幕間 盟友

 そこは魔素の満ちる領域。砂漠から徐々に草木が生え始める境目のような荒野であった。ラークシャサ王国とバフタン王国の国境に当たる場所である。


 所々に身を隠すのに最適な窪地があり、屡々しばしば両国の間でゲリラ戦の舞台ともなってきた。そんな窪地の一つに今、1人の進化種が身を潜めていた。


 だが彼は戦いの為にここに潜んでいるのではなかった。何故なら彼の傍にはもう1人、奴隷の女性・・・・・が控えていたからだ。進化種同士の戦いでは足手まといにしかならない女性を、戦場に連れてくる進化種などいない。どんな酔狂な者であってもだ。つまりこの進化種は戦い以外の目的・・・・・・・でここに潜んでいるのだった。



「……約束・・の刻限までにはまだ少し間があるな。少々気が急いていたようだ。こんな場所で済まんな。お前には少し辛いかも知れんが……」



 そう言ってその灰色狼・・・の進化種は、連れの女性を振り返った。その気遣うような口調は、とても進化種が奴隷の女性に向けるそれではない。



「いえ、私なら大丈夫です、ヴォルフ様。この度の会談・・は、ヴォルフ様にとって……曳いては私達にとっても重要な会談になるはずです。その為ならこの程度、どうという事もありません」


「済まん、テリーナよ。確かにこれは我々にとって大きな一歩になる可能性がある。気が急いていたのもその為かも知れん」



 話し掛けられた女性――テリーナの方も気丈に微笑む。それは通常、奴隷の女性が主人の進化種に対して見せる事はあり得ない、優しい微笑みであった。彼等の間に、進化種と奴隷という言葉では計れない絆があるのは明白だった。





 やがてさほど待つ事も無く、ヴォルフの魔力探知に反応があった。数は……進化種1人と女性1人。ヴォルフ達と同じ構成だ。ヴォルフと同じく、こんな場所に女性を伴っての遠出。間違いなく彼等が待ち人だろう。


「来たようだな」

「……!」


 テリーナが若干緊張する。その気持ちはヴォルフにも解る。何せ前例のない事だ。可能性は低いが、手の込んだ罠という事もあり得ない訳ではない。その結論はすぐに出た。



「お待たせしてしまったようですね。灰色狼の〈貴族〉……。あなたがヴォルフ伯爵でいらっしゃいますね? お初にお目に掛かります。僕はラークシャサ王国の男爵で、ロイド・チュールと申します。以後お見知りおきを……」


「ひっ……」



 窪地にやってきて礼を取ってきたのは、おぞましい外見の蠅男であった。テリーナが思わず青ざめて息を呑むのが解った。蠅男が苦笑するように連れの女性を紹介する。



「初対面の女性にはちょっと刺激が強かったようですね。でも僕の『人間性』については彼女が証明してくれています」



 金髪をゆるくウェーブに垂らした柔和そうな女性だった。



「アンリエッタ・クレメンスと申します。こちらのロイドとは……許嫁の間柄ですわ。私達は心から愛し合っているのです」


「……ッ!?」



 愛し合っているという言葉に、テリーナが増々驚愕する。ヴォルフはやはり苦笑するようにテリーナを窘める。



「テリーナ、失礼だぞ。済まなかったな、ロイド殿。彼女は〈節足種〉自体、見るのが初めてなのだ。大目に見てやって欲しい」



 ヴォルフが謝罪すると、テリーナも我に返ったように慌てて謝罪してきた。ただしまだその顔色には青みが残っていたが。



「ふふ、構いませんよ、慣れてますから。僕らを初めて見た女性には、露骨に顔を顰めて遠ざかろうとしたり、酷い時にはいきなり嘔吐するような人もいましたから。それに比べたら彼女の反応は可愛い物です」


「……苦労されているようだな」



 ヴォルフ自身は勿論、〈鳥獣種〉自体、比較的女性の生理的嫌悪感は催しにくい外見なので、そういう苦労は余り感じた事がなかった。だがそれは随分恵まれていた事だったのだろう。


 ヴォルフは気を取り直して、話題を変えるように自分達も自己紹介する。



「バフタン王国の伯爵、ヴォルフ・マードックだ。こちらは『秘書』のテリーナ・ヤーセンだ。ロイド殿、アンリエッタ殿。2人に会えて嬉しく思う。このような機会を提供してくれた事、改めて礼を言わせて欲しい」


「……テリーナです。先程は失礼致しました」



 ヴォルフの言葉を聞いて、ロイドとアンリエッタは顔を見合わせて頷く。



「やはりレベッカの言っていた事は正しかった。あなた達にこうして直接会ってそれを実感しました。……実はこの会談に女性の同伴を提案したのは、互いの信用の証であると同時に、相手が『奴隷』の女性をどう見ているか、というのを見極めさせて頂く目的もあったんです。……あなたは話に聞いていた通りの人物だったようです。試すような真似をして、こちらこそ申し訳ありませんでした」


「ふ……構わん。私も貴殿がテリーナにどう接するのか見極めようとしていたからな。どうやら互いに信頼の第一歩は築けたという事で良いかな、ロイド殿?」


「ええ、その事実を嬉しく思いますよ、ヴォルフ殿」



 2人の敵国同士の〈貴族〉が固い握手を交わす。これは破滅の日カタストロフ以降の7年以上の中で、初めての出来事であった。



「さて……互いの意思疎通が済んだ所で、『本題』に入ろうか?」


「ええ……先日我がラークシャサ王国の〈王〉も、クィンダムの〈御使い〉に敗れて斃れました。一命は取り留め、今は王都のメーガナーダにて静養中との事ですが……波紋は国中に広がりつつあります」


「やはり事実であったか……」



 その事実は〈市民〉には伏せられているが、〈貴族〉には既に周知されていた。バフタン王国も似たような状況だ。恐らくアストラン王国も同様だろう。



「ええ、〈貴族〉の中には〈王〉すら破った無敵の〈御使い〉が、今にも自分達の国に突撃してくるのではないか、と戦々恐々としている者も増えてきています。国全体が浮足立っていると言っても良いでしょう。〈王〉の腹心であるキンズバーグ公爵が必死に混乱を治めようとしていますが、やはり求心力の低下は如何ともし難く……」


「…………」



 それもバフタン王国と同じだ。獅子と虎の2人の〈公爵〉が頑張っているが、国としての瓦解を防ぐのが精一杯だ。


 中央の弱体化は、地方の群雄化を促す。地方を治める〈子爵〉や〈伯爵〉などの〈貴族〉達が国を無視して好き勝手に振る舞うようになれば、最悪血で血を洗う群雄割拠の到来だ。


 事実既にアビュドスの街でも、隣街の〈貴族〉の「偵察隊」と思しき部隊が何度か確認されている。また領地を持たないフリーの〈男爵〉達を、好条件で自分の領地に雇い入れようとする動きも出始めている。


 『兆候』は既に現れ始めているのだ。人格的には色々と問題もある〈王〉達だが、その存在がどれ程国の安定に寄与していたかを、改めて実感している状況だった。


 〈王〉は死んだ訳ではないのでいずれは復活する筈だが、〈御使い〉の存在がある限り〈貴族〉達の不安は払拭されないだろう。



「この状況を打破するには……」


「はい。〈御使い〉……即ちクィンダムとの和解しかあり得ないでしょう」


「それしかないか……」



 通常の進化種が女性に対して抱く感情を考えれば、実現は極めて困難と言わざるを得ない。だが実現できなければいずれ国は滅びる。それが内乱によってか、それとも〈御使い〉の外圧によってかは解らないが。



「我々に出来ると思うか……?」


「僕達の〈王〉は話の解るお方ですが、僕自身は平男爵に過ぎません。他の〈貴族〉の説得が難しいでしょうね。その点ヴォルフ殿は伯爵で、実績もあるお方ではありますが……」


「うむ、こちらは〈王〉自身が問題だな……」



 クィンダムとの和解を仄めかすような話をしただけで、下手するとその場で処刑されかねない。〈御使い〉に敗北した事で、更にその感情を拗らせている可能性もある。尤もそれはどの国の〈王〉にも言える事だが。



「前途多難だな……」


「そうですね。しかしこうして穏健な〈貴族〉が他にもいる事が証明されたんです。だったら隠れているだけで、僕達以外にもまだそういう〈貴族〉はいるかも知れません。同志を集めて影響力を高めるんです。〈王〉や〈公爵〉達も無視できない程の影響力を、ね」


「……貴殿は強い信念の持ち主だな、ロイド殿」


「どんな状況でも決して諦めずに戦い抜いた女戦士を知っていますからね。出来る出来ないではなく、やるんです。最初から諦めていたら何も為せませんよ」


「ふ……その通りだな。良かろう。私もやれるだけの事はやってみよう。王都オシリスにも伝手があるので、そちらから当たってみるとしよう」


「お願いします。僕も国内は勿論、隣国のアストラン王国の情報も集めてみます。僕達と状況は同じ筈ですから、興味を示してくれる者がいるかも知れません」



 そうして『会談』は進んでいった……




****




「ロイドか……。強い信念を持った男だったな。私も触発される思いだ」



 会談が終わりロイドは再会を約束すると、アンリエッタを連れて自国へと戻って行った。それを見送りながらヴォルフは感慨深げに呟く。



「……正直驚きました。人は見かけで判断できないという好例ですね。自分の見識の狭さが恥ずかしいです。……こんな事ではクリスタお姉さまに笑われてしまいますね」



 テリーナの口から懐かしい名前を聞いたヴォルフは、ふと南の方角に視線を向ける。



「クリスタ……それにライカよ……。案外また会える日も近いやも知れんな。それまで、無事でいる事を願おう」



 そしてヴォルフも、テリーナと共にアビュドスの街へと戻っていくのであった。新たな目的と決意をその胸に秘めて……

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