第105話 〈王〉への願い
『さて……。それでは大会の決まりに則り、チャンピオンとなった剣闘士の小屋主には特権が与えられる。入るが良い』
〈王〉に促されてアリーナの扉が開く。そこからロイドが進み出てきた。
「レベッカ、本当に良くやってくれた。君は僕の同志……いや、恩人だ。本当にありがとう。試合も素晴らしい内容だった」
「ロイド殿……」
「すぐに君もイエヴァ達も治療するから、もう少しだけ待っててね」
そう言ってロイドは〈王〉の方へ向き直る。そして〈王〉を見上げる位置まで進み、その場に恭しく
『小屋主よ。名を名乗るが良い』
『はい、陛下。〈男爵〉のロイド・チュールと申します』
ロイドも拡声の魔法を使って答える。その名前に何故か〈王〉の寵姫の1人が息を呑んだ。
『うむ、ではロイドよ。お前には大会の配当金が入る。だがそれ以外にも望みがあれば申してみよ。常識の範囲内であれば、3つまでの望みを叶えると約束しよう』
『ありがとうございます、陛下。それではまず一つ目ですが……ここに倒れているイエヴァとフラカニャーナ。この2人の所有権を私に移して頂きたいのです』
『なぁっ……!?』
素っ頓狂な声を上げたのはギルサンダー侯爵だ。それに構わずロイドは静かに続ける。
『……大会で勝利した小屋主は倒した剣闘士を自分の物にする権利がある。これは決して無茶な願いではない筈です』
『ふむ、確かにその通りだな……。よろしい。では望みどおり、その2人の主人は今からお前とする』
あっさりと頷いた〈王〉に、侯爵が驚愕する。
『へ、陛下!? 本気で仰っているのですか!?』
『黙れ、ギルサンダー。今は吾が話しておる。それにお前は今までフラカニャーナの強さに胡座をかいて、その他の剣闘士の育成を怠ってきたな。一強体勢がマンネリ化していたのも事実だ。初心に戻るいい機会ではないか?』
『ぬ……!』
痛いところを突かれて侯爵が再び押し黙る。
『済まなかったな、ロイドよ。では他に願いがあれば申すがいい』
『はい……。今私が所有する4人の奴隷……。レベッカ、ジリオラ、イエヴァ、フラカニャーナ。以上の4名を奴隷の身分から解放し、クィンダムへと帰還・移住させる事へのご許可を賜りたく……』
『はぁぁっ!?』
先程〈王〉に黙れと言われたばかりなのに、侯爵が再び素っ頓狂な声を上げる。
『ロ、ロイド、貴様、正気――』
『ギルサンダー! 二度は言わんぞ!?』
『ひぃっ!? も、申し訳ありません、陛下!』
侯爵を一喝して黙らせると、〈王〉はロイドに問う。
『……折角得たチャンピオンの小屋主の座をみすみす手放すという事か? 勿論叶える事は簡単だが、一応理由を聞いても良いか?』
『先程陛下は、ご自身を殺したければ彼女に強くなれと仰いました。剣闘士の……奴隷の立場では例えどれだけ強くなっても、陛下の望みは叶いません。彼女らを陛下の「敵」とするのです。さすれば彼女らは今より更に強くなって、いつかは陛下に牙を剥くやも知れません。陛下のお望み通りに……』
「…………」
沈黙が場を支配する。つまりロイドはいつか彼女達が〈王〉を殺す敵になる可能性があるから、
『ふ……くく、はははははっ! 面白い! 面白いな、ロイドよ! いいだろう! お前のその望み、叶えてやろう! いつかその女達が吾を殺すかも知れんと
〈王〉は心底愉快そうに哄笑していた。ギルサンダーは呆気に取られている。ロイドはひたすら平伏している。レベッカは……
(わ、私はクィンダムに帰れるのか? 本当に……? し、しかもイエヴァやフラカニャーナまで一緒に……?)
目まぐるしい事態の展開について行けてないレベッカだったが、口約束という事もあってまだ半信半疑の様子であった。そんな彼女を置いてきぼりにして、いよいよ最後の望みに話が移った。
『さて、ではロイドよ。最後にもう一つ、何か望みはあるか?』
『はい…………』
そこで一旦言葉を切ったロイドは、顔を上げて〈王〉がいる特別スペースを見上げる。
『陛下の……ご寵姫の1人、アンリエッタ・クレメンスを私に下賜して頂きたく存じます……』
そう言ってロイドは1人の寵姫を見つめた。先程ロイドの名前が出た時に息を呑んだ女性だ。金髪をゆるくウェーブで垂らした髪型の、やや気弱そうな印象の女性であった。〈王〉の寵姫というだけあって非常な美貌である。〈王〉がその女性――アンリエッタを見やる。拡声の魔法を切って、アンリエッタに何事かを聞いている。アンリエッタが頷くのがレベッカにも見えた。すると……
〈王〉が立ち上がって、アンリエッタを横抱きに抱える。そして背中の虫翅を広げてブワッと羽ばたいたかと思うと宙に浮かび上がり、アンリエッタを横抱きにしたままロイドの前まで飛んできて着地した。
間近で見るとそれなりに大きい。流石にバフタン王国の〈王〉程ではないが、アストラン王国の〈王〉と同じくらいの体格はありそうだ。〈王〉がアンリエッタを降ろす。
「ロ、ロイド……。本当にあなたなの……?」
アンリエッタが恐る恐るという感じで問い掛ける。
「ああ……アンリエッタ。僕だよ。こんな姿になっちゃって解らないだろうけど、君の幼馴染で許嫁だったロイド・チュールだよ……」
「……!」
アンリエッタが再度息を呑む。息を呑んだのはレベッカも同様だった。
(幼馴染……い、許嫁だと? ……そうか、それがあなたの「理由」だったのだな、ロイド殿……)
ロイドが全財産を担保にしてまでレベッカを購入し、懸命に鍛え上げてきた真の理由を今初めて知った。
「陛下……どうかこのロイドの最後の願い、お聞き届け頂けますでしょうか……?」
「ふむ……」
〈王〉がアンリエッタを見る。アンリエッタは少しビクッと震える。
「お前はどうだ? このロイドと旧知との事だが……吾の元を離れ、ロイドと共に在りたいか?」
「わ、私は……」
彼女の視線は〈王〉とロイドの姿を行ったり来たりしている。〈王〉の不興を怖れているのは明らかだ。〈王〉が苦笑したように言う。
「吾の反応を気にする事はない。お前の正直な気持ちを知りたいのだ。このような姿となったロイドの元へお前は行けるのか? なまじ人間だった時の姿を知っている分、ショックは大きいのではないか?」
「……!」
アンリエッタは一瞬青ざめた様子になる。
「アンリエッタ……。ごめん、気持ち悪いよね。でも、それでも僕は君の事が……」
「……ッ!」
ロイドの真摯な言葉に、アンリエッタはギュッと目を瞑る。そして意を決したように目を開くと……ロイドの元へ駆け寄った。醜い蠅男の元に。
「ああ、ロイド! ごめんなさい! 私……一瞬でもあなたの事を……! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「アンリエッタ……いいんだよ。そう思うのは当然さ。でも君は来てくれた。本当に……ありがとう」
「ロイドッ! あ、会いたかった!」
感極まったアンリエッタが泣きながらロイドに抱きつく。最早彼女にはロイドのおぞましい外見は見えていないかのようだ。
「ふ……答えは出たな。ロイドよ、素晴らしい試合を見せてもらった礼だ。アンリエッタをお前に下賜する事を認めよう」
「陛下……。寛大なるご沙汰、ありがとうございます。このロイド、今後もより一層の忠節を尽くす事を誓います」
ロイドは〈王〉へ深々と頭を下げるのであった。〈王〉は司会役の方へ視線を向ける。司会役は慌てたように喋り始める。
『さ、さあ、皆さん! 波乱の多かった今大会もこれにて閉幕だ! 最後に素晴らしい試合を闘った剣闘士達と、その小屋主。そして寛大なるご措置を賜った〈王〉へ、もう一度盛大な拍手をっ!!』
――ワアァァァァッ!! と今までにも増して凄まじい歓声と拍手が、アリーナにいる者達に注がれる。
だがそんな喝采ムードの中1人ギルサンダー侯爵だけは、ワナワナと慄えながらアリーナにいるレベッカ達を睨みつけているのだった…………
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