第198話 【貴族殺し】

「……! 来るぞ!」


 レベッカの警告にリズベットだけでなく、莱香も得物を構えて迎撃の体勢を取る。思いがけず湧いた好機だ。絶対に無駄には出来ない。



 瞬間、アグナスの姿が消えた。



「――くっ!?」


 ほぼ同時にレベッカが盾を構えた姿勢のまま大きく吹き飛ばされる。そしてそのまま中庭の壁に背中を打ち付けられて呻く。


 アグナスが凄まじい速さで踏み込んで素手で殴り付けたのだ、と莱香が理解した時には、再びアグナスの姿が消えて今度はリズベットの背後に出現する。


「後ろっ!」「……!」


 莱香の警告。リズベットが咄嗟に全力で障壁を張り巡らせる。直後にアグナスの拳が接触。鈍い殴打音が響く。


「ぐぅ……!?」


 背中を打たれたリズベットが前のめりに吹き飛ぶ。その厚い障壁によって重傷は免れたものの、それでもかなりのダメージを受けた事がその押し殺した悲鳴から察せられた。



 僅か数瞬でレベッカとリズベットの2人が強制的に排除されてしまった。莱香は冷や汗を垂らしながら太刀を構え直す。アグナスがゆっくりと莱香に視線を向ける。



「さて、邪魔者は退かしました。……【貴族殺し】とやらの力、どれ程のものか確かめさせて頂きましょうか」


「……!」


 アグナスの手に一本の剣が出現する。ここからは完全に本気という事だ。莱香は絶望に折れそうになる心を必死に奮い立たせる。


 アグナスが剣を振るった。剣が届く距離ではない。一瞬訝しんだ莱香だが、直後に背筋に凄まじい悪寒を感じて障壁を全開で張り巡らせる。


「ぐ……!?」


 衝撃。弾かれたように莱香はたたらを踏む。


(く……一体何が……!?)


 アグナスはその場から一歩も動いていない。再び剣を振るってくる。今度は充分に警戒していた莱香は、辛うじてそれ・・が見えた。


 鞭のようにしなる、細長い物体……。それが莱香の優れた動体視力で辛うじて影が捉えられるという程の速度で迫る。


「ぐぅ……!」


 再び障壁と接触した衝撃で身体がよろめく。攻撃そのものは弾いているものの、伝播した衝撃でダメージは蓄積する。だが2度も攻撃を受けた甲斐はあった。



「その剣……いわゆる蛇腹剣って奴ね……?」


「ほぉ……? たった2度で見切るとは。いや、それ以前に私の攻撃を2度耐え切るとは……流石は【貴族殺し】という所ですかな?」



 その手の中の剣は既に普通の形状に戻っている。だが間違いない。剣を振るう事によって刀身がいくつもの節に分節され、それぞれの節をワイヤーのような物体が連結している。それによって非常にリーチの長い、かつ変幻自在の攻撃を繰り出せるようになるのだ。


「だが……解った所でどうなる物でもありませんがね……!」


「く……!」


 アグナスが今度は連続して剣を振るってくる。分節した刃が縦横無尽に跳ね回って、不規則な軌道で莱香に襲い掛かる!


「ぐ……うぅ……っ!」


 目で追える範囲は何とか回避や太刀での受けを試みるが、そこは〈貴族〉が振るう武器。元々の速さが凄まじい上に文字通り四方八方から不規則に迫りくる刃を全て防ぐ事は到底適わず、非情の斬刃が次々と莱香の身体に衝突する。


 当然その度にダメージは蓄積して莱香の動きが鈍くなっていく。そうなると更に斬刃への対処が難しくなり、被弾が増える。するとよりダメージの蓄積が増え更に動きが鈍くなって……と、莱香は完全に地獄の悪循環に陥っていた。


 何とか距離を詰めたいが、斬刃の『弾幕』がそれを阻む。結果、戦闘は手の届かない位置から一方的に攻撃を受け続けるだけの拷問と化していた。



「はははっ! やはり噂の【貴族殺し】も、所詮はただの女という事ですかねぇ! 奴隷風情が我々〈貴族〉を殺すなどあってはならない事なんですよ!」


 アグナスが剣を振るい、莱香を嬲りながら哄笑する。


「あ、ああ……た、隊長……。負けないで……」


 光の網に囚われて、見ているだけのロージー達がすすり泣きに近い声を上げる。他の隊員達、そしてフラカニャーナら小隊長達も同様に、痛ましそうに目を逸らせている。


 クリスタが歯噛みする。何とか莱香に加勢したいが、3人の〈貴族〉の合作による拘束魔法から現状脱出する術がない。


 レベッカ達には直接攻撃していたアグナスが、莱香相手には蛇腹剣を使って遠距離からの消極的な攻撃に終始している。アグナスはその言葉とは裏腹に、莱香の力を非常に警戒しているのは間違いない。


 クリスタは自分の懐を探る。この場からは動けないが、それでも出来る事はある。問題はタイミングだ。援護できるのは一度きり。最も効果的なタイミングを見計らわなければならない。今の状況で行っても恐らく無意味だろう。


 何か……現状を打破する切欠が無ければ。クリスタがそう思った時……



 突如アグナスの周囲で空間が歪んだかと思うと、一気に弾けた!



「ぬおぉっ!?」


 思ってもいなかった奇襲にアグナスが怯む。見るとリズベットが上体だけを起こしながらアグナスに向かって手を翳していた。彼女得意の神気爆発だ。アグナスに察知されないように小規模な物だったが、それだけに奇襲効果は抜群だった。


「ぬ、おおぉぉぉぉっ!!!」


 畳み掛けるように気勢と共にアグナスへ突撃する白銀の軌跡……レベッカだ。いつの間にか最初の衝撃から立ち直っていたらしく、奇襲のタイミングを窺っていたようだ。


「ちぃ、雑魚どもがぁっ!!」


 不意打ちに激昂したアグナスがターゲットを変更して蛇腹剣を振り回す。


「ふっ!!」


 だがレベッカは驚異的な反応で蛇腹剣の軌道を見切って、その一撃を盾で防ぐ事に成功する。アグナスが調子に乗って莱香を嬲っているのを見ている内に、その軌道をある程度学習していたのだ。


 アグナスの目が一瞬驚愕に見開かれる。半分屈み込むような低い姿勢で肉薄したレベッカは、下段から剣を斬り上げる! ……が、その直後にアグナスの目が再び喜悦に歪む。


 強化魔法の度合いを強めたアグナスはレベッカの斬撃を軽々と躱すと、お返しとばかりにそのむき出しの腹に前蹴りを叩き込む。


「げふっ……!!」「レベッカ……!」


 肺から全ての空気を絞り出されて、レベッカの身体がくの字に浮かび上がり、そのまま放物線を描くように吹き飛んだ。凄まじい衝撃だ。恐らく障壁が無かったら、あの蹴りだけで腹が突き破られていただろう。


 胃液を撒き散らしながら自分の側にうつ伏せに倒れ込んだレベッカの姿に、リズベットが悲鳴を上げる。



「馬鹿どもが! 私を怒らせた罰です!」


 アグナスの空いている方の手に放電現象が発生する。電撃の魔法だ。レベッカとリズベットの2人まとめて感電させる気だ。


「ふはは! 今更後悔しても遅いですよ!?」


 哄笑しながらアグナスがレベッカ達に手を翳したその瞬間――


「っ!?」


 アグナスの目の前で火花が散った。瞬間的に眩い光が迸り、一瞬だけアグナスの視界を遮る。クリスタが手首の力だけで正確にアグナスの目元に投げつけた、目くらまし用のかんしゃく玉だ。


 〈貴族〉相手にまともに投げつけた所でまず当たらなかったろうが、レベッカ達に攻撃しようと意識を割いていた事、捕まっている虜囚の中から攻撃が飛んできた予想外などが重なって見事に命中した。


 といっても所詮は目くらまし。アグナスの視界は一瞬で回復する。だが……その一瞬で充分だった。



「あぃっ!?」


 アグナスが素っ頓狂な苦鳴を上げる。脇腹から胴体を刺し貫くように……莱香の太刀が突き刺さっていた。


「き……き……貴様」


 レベッカ達やクリスタが決死の思いで作り出してくれた隙である。それを無駄にする程、莱香は実戦不足ではなかった。



「はあああぁぁぁぁぁっ!!!」



 リカードとの戦いからより磨きを掛けて、発動の遅さだけはある程度克服出来ていた。太刀で縫い止められたアグナスに、莱香の身体から濃密な神気が拡散放射された!



「さあ、これがお望みの【貴族殺し】の力よ!」



「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!?」 


 アグナスの顔が本物の恐怖に歪む。そして口から泡を吹いて身体が小刻みに痙攣し……やがて動かなくなった。莱香が2人目の〈貴族〉を斃した瞬間であった。


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