第139話 赤い情熱
テーテュースの「王城」にある最下層のスペース。ここはこの国に囚われている奴隷達の収容場所でもあった。
舜が気を失った事で拷問は一旦終了となり、莱香達は揃ってこの地下牢の一室にぶち込まれていた。
「ぐ……ぐぅぅぅっ!」
激情が治まらない莱香は牢の片隅で膝を抱えながら、悔しさの余り未だに唸っていた。
「ラ、ライカ……」
普段の莱香とは違う様子にレベッカも何と声を掛けていいものか迷って、話し掛けられずにいた。ロアンナがレベッカの肩に手を置いて首を振る。とりあえず2人はそっとしておくという方向で決めたようだ。だが臆さずに莱香に話し掛けてくる者がいた。クリスタだ。
「ライカさん。私にはあなた達の過去の事情は解らないわ。だから軽々しい慰めの言葉は口に出来ない。でもこれだけは言える。私は……私達はあなたとシュン様がこの世界に来てくれた事で救われたのよ」
「……!」
「確かに想像もできない悲劇があったのでしょう。でも……ある意味ではそれがあったからこそ、私達はこうして出会う事が出来た。そう思ってもらう事は出来ないかしら?」
「ク、クリスタさん……」
クリスタの言葉に顔を上げる莱香。ロアンナとレベッカも、今しかないという感じで加わってきた。
「そうよ。それにあなたイナンナの浴場で言ってたじゃない。何だっけ……そう、「一期一会」だったかしら? 全ての出会いには意味があるって奴。私達の出会いはその一期一会とは言えないの?」
「ロアンナさん……」
「うむ! それにライカは私にとって「恋敵」なのだからな! そんな風に腐っていたのではシュンは私が貰ってしまうぞ?」
「レベッカさん……。ふふ、そうですね。確かに皆さんと出会えたのはこの世界に来てこそですよね。それに舜とも正式に恋人になれたし……」
莱香が涙を拭いていつも通りの口調で話すのを見て、皆は一様にホッとした様子となった。クリスタが即座に話題を変えた。
「でも……困ったわね。現状のままではいずれシュン様は……。何としてでもシュン様を救出しなければ」
それは皆の共通認識であり、尚且つ切羽詰まった問題であった。だが今の莱香達には打つ手がないのも現実である。
「救出すると言ってもどうやって? 私達の武器も取り上げられちゃってるし、仮に武器があったとしてもこの海中では〈市民〉に勝てるかさえ怪しいわ」
「それもそうだし、そもそもこの地下牢から脱出する手段さえ思い付かんな」
地下牢の格子は何らかの天然素材を加工して利用しているらしく、魔力製ではなかった。その為神術では破る事が出来ない。リズベットのような神気爆発でも使えれば別だが、仮に使えたとしても派手な爆発で見張りに気付かれるのは確実だ。
クリスタはピッキングの技術があるとの事だったが、そもそもこの牢には鍵穴……と言うか扉自体が存在しておらず、離れた所からレバーを操作すると格子が上に引っ込むという仕組みだった。
現状はほぼ手詰まりと言えた。かと言ってこのまま手をこまねいていては、最悪の未来は遠からず訪れてしまう。
女性達が焦燥に駆られながら宛のない想念に沈んでいると、水がかき乱される気配と共に、牢の前に1人の進化種が現れた。見張りの〈市民〉とは別の進化種だ。
「……ッ!」
女性達が緊張に身を強張らせる。その進化種が発する
そして外見そのものも、通常の海洋種よりもより恐ろしげな外見であった。
――それは
(あ、あれは、まさか……ホホジロザメ……!?)
莱香が昔TVや図鑑などで見たホホジロザメと同じ顔をしていた。勿論人間サイズなので実際のホオジロザメよりは小さいが、それでも頭の先から爪先までで優に2メートル以上はありそうな巨体だった。身体や手足も形こそ人間に近いが、その皮膚の質感は鮫そのものであり、いわゆる鮫肌という奴だ。
その鮫の進化種は莱香達の牢の前まで来ると、ジィっと中を覗き込んできた。
「な……何だ!? わ、私達に何か用でもあるのか!?」
一行を代表してレベッカがやや顔を青ざめさせながらも気丈に声を上げた。鮫人はそれには答えず、やはり莱香達の方を……いや、正確にはその中の
ややあって鮫人が初めて口を利いた。
「聞いてた特徴からもしやと思ってたが……お前、ロアンナか? ウィンリィ家の長女の……」
「ッ! な、何故……」
皆の視線が鮫人の注視していたロアンナに集まる。突然自分の名前を言い当てられたロアンナが明らかに動揺する。
「ク、ハハッ……! やっぱり! そうだと思ったぜ! 〈狩人〉だって? あのウィンリィの〈赤い情熱〉ロアンナ嬢が随分な変わりようじゃねぇか! いや、あの頃も男の心を射止めてたって意味では『狩人』と言えたかも知れねぇけどよ! ははははっ!」
「……!」
鮫人の遠慮会釈ない豪快な笑い声。ロアンナの褐色の顔が見る見る真っ赤に染まっていく。
「あ、赤い……」
「……情熱?」
莱香やレベッカ達からまじまじと見つめられて、ロアンナが盛大に狼狽える。
「な、何よ? 何の事を言ってるのか私にはサッパリ……」
「おいおい、いつだったか舞踏会で宣言してたじゃねぇか。『私の情熱はマルドゥックよりも熱く焦がれている。私の虜になった男達は皆、二度と消えない火傷を負うことになるわ』ってなぁ! はははっ! あれでそのあだ名が付いたんだぜ?」
「――ッ!!」
生暖かくなる莱香達からの視線に耐えきれず、ロアンナは頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
「な、な……何なのよ! 何でそんな事知ってるのよ!? あ、あなた一体……!?」
「へへ、ま、この姿じゃ解らないのも無理はねぇな。グスタフだ。グスタフ・ベルウッド。思い出したか?」
「グスタフ……ベルウッド……。ッ! ま、まさか『あの』グスタフ!?」
「おおよ! 思い出しか! ……まあ、何が『あの』か解かんねぇけどよ」
「う、嘘でしょう……?」
呆然とするロアンナにレベッカが口を挟む。
「お、おい、ロアンナ。どういう事だ。私達にも説明しろ」
「……シバルバー王国って知ってる?」
「シバルバー……? はて、どこかで聞いたような……」
「大陸の西にある熱帯地方を領地としていた王国ね。あのアストラン王国の前身となった国のはず」
首を傾げるレベッカにクリスタが説明する。ロアンナが頷く。
「私は元はそのシバルバー王国の貴族出身なのよ。ウィンリィ家はとある街の領主を代々務める名門だったの」
「…………」
莱香はビレッタの街での自己紹介の時に、ロアンナが自分は由緒正しい家柄だと言っていたのを思い出した。
「その……あの頃は若気の至りと言うか……まだ小娘だった私は舞踏会で男達の注目を集めるのが楽しくて仕方なかったの。言い寄ってくる貴族の子弟達を掌で弄ぶと言うか、とにかくそういう自分に酔ってたのよ」
今の勇敢な狩人ロアンナの姿からは想像も付かない。いや、案外そうでもないのだろうか。
「その、グスタフは……そうして私に言い寄ってきていた貴族の子弟の1人だった、はず。ベルウッド子爵家の次男で似たような立場の連中とつるんでて、貴族の子弟にしては随分柄の悪い放蕩息子って感じだったからすぐに思い出せたわ」
「家を継げる見込みもない次男の立場じゃ腐りたくもなるぜ。ま、その後世界中に魔素が蔓延してそれどころじゃ無くなったけどな」
およそ7年ほど前に起きたという未曾有の大災害、
では男性にとってはどうだったのか。彼らの立場から破滅の日の話を聞いた事は一度もない。接する機会自体がほぼ戦闘のみという状況ではそれもやむない事であったが。
(例えばヴォルフ様なんかは破滅の日の事を……進化種になってしまった事をどう感じているのかな?)
いつかそれを聞く機会が来る事を願った。莱香が思案している間にもグスタフの話は続いている。
「へへへ、なあロアンナ。今の俺が〈貴族〉だってのは解ると思うが、爵位は何だと思う?」
「爵位……? さあ、元の家と同じ子爵辺りかしら?」
「へっへっへ……聞いて驚け。何と今の俺は押しも押されぬ〈公爵〉様なのよ!」
「な…………」
ロアンナだけでなく莱香達全員が目を剥く。〈公爵〉は〈貴族〉の最上位。ここではあの鯱人のセドニアス公爵と同等という事になる。柄の悪い口調やロアンナに気さくに話しかける姿からは余り想像出来ない。
「嘘じゃないぜ? このオケアノス王国にも2人しかいない……俺とあのセドニアスだけ。最上位〈貴族〉様って訳だ! かつて貧乏貴族の次男坊で燻ってたこの俺が今や〈公爵〉様だぜ!? ホント人生ってのは何があるか解らねぇもんだなぁ?」
「あ、あなたが、〈公爵〉ですって?」
「おうよ! 進化種の社会ってのはシンプルで良いぜ? 強けりゃ上に行ける。まあまだ出来たてだってのも理由だろうが。〈公爵〉なんて言われて一番驚いたのは実は俺だったんだけどな、ははは!」
グスタフが能天気に笑っている。この男はそれをロアンナに自慢する為だけにここに来たのだろうか。ロアンナも同じ事を思ったらしい。
「それで……あなたがグスタフで〈公爵〉だって事は解ったけど……それをわざわざ知らせに来てどうしようという訳? 見ての通り私達は要石を破壊しに来た罪人として捕まってるんだけど」
「……それだけじゃねぇだろ? あの〈御使い〉に対する人質って意味合いの方が強いはずだ」
「く……!」
ロアンナが歯噛みする。莱香達も同じ思いだ。自分達が完全に舜の足を引っ張ってしまっている現状は、到底看過できるものではない。しかしどうする事も出来ないというのが現実だ。
「ロアンナ、俺の女になれ。そうすりゃ〈公爵〉の権限でお前を助けてやれる」
「……!?」
莱香とレベッカは絶句する。だがクリスタと、そしてロアンナ自身は落ち着いていた。グスタフが正体を明かしてきた時点で、その目的を察していたようだ。それに対するロアンナの答えは……
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