第53話 気高き狼

「さあ、ここが私が治めるアビュドスの街だ」


 狼男の声と共に、一行は街の城門を潜る。




 街の大通りには石畳が敷かれ、左右には石造りや木造の建物が立ち並んでいる。やはり現代の地球ほど文明の進んだ世界ではないようだ。



(剣と魔法のファンタジー世界って感じかしら……)



 通りには多くの獣人達がいた。通りに出ている見える範囲だけで100人以上はいるだろうか。明かりが漏れている建物が幾つかあり、その内の1つはどうやら酒場のようなものらしく、大きく開いた入り口から中の様子を窺う事が出来た。


(こ、これは……いわゆる、ス、ストリップバーっていう奴、かしら……?)


 勿論、莱香も実物を見た事はないが、知識として知ってはいた。席には多くの獣人が腰掛け、舞台やテーブルの上では半裸の女性達が踊っている。いや、女性達の表情を見る限り踊らされている、と言った方が正しいか。


 周囲の獣人達が囃し立てる。女性達は、半泣きになりながら衣装を自分で脱いでいる様子だった。莱香はその光景から目を逸らした。


(でも……女性の姿は普通よね……。逆に普通の男性がどこにもいない……。この獣人達が、「男性」って事? 何で男だけが……?)


 通りにいる獣人達は、縛られて連行されている莱香の姿を見て、嘲笑するか、獣欲に濁った目で舐め回すように見てくるかのどちらかだった。少なくとも誰も驚いている者はいない。

 見れば通りには、他にも荷物持ちをさせられたり、粗相をして鞭で叩かれたりなど、乱暴に扱われている女性の姿が目についた。


(女が……獣人となった男に、奴隷にされている世界……?)


 街中を歩く莱香は、この世界にそのような印象を持った。と、同時に、とんでもない世界に来てしまった、という実感が更に強まっていくのであった……。






 やがて一行は街の中心部にある大きな屋敷の前に着いた。

 部下の獣人達と何やらやり取りをしていた狼男が、指示を終えて近付いてきた。犬獣人から手綱を受け取る。そして犬獣人を含めた他の獣人達は、皆解散していった。


 狼男に連れられて屋敷の中に入る。




「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」




 復数の女性の声が出迎える。見ると正面ホールには、粗末な貫頭衣とサンダル姿の若い女性達が左右に並んでいた。人数は10人程だろうか。全員が目を瞠るような美女、美少女揃いであった。狼男の姿を認めると、全員が揃って平伏する。


 狼男は女性達に顔を上げるように言うと、莱香の縄を解いた。そして女性達に莱香を預ける。


「かなり疲弊している。とりあえず食事と寝床を用意しろ。後、風呂と、何か着る物もな。足の怪我も診てやれ」


「畏まりました、ご主人様」


 女性達は何も聞かずに首肯する。



「……まだ未定だが、場合によっては〈王〉へ献上する事になるかも知れん。そのつもりで接しろ」


「! ……畏まりました」


 〈王〉と聞いて、女性達が一瞬ビクッとしたのが、莱香にも解った。そんな女性達に狼男は、少し苦笑したようだった。


「案ずるな。お前達の身柄は私が正式に引き取っているのだから、例え〈王〉であっても無体は出来ん。それくらいの地位と実績はある」


「は、はい……」


 女性達がホッと肩の力を抜いた。大分信頼されているようだ。やはりこの狼男は、他の獣人達に比べて紳士的な性格であるらしい。その事に少しだけ安心する莱香。



「さて、色々疑問もあるだろうが、今日の所はしっかり休んで体力を回復させろ。詳しい話は明日にしよう。細かい所で何か解らん事があれば、その者らに聞くと良い。……この少女はこの地の事情に疎い。聞かれた事には極力答えてやれ」



 最後は女性達にそう告げると彼は自室へと戻っていった。何人かの女性がそれに付き従う。残った女性達は莱香の世話をしてくれるようだ。先程女性達を代表して狼男に返事をしていた女性が、莱香へ向き直る。金褐色の髪の優しそうな女性だ。


「ようこそ……と言っていいのかしら。初めまして、私はクリスタ。クリスタ・ブリジットよ。一応この屋敷のメイド長……という事になるのかしら? あなたは……?」


「あ……ら、莱香、です。九条莱香と言います……。あ、ええと……ライカ・クジョウでお願いします……」


 日本式で名乗ったら一瞬訝しむような表情をされたので、外国式に言い直しておく。先程のクリスタの名前からしても、これでいい筈だ。


「ライカさんね。宜しく。……さて、それじゃあ大分疲れているようだし、ここで立ち話も大変よね。食事とベッドの用意をさせておくから、その間に入浴と……怪我の具合を診ましょう」


 そう言ってクリスタは莱香を浴室へと連れて行った。





 驚いたことに、この屋敷にはかなり大きな浴槽付きの風呂場があった。クリスタ達以外にも、専属の獣人の使用人がいるらしく、彼らが魔法で温めたお湯がいつでも使える状態になっているとの事だ。



「は……あぁぁぁ……。き、気持ちいいぃ……」



 手早く汚れを落とした莱香は、程よい湯加減の湯船に浸かって、これまでの疲れや緊張が一気に溶け出していくのを感じていた。縛られて連行された時は、まさかこのようなお風呂に入れるなどとは夢にも思っていなかった。


 足裏の怪我も、狼男の魔法で傷自体は塞がっていたらしく、思ったより滲みなかった。

 よくよく考えれば、舜の情報も得られないまま、状況は何一つ好転してはいないのだが、とりあえず今だけはそれらを忘れて、この心地よさに浸っていたかった。


 その様子を見ていたクリスタが、クスッと笑う。因みに彼女も莱香の世話をするため、一緒に裸になって風呂に入っていた。2人が入ってもまだ余裕がある程度には、この風呂場は大きかった。



「ふふ……大分気に入ってくれたみたいね?」


「あ……は、はい。正直すごく気持ちいいです……。こんなお風呂に入れるなんて……」



 人目を気にせず心地よさに浸っていた事が、急に気恥ずかしくなった莱香の声が小さくなる。


「伯爵様はああ見えてとても綺麗好きで、お風呂が大好きなのよ。だからあなたも私達もその恩恵に預かれるという訳ね」


「伯爵様……?」


「ええ、そうよ。あら……知らなかったの?」


 ……そう言えば、お互いに名前も知らなかった事に気付いた。そのような状況ではなかったという事もあるが。



「伯爵……という事は、貴族か何かなんですか、あの人?」


 沢山の部下を従えていたし、この街を治めているとも言っていた。こんな大きな屋敷を持っているのだし、むしろ貴族であると言われて、しっくりきた感じだ。



「え? ……え、ええ、勿論よ。あの……本当に何も知らないの?」

「は、はい。私、その……こことは違う世界から連れてこられたみたいで……その……」



 正直に告げたら変人に思われるかも、と迷ったが、狼男――伯爵は、莱香が異世界人である事を知っていたし、タブーという訳でも無さそうなので、ここは正直に言っておく。


「まあ……そうなの。それは大変だったでしょうね……。この地の事情を知らないとは、そういう事だったのね」


 案外すんなり受け入れてくれた。





 ――そして莱香はクリスタから、簡単にではあるが、この世界の現状を教えてもらった。





「…………」

 それは、にわかには信じられないような話であった。しかしあの狼男や他の獣人達……。それにこの街の現状を見ては、信じる他なさそうだった。


「そん、な……。男の人が全部、あんな怪物に……?」


「ええ……。ただ彼らの前で絶対に怪物などと言っては駄目よ? 彼らは自分達を、人間より進化した生物……〈進化種プログレス〉と呼称しているわ」


「進化種……」


 そういえば狼男も、そのような単語を言っていた。



「そして実際に彼らは、人間の時とは比較にならない程の高い能力を持っているわ。それこそ伯爵様のような〈貴族〉となると、女性がどれだけ鍛えた所で、絶対に勝つ事は不可能よ」



「そ、そうなんですか……!?」


「そうよ。……そして何よりも彼らを〈進化種〉たらしめているのが、あの……〈魔法〉の力よ」


「魔法……。そうだ! この世界には魔法があるんでよすね!?」


 狼男が使っていた翻訳や治癒の魔法。それに恐らく、あの化けサソリを撃退した火球も魔法の力なのだろう。



(まさか、本当に魔法が存在する世界なんて……!)



 そんな場合ではないと思いつつも、莱香は気分が高揚してくるのを感じた。しかし今のクリスタの言い方が引っ掛かった。


「……残念だけど、魔法が使えるのは男性……つまりは進化種だけなのよ。私達女はどれだけ頑張っても魔法を使う事は出来ないわ」


「あ……そ、そうなんですね……」


 解りやすいくらいガックリする莱香。その様子に苦笑しつつ、説明を続けるクリスタ。



「とにかく、強力な身体能力と魔法の力によって、進化種はこの世界に君臨している、という訳よ。そして私達にとって何よりも恐ろしいのが……彼らが外見だけでなく、心まで怪物になってしまった、という事なの」


「心まで……」


「ええ、7年前は文字通り地獄のような有様だったわ……。今でこそ多少落ち着いているように見えるけど、女をただの奴隷や玩具としか見做さない、その残忍な本性は全く変わっていないわ。あなたもある程度体験したでしょう?」


「……ッ!」

 あの……ファーストコンタクト時の、輪姦されかかった恐怖は、今思い出しても身体中に震えが走る。彼らはそもそも会話を試みようとすらしていなかった。だが、同時に思い出した。



「あれ……? でも、それならあの伯爵様は、何で私を助けてくれたんですか? 今もこうして面倒を見てくれてるし……」



 立場をかさにきて、莱香を真っ先に陵辱する事も可能だった筈だ。クリスタが微笑む。


「伯爵様は……あのお方だけは例外よ。あのお方は、進化種となりながらも人の心を失っていない稀有なお方なのよ。或いは、狼としての気高さがそうさせるのか……あのお方は弱者を甚振る事を好まないわ。無論部下達の手前、そのように振る舞う事はあるけど、心の中ではそのような行為に嫌悪を抱いていらっしゃるのよ」


 クリスタを含むこの屋敷の「メイド」達は、元はそれぞれ違う〈貴族〉の奴隷だったのだが、殊更非道な扱いを受けていた彼女達を見兼ねて身請けしている内に、今の人数になってしまったのだという。


「……伯爵様は、他の〈貴族〉のような非道な扱いを一切しなかったわ。奴隷という名目で、私達はこの屋敷に「保護」されているの。今の「メイド」としての仕事も、私達がせめてもの恩返しにと、自主的に言い出した事なのよ?」


 伯爵の事を語る彼女は、流暢であり、どこかうっとりとした様子でもあった。地獄の淵から救い出してくれ、尚且つ人道的な扱いを受けた事で、すっかり崇拝しているようである。


「〈貴族〉は、〈市民〉に輪をかけて冷酷で残忍な者が多いのが普通だから……私達は勿論、あなたも最初に出会ったのが伯爵様で、本当に幸運だったのよ?」


「そう、ですよね……」


 もしあそこにいたのが、他の……残忍な〈貴族〉だったら、自分は今頃どうなっていたのか……。良くてもそのまま輪姦、最悪殺されていただろう。少なくとも、こんな立派な屋敷で、お風呂に入っている事などあり得なかったのは確かだ。


 そう考えると、確かに自分がいかに幸運だったかが実感出来る。多少乱暴に扱われはしたが、それは仕方のない事だったのだと今なら解る。もっと酷い目にあっていたかも知れないのだ。彼には、きちんと感謝の意を表しておくべきだろう。



「ふふ……さあ、思ったより長風呂になってしまったわね。そろそろ出ましょうか。足の傷もきちんと処置しておきましょう」


「あ……は、はい。宜しくお願いします」



 脱衣所で足の裏に軟膏のような物を塗られる。ひんやりとして気持ち良かった。



「ここより東の地域で採れる薬草を煎じた物よ。進化種は皆、魔法での自己回復が出来るので余り需要は高くないんだけど、伯爵様が私達の為にと、常に取り置きがあるの」


 軟膏を塗り終わると、ガーゼのような清潔な布を当て、それを包帯で巻いていく。


「……これで良いでしょう。服は……私達と同じ物で我慢してもらうしかないけど……。他の進化種達の目もあるし、侯爵以上の〈貴族〉の奴隷達も皆こういう格好だから、私達だけ良い物を着る訳にも行かないの」


 少し申し訳なさそうに、自分が着ているのと同じような衣服を差し出すクリスタ。


 何であっても、裸よりはマシだ。袖を通すと、やはりクリスタの物と同じような丈の短い貫頭衣であった。腰の部分を帯で締めると、太もものかなり際どい所まで露出してしまう。下着はふんどしのような形状の当て布だったが、少しでも屈むと容易にそれが見えてしまう程、裾が短かった。


(うう……! ちょっと恥ずかしいけど……皆同じ格好だからまだマシよね……。でも、ゴワゴワして着心地はあまり良くないわね)


 現代の地球のような縫製技術は無く、かなり粗い繊維で織られているようで着心地は悪かったが、それでも何も着ていないよりは良い。

 履物はやはり他の女性と同じような、繊維で編まれた簡素なサンダルのような物だった。



 次に案内された食堂のような場所で、莱香はこの世界に来て初めての食事を取る事になった。パンと色々な具が入ったスープのような物。それとデザート的な果物が置いてあった。


 因みに肉類が無い事については事前に説明を受けていた。そこで初めて〈魔獣〉という存在を知った。あの恐ろしい化けサソリもその魔獣だったのだろう。


 匙を使って恐る恐るスープに口をつけてみると、少し薄味ながら意外なほど美味しかった。〈メイド〉の中に、料理が得意な女性がいるとの事だ。その温かいスープは、湯船に浸かった時と同じ幸福感を莱香にもたらし、それまでの空腹も手伝って、気付くとあっという間に料理を平らげてしまっていた。



「ご、ごちそうさまでした。とても、美味しかったです……」



 食べながら莱香は涙を流していた。今日一日色々あり過ぎて、自分で思った以上に精神的にも疲弊していたらしい。温かい料理でお腹が膨れた事で、気持ちのタガが緩んでしまっていた。クリスタが優しげに、それでいて少し痛ましそうに微笑んだ。



「……さあ、今日は疲れたでしょう。部屋に案内するから、明日起こしに来るまではゆっくり休んむといいわ」



 部屋は個室になっていた。ベッドは簡素だが、清潔に手入れされているようだ。空腹が満たされた事で、急速に眠気が襲ってきていた。一人になった莱香は、フラフラとベッドに歩み寄ると、そのまま倒れ込んだ。




(今日……一日……大変、だった……。舜……また、会えるのかな……?)



 そんな事を考えている内に、いつしか深い眠りに落ちていたのだった…………。


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