第91話 剣闘士!?

「ギヒヒッ! オラ! ココガオ前ノ新シイ『家』ダ!」

「く……」



 レベッカの眼前には、窓もなく燭台の淡い光だけが光源の薄暗い独房が口を開けていた。中は淀んだ空気と臭気が漂っていて、粘ついた空気が肌に纏わりつくような不快感を覚えた。

 だがレベッカをここまで連行してきた進化種は、容赦なく彼女を独房にぶち込んだ。


「がは……!」


 後ろ手に縛られたまま乱暴に放り込まれたレベッカは、床に身体を打ち付けて痛みに呻く。進化種はその様子を嘲笑いながら、独房の扉を閉め鍵を掛けた。



「お、おい、待て! せめてこの縄を解いてくれ!」


「ギヒヒッ! オ前ハ随分反抗シヤガッタカラナ! 悪イ奴隷ニハオ仕置キガ必要ダロ? 『小屋主』ガ決マルマデハ縄ツキデ過ゴスンダナ!」


 無情にもそう言って看守役の蟻人は、笑いながら立ち去って行った。



「くそ……」


 毒づいたレベッカは、縛られたままの不自由な姿勢で、もたつきながら身を起こす。狭苦しい独房は壁に空気穴が開いている以外は、密閉されている。当然だが調度品と呼べるものは一切なく、寝台すらなかった。唯一隅の方に、おそらく用を足す為であろう、緩やかに水が流れる小さな溝があるだけだった。


 レベッカはいつもの白銀のビキニアーマー姿のままであった。暗く淀んだ牢内に、白銀の輝きとそこからむき出しの白い肉体がコントラストとなって浮かび上がっていた。



(脱出は……不可能か。これで、終わりなのか……?)



 ここは砂漠に囲まれたラークシャサ王国第二の都市、ヴァーリン。進化種の領域真っ只中である。無事に逃げ出す事は不可能だろう。蘇生の魔法があるので自殺も出来ない。このまま進化種の奴隷として一生を送るしかないのか。部下達とも引き離され、どうなったか解らない。


 絶望の余り目の前が真っ暗になる。だが寸前で踏みとどまる。彼女の脳裏にリズベットやミリアリア、ロアンナら友人達の顔が浮かぶ。そして……シュンの顔も。



(諦めるな! 諦めたらそこで終わりだ! 私は……必ずもう一度シュンに会うんだ! 絶対に、こんな所で、諦めてたまるかっ!)



 気をしっかり持って、絶望に虚脱しかけた自分を叱咤する。必ず生きてクィンダムに戻る。レベッカは今の境遇に耐え抜く決意を固めた。






 その後どれくらいの時間が過ぎただろう。一度だけ看守が水と食べ物を持ってきた。と言ってもレベッカは後ろ手に縛られているので、口に無理矢理詰め込まれたのだが。食べ物は驚いた事にヤズルカの実であった。


 進化種は魔素を吸っていれば生存の為の食事は必要ないが、奴隷の女性達はそうも行かない。奴隷用の手軽な食料源としてヤズルカの実は、進化種の領域でも栽培されていた。勿論作らされているのは奴隷の女性達自身だ。


 用を足す時は、後ろ手で何とかビキニのパンツをずらして、用を足す事に成功した。パンツと言ってもミスリル金属製のパンツなので、ずらすのに多少難儀したのは余談である。

 時間の感覚も掴めないまま、そうした生活をしばらく続けた後の事……





 うとうとと眠りかけていたレベッカは、独房に近付いてくる足音に気付いて意識を覚醒させた。食事は先程食わされたばかりだ。いよいよ自分の処遇が決まったのだろうか。緊張に身を固くして、足音の主が到着するのを待つレベッカ。



「オイ、起キテルカ? 喜ベ。オ前ノ『小屋主』ガ決マッタゾ」



 そう言って蟻人の看守が扉を開ける。手には首輪のついた鎖を持っている。



「こ、小屋主だと……?」


 そう言えば最初にもそんな事を言っていた。クリスタの話にも、そんなものは出てこなかった。ラークシャサ王国独自の制度か何かだろうか。



「詳シイ事ハ本人カラ直接聞キナ。ドウセスグニ嫌デモ解ル事ダロウガヨ!」



 蟻人の看守は笑いながらレベッカに首輪を嵌める。どうやらまともに説明する気はないらしい。後ろ手に縛られ首輪を引かれるという屈辱的なスタイルで、牢獄内を引っ立てられていくレベッカ。白銀のビキニアーマーが薄暗い廊下に映える。陰鬱な雰囲気の廊下には、壁一面にレベッカが閉じ込められていたのと同じような独房が並んでいる。だが全ての扉は閉じられており、中に他の囚人がいるのかも解らない。


 突き当りの階段を昇った先にある部屋へと連れていかれる。



「ココダ。『小屋主』モ間モナク到着スル。ソレマデココデ待ッテイロ」



 簡素な作りの応接部屋のような場所であった。簡素と言っても先程までいた独房に比べれば、貴賓室にも等しいほどだが。天井にフックのような物が掛けられており、蟻人は持っていた鎖の先をそのフックに結び付ける。


 鎖はそれほど長くない為、遊びがほとんどなく、少しでも膝を屈めたり楽な姿勢を取ろうとすると首輪が喉に食い込む。後ろ手に縛られている為、鎖をフックから外す事も出来ない。その為レベッカは両脚に力を込めた直立の姿勢を強要される事になる。この状態で、いつ来るかも解らない相手を待っていろと言うのだ。



「ぐ……お、おい、せめて鎖にもう少しゆとりを持たせてくれ!」


「ギヒヒッ! コレモオ仕置キノ一環ダヨ! 『小屋主』ガ早ク来ル事デモ祈ッテナ!」



 看守は笑いながら無情にも扉を閉めて立ち去って行った。ずっと縛られたままで、碌に休息も取れていないのだ。その上で更にこのような姿勢を強要されるのは、流石のレベッカもかなりこたえていた。


(くそ、私は負けんぞ! 例えどんな扱いを受けようと、絶対に耐え抜いてやる!)


 自らを鼓舞するレベッカだが、辛いものは辛い。しかも制限時間が明確になっていない事が、その辛さを倍増させていた。まるで永遠に続くかと思われるような地獄の時間を過ごすレベッカ。しかしそんな時間にもようやく終わりが訪れた。




 キィ……という音と共に、部屋の扉が開いた。


 入ってきたのは……はえと人間を融合させたような異形の怪物であった。〈節足種〉を比較的見慣れているレベッカでさえ思わず青ざめる程の、中々のインパクトのある外見であった。だが蠅男はレベッカの状態を見やると驚いたような声を発する。



「ああ!? くそ! 何て事をしてくれるんだ! 僕のほぼ全財産をはたいたって言うのに! 畜生、〈男爵〉だからって舐めやがってっ!」



 そして何故か怒り心頭な様子で走り寄ってくると、天井のフックから鎖を外す。不自由な体勢から解放されたレベッカは、そのまま床に崩れ落ちてしまう。体力の消耗から咄嗟には起き上がる事もできずに、倒れたまま荒い息を吐いている。


 蠅男はそのまま首輪を外すと、後ろ手の縄も解いてくれる。この都市に連れてこられて以来ずっと縛られたままだったので、久方ぶりに両手が自由になった。


「大分消耗してるようだね。まあ無理もないけど。とりあえず早くここから出よう。立てるかい?」


 蠅男が手を差し伸べてくるが、レベッカはその醜い手を振り払い、苦し気ながらも蠅男をキッと睨み上げる。


「さわ……るな! お、お前は一体、何者だ? 私を、どうするつもりだ……!」


 蠅男は一瞬びっくりしたように手を引っ込めたが、すぐに得心したように頷いた。



「うーん。相当に警戒されてるね。まあそれも無理ないけど……。それじゃあこんな場所で申し訳ないけど自己紹介させてもらうよ。ラークシャサ王国の〈男爵〉ロイド・チュールだ。君には……僕の『剣闘士』になってもらう事になる」


「け、剣闘士、だと……?」


「そう。このイシュタールでもいにしえの時代には剣闘が行われてた歴史があるし、何をするかの想像は付くよね?」


「……み、見世物になって戦え、とでも言うのか?」


「そういう事になるね。単に見世物というだけじゃなく、賭博の対象でもあるけど」


「く……ふ、ふざけるな! 何故私がお前たちの娯楽に協力せねばならん!? ぜ、絶対にお断りだ!」


「まあ、そうなるよね……。でも酷な言い方だけど、君はもう『奴隷』になったんだ。拒否権はないんだよ」


「……!」


「それに君にとっても悪い話ではないと思うよ? 酒場で素っ裸になって給仕の仕事をしたり、娼館で僕みたいな外見の奴に抱かれたりするよりはマシだと思わないかい?」


「……ッ!!」



 おぞましい光景を想像してレベッカの身体が震える。その様子を見て取った蠅男――ロイドは畳みかけるように説得する。



「それに比べれば剣闘士は優遇されている方だよ。実力と人気があれば、奴隷としては破格の待遇も受けられるし。それに君は戦士なんだろう? 剣と戦いを仕事に出来るならそれに越した事はないんじゃないかな。そりゃ名誉ある戦いとは言えないけど、自分の身を守るって意味では立派な戦いだよ」



「…………」


 過去にロアンナが助けた奴隷達やクリスタからも、進化種の王国内での奴隷の扱いは聞いている。ロイドの言う事は決して大げさではないだろう。普通なら間違いなく給仕や娼婦、良くても炭鉱や農園で働かされる労働奴隷だ。もしくは〈貴族〉に買われて、個人的に慰み者にされるか……。


 〈貴族〉に買われたという意味では今の状況も同じようなものだが、どうやら目の前の男は自分をそういう目的で買った訳ではなさそうだ。



(剣闘士、か……。進化種共の娯楽になるのは気に食わんが、確かに給仕や娼婦にさせられるよりはマシか……。いいさ。どの道、石に噛り付いてでも生き延びてやると決めたんだ。……やってやる。やってやるさっ!)



「……いいだろう。剣闘士とやらになってやる。それで、私は何をすればいいんだ?」


「うん、懸命な判断だ。とりあえずはここから出よう。僕の家まで案内するよ。立てるかい?」


「ああ……大事、ない!」



 大分消耗してはいたが、それでも進化種に弱みを見せたくなくて、震える膝を強引に押さえつけて何とか立ち上がる。ロイドが苦笑するように肩をすくめる。



「ふぅ。まあ、気概があるのはいい事だね。さて、歩けるんならこのまま外に出よう」


 そう言ってロイドはレベッカを建物の外へと促した。

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