさっていく。
「……ととととにかく……ひひひ表札はあのままでいいけど……かかか勘違いしないでくださいね……ああああくまでも私と係長はげげげゲームの中でだけのふふふ夫婦……」
「おはようございます」
「うひゃあ!?」
言葉の途中で、部屋の中に誰かが入ってきたもんだから、小鳥遊の奴ってばその場で思いっきり飛び上がったかと思うと、そのまますごい勢いで部屋を出ていってしまった。
んで、室内に取り残された格好になった俺は、室内に入ってきた人物へ視線を向けたんだけど……
「あれ? 東雲課長?」
そう、それは人事部の東雲春(しののめ はる)課長だった。
俺より10近く年下でありながら課長に抜擢された超エリートさんだ。
「こんなに早くに、どうかされたんです?」
「いえ……今日、確か武藤係長が早当番だったと思いまして……少しお話をと思って立ち寄らせて頂いたのですが……お邪魔だったかしら?」
そう言いながら、小鳥遊が駆けだしていったドアへ視線を向けている東雲課長。
「お邪魔も何も……別にそんな込み入った話はしてなかったんですけどね。まぁ、ご存じだと思いますけど、小鳥遊の奴ってば人付き合いが苦手なもんですから、急に東雲課長が現れたもんだからびっくりしたんでしょう」
「そうですか」
俺の言葉に、大きく頷く東雲課長。
まぁ、普段の小鳥遊を知っている人なら、今の説明で十分納得してくれるだろう。
「それでですね、お話というのが、その小鳥遊さんのことなんです」
「小鳥遊の?」
「えぇ……人事でもちょっと話題になっているんですよ……あの小鳥遊さんの事で武藤係長から何も言ってこられないって」
そう言ってにっこり笑う東雲課長。
あぁ、なるほどな……あんだけのコミュ障な小鳥遊のことだ。
今までの職場で上手くやれていたとは思えない。
人事も、それを承知で採用したみたいだし……だから、あいつを押しつけられた俺が何か言ってくると思っていた……にも関わらず、いつまで経っても、何も言ってこないもんだから、東雲課長に様子を探ってこいって命令が下ったってとこかな。
「まぁ、今のところ特に問題はないですよ。 電話に出ようとしないのと、同僚達と一切話をしようとしないこと以外は問題ありませんしね。頼んだ仕事はきっちりこなしてくれていますし」
これは事実だ。
小鳥遊には主にデータ入力作業をお願いしているんだが、今まで間違ったことが一度もない。
それどころかデータ入力の速度で言えば、ウチの部署で一番早いと言っても過言じゃないほどだ。
ただ、まぁ、集計以外の作業では相変わらずケアレスミスが多いし、どんなに周囲の奴が忙しそうにしていても、定時きっちりに自分の仕事を済ませて即座に帰ってしまうのはあれなんだが……まぁ、それにしても周囲が見えていないというか、忙しそうにしている同僚にどう声をかけていいのかわかっていないだけかもしれないしな。そこは少し長い目で見てやらないといけないと思ってはいる。
……まぁ、こんなのんびりした考えなもんだから、出世が遅いんだろうけどな……他の管理職達だったら、小鳥遊みたいな奴が部下にきたら間違いなく人事に転属させるように直訴するか、本人が転属を希望したがるように仕向けるかしていると思う……うん。
そういったあたりの人間関係ってこの数十年全然変わってないんだよなぁ……なんか、世知辛い話だけどさ。
「そうですか……やっぱり小鳥遊さんを武藤係長にお任せしてよかったです」
俺の言葉を聞いた東雲課長は、安堵したようなため息をついた。
んで……次いで、少し口ごもるような仕草をしていたんだが……
「あの……どうかしたんです?」
「あ、いえ……そ、その……これは聞き間違いかなぁ、と思ったりしているんですけど……さ、先ほどですね……大変失礼とは思いながらも、お2人の会話が少し聞こえてしまったのですが……小鳥遊さんが武藤係長がふ……あ、いえ、やっぱりなんでもないんです。じゃあ……」
なんかいきなり笑ってごまかしながら、東雲課長は部屋を出て行ってしまった。
「『小鳥遊と俺がふ……』って……なんだ? 東雲課長ってば、何を言いかけたんだ?」
そんな東雲課長が出ていった扉を見つめながら、俺は首をひねることしか出来なかった。
◇◇
で、まぁ……その後は、普通に仕事をこなした俺。
始業時間ギリギリに戻ってきた小鳥遊もどうやら落ち着いたらしく、いつものように手袋着用で入力作業をこなしていたんだが……ただ、気のせいか俺が声をかける度に顔を真っ赤にしながら慌てて立ちあがって、膝を机にぶつけたりしていたわけで……うん、そのあったりはいつも通りじゃなかったかなって感じだった。
いつものように定時になると、挨拶もそこそこに帰宅していく小鳥遊。
そんな小鳥遊を見送った俺も、
「急ぎの仕事はなさそうだし、じゃあ俺もお先に失礼するよ。みんなも早く帰れよな」
みんなにそう声をかけて部屋を後にした。
残業を減らすために、管理職は率先して帰れって会社の方針なもんだから、それを実践しているわけなんだけど……まぁ、それを愚直に守って、こんなに早く帰宅している管理職は俺だけだろうなぁ……ま、いいけどな。
いつもの電車に揺られながら、スマホを操作。
ディルセイバークエストの攻略ページをチェックしていく。
せっかくログインセットをもらったわけだし、それなりに遊ばないとと思ってあれこれ情報収集しているわけなんだけど……調べれば調べるほど、このVRMMOディルセイバークエストってゲームは俺に向いてないとしか思えない。
モンスター討伐に特化したゲームだけあって、どの攻略サイトを見てもモンスター討伐に関する情報ばかりで、農業や商業といった内政系の情報は公式サイトのヘルプにのっている以上の情報はほとんどない。
ゲームと言えばのんびり箱庭をしたり店を経営したり、みたいなゲームが好きな俺にとっては正直きつい……
なんだよ、この『足裁きの仕方』とか『効果的な剣の振り方』って……実際に体を動かさないといけないって、みんながみんなそんな広い部屋ってわけじゃないだろうに……
それでも昨夜寝る前に偶然見つけた『イース・クラウド』ってプレイヤーが作成している個人のサイトは、モンスター討伐だけでなく内政系の情報も結構書かれていて興味深い。
プレイの傍らに気がついたことや見つけたことを備忘録的に記事にしてあるんだけど、今まで見てきたサイトの中では内政系の情報がダントツに多いのでホント助かる。
「……それでも、NPCのファムさんの情報はないか……」
ファムさんを雇用するための残り2つの条件が載ってないかと思ったんだが……イースさんが記載している内政系のNPC一覧の中にファムさんの名前そのものがなかったんだ。
……でも、この人なら記事にしていないだけで何か知ってるかもしれないな……
「……個人的な質問を送信することも出来るのか……」
俺は早速、
『プレイヤー名『フリフリ』と申します。内政系NPCのファムさんについて何かご存じありませんか?』
質問を記入し、メアドを添えて送信しておいた。
イースさんの自己紹介に「IN時間は深夜帯がメイン」って書いてあったから、返事があるとすれば夜中か明日の朝かな。
そんな事を考えながら、いつもの駅で降りた俺は、コンビニで夕飯を買って家に戻っていった。
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