第41話 焦燥に駆られて
雲一つない、抜けるような青空が広がっている。太陽――マルドゥックから注がれる柔らかな日差しが、遮る物もなく大地を、そして人々の住まう都市を照らしていた。
そんな穏やかと形容しても良い陽気の中、似つかわしくない大きな掛け声や、金属を打ち合わせるような武骨な音が鳴り響いている一画があった。
ここはクィンダムの王都イナンナ。その王城の外縁にある練兵場。7年前までは、むくつけき兵士達が汗を流していたその場所では、今、50余名のうら若い乙女達が、一心不乱に戦闘訓練に励んでいた。
彼女達は、その可憐な容姿を真剣に引き締め、組み打ちや模擬戦に取り組んでいた。
クィンダムの精鋭部隊、〈
女性は基本的に神気に対して親和性があるが、女性なら誰でも神術が使えるという訳ではない。後天的な努力によってもある程度伸ばせるが、基本的には神術を扱うには素質が必要であった。
そうして素質に恵まれた者は、ある者は神官となり、ある者は直接外敵の脅威と戦う事を選び、聖女戦士隊に所属した。
神官と戦士を合わせても、全部で100名を少し上回るといった所で、クィンダムの現在の人口が5万人に満たない程度である事を考えても、神術を扱えるという事は、選ばれたエリートの証でもあった。
そんな「エリート」たる彼女達であったが、ここ最近の訓練の厳しさには、やや辟易気味であった。
原因は聖女戦士隊の隊長たるレベッカ・シェリダンにあった。元々ストイックな所があり、国中の誰もが認める実力を持ちながらも、尚不断の努力を欠かさない、まさに戦士の鑑と言える人物であった。
しかし初の遠征任務から帰って以来、更に強さを求めるように、訓練に打ち込むようになった。文字通り、寝る間も惜しんで、というやつだ。
どうやらより上位の進化種相手に、かなり手酷い敗北を喫したらしい、というのは隊員達も聞いていたが、詳細までは怖くて誰も聞けなかった。
結果、日に日に厳しくなる訓練に、付いていくのがやっと、という有様の者もいたが、それでもこのクィンダムを守る為ならば、と皆歯を食いしばって訓練に勤しんでいた。
彼女達が辟易していたのは、自分達の事に関してではなかった。隊員達は訓練をしながらも、ついそちらにちらちらと目線を送ってしまうのであった。そこには――――
「ほら、どうした! もうお寝んねか!? そんなザマでは眷属すら倒せんぞ!」
訓練用の木剣を片手に、レベッカが吼えている。その身を包むのは、彼女のトレードマークとも言えるミスリル製の白銀のビキニアーマー。大部分がむき出しとなっているその白い肉体は、真昼の日差しと激しい運動によって、汗で輝いていた。
そんな彼女の前には、ズタボロになった物体が横たわっていた。否、それはよく見ると黒髪黒瞳の一人の少女であった。
「さっさと立て、このグズが! 戦場では敵は待ってくれんぞ!?」
見るからに死に体の少女であったが、レベッカは容赦なく発破を掛ける。どなられた少女は、全身の打ち身の痛みに耐えながらも、辛うじてその身体を起こす。汗と土にまみれて、酷い有様であった。
だがその少女の目は死んでいなかった。何としてでも喰らいついてやる、という明確な意思を感じさせた。再び木剣を握り直して、拙いながらも構えを取る。
「ようし、その意気だ! 続き、行くぞっ!」
それを見たレベッカは嬉しそうに獰猛な笑みを浮かべると、更に少女を追い込んでいく。
そして数える事何度目か、少女が再び地面に倒れ伏した。今度はそれだけでなく、嘔吐のオマケ付きだ。
「た、隊長……。流石に今日はもう、それくらいにした方が……」
見かねた戦士隊の副長、ヴァローナ・フェリスが、恐る恐るという感じで声を掛けてくる。
「む? ……ふむ、そうだな。これ以上は無意味か……。よしヴァローナ。丁度いいから、お前がこいつを療養室まで運んでおけ」
「へっ!?」
「では、頼むぞ。おい、ミリアリア。次はお前だ。存分に扱いてやるから覚悟しろ?」
呆気にとられるヴァローナを尻目に、レベッカは先程から切なげな面持ちでこちらを見やっていた、もう一人の副長、ミリアリア・ブレーメルに声を掛ける。
呼ばれたミリアリアは、嬉しそうに、しかし充分な気合を込めて返事をする。
「ッ! はい! 宜しくお願いしますっ!」
再び始まる模擬戦。しかしミリアリアの腕は、黒髪の少女より数段上なので、多少模擬戦としての体を成していたが、それでも鬼気迫るレベッカの気迫と腕前に、瞬く間に劣勢となる。
「どうした!? お前の決意は、覚悟はその程度か、ミリアリア!?」
「くっ!」
ミリアリアも必死に食い下がる。凄まじい両者の気迫に触発された他の隊員達も、訓練を再開し、より激しさを増していく。そこには黒髪の少女が一時的とは言え解放された事への安堵も含まれていた。
「……今更どれだけ訓練したって、そこまで劇的に強くなれる筈なんてないのにねぇ……。まあ別に無駄とは言わないけど……。それよりもこの方を何とかする方が先決だと思うんですけどねぇ」
一人、その光景を他人事のように眺めていたヴァローナは、醒めた表情で倒れている黒髪の少女を見下ろした。
そして一つ溜息をつくと、少女を抱えて神殿へと直行していった……。
****
「う……う……はっ!?」
「あっ! お目覚めですか、シュン殿!?」
黒髪の少女――舜が目を覚ますと、そこはここ数日で見慣れた神殿の療養室だった。どうやらまた気絶してしまったらしい。
そこには自分をここまで運んできてくれたらしいヴァローナと、治療役の神官が控えていた。
(……はあ。駄目だな、こんなんじゃ。いや、まだ一ヶ月程度なんだ。諦めるのは早い……と言うか、諦める訳にはいかないんだ)
寝台から降りようとした舜だが、身体中の打ち身が悲鳴を上げて自己主張してきた為、痛みに呻いて寝台に戻る羽目になった。
「シュン殿ぉ! まだ早いですよ! もう隊長の許可は取ってあるから、今日はゆっくり休んで下さい!」
ヴァローナがそう言って舜を押し留める。
「で、でも、今のままじゃ俺……ただの無駄飯食いの足手まとい……」
「シュン様、しっかりと休養を取るのも訓練の内ですよ? 身体とは疲労や怪我から回復した時にこそ、より強くなるものです」
舜の治療役を務めていた神官、カレン・アディソンが、優しく舜を
ここ最近はリズベットも忙しくしており、舜の身の回りの世話や、今回のような応急処置などは専らこのカレンが担当していたので、舜ともそれなりに気心が知れてきていた。
また舜が実は元男性で、女体化してしまった事、そして何よりも魔力が消えてしまった事を知っている、数少ない一人だ。
「焦る気持ちも解りますが、ただ闇雲に自分を痛めつけても、解決するとは思えませんよ?」
諭すようなカレンの言葉に俯く舜。
焦っているのは事実だった。それも無理はないだろう。この世界を救う〈御使い〉として、フォーティアから送り込まれたと言うのに、その力の源である魔力が無くなってしまったのだから。
魔力が無い舜など、ただの無駄飯食いである。ましてや女性になってしまった事で、ただでさえ心許なかった体力や筋力も更に落ちてしまい、今の舜はその辺の一般の女性と何ら変わりない存在であるのだ。
「このままじゃ……俺は……」
俯いたまま暗い声で呻く舜。こうしてただ寝ているだけだと、思考がどんどん暗い方向へ傾いていってしまう。解っていても止められなかった。
困ったように顔を見合わせるヴァローナとカレン。これ以上自分達が何か言っても、気休めにしかならないという事が解ったのだ。
舜に引きずられて場が暗い雰囲気に沈んでいると、療養室の扉が開く音がした。
「あらあら、久しぶりに顔を見に来たって言うのに、随分辛気臭い顔ねぇ? 折角の可愛い顔が台無しよ?」
聞き覚えのある声にハッと顔を上げると、そこには約一月ぶりに見る、懐かしい姿があった。
「ロアンナさん!?」
燃えるような赤い髪に褐色の肉体を、相変わらずの革ビキニに包んで、別れた時と変わらぬ風情の女狩人ロアンナ・ウィンリィがそこにいた。彼女は舜が魔力を失った事で結局報酬を貰い損ねたが、その事については追求せずに、それからしばらくして王都を離れ、また元の狩人生活に戻っていた。
王都へ来たのはあの日以来となる。
「ふふ……何やらお悩みの様子ねぇ? お姉さんが相談に乗って上げるわよ?」
そう言って舜達の方に歩いてくる。
「ロ、ロアンナ、殿! シュン様は目覚められたばかりなんです。余りご無理は……」
「解ってるわよ。別にちょっと話をするだけよ。それくらいならいいでしょう?」
カレンの制止に、ロアンナは片手を上げて答える。それを見てカレンが溜息をつく。
「はぁ……。まあ、いいでしょう。応急処置は終わりましたので、私はリズベット様にご報告へ城に参ります。一応ロアンナ殿が来られた事もお伝えしておきます。……シュン様、くれぐれもご無理は禁物ですよ?」
「は、はい。ありがとうございました、カレンさん」
その言葉にニッコリと微笑むと、カレンは療養室を後にした。
「……何だかリズベット2号って感じねぇ。アラルの街の領主代行もお堅い感じだし、神官って皆あんな風なの?」
「そ、そうですねぇ……。割りと堅めの人が多いんじゃないかと……。多分、上に立つリズベット様の影響でしょうけど」
ヴァローナがやや言いにくそうに答える。
「へぇ? それで、そういうあなたはどうなのかしら、不良戦士さん? 上司や同僚とは随分毛色が違うようだけど?」
「え!? や、やだなぁ、ロアンナ殿。勿論私だって隊長を尊敬してますとも! そ、それじゃ私も訓練に戻りますんで、後は宜しく!」」
矛先が自分に向かってきそうな気配を察したヴァローナは、呆気にとられている舜を残して、そそくさと部屋から出ていった。
「……ロアンナさん」
舜がやや呆れたような視線を向けると、ロアンナは肩をすくめた。
「……私はあの子、毛色が違ってて結構気に入ってるんだけど、つれないわねぇ」
ロアンナはそう言って、舜の寝台に腰掛けた。
「まあ、いいわ。……それよりシュン。随分悩んでるみたいね?」
言われて舜は再び俯いて唇を噛みしめる。
「お、俺……こんなになっちゃって、このままじゃただの役立たずです。これじゃあ何のためにこの世界に来たのか……」
魔力を失って一ヶ月。再度魔素を吸う事も含めてあらゆる方法を模索したが、未だに舜の魔力は戻っていなかった。あれ以来フォーティアの方も音沙汰なしである。
現状に激しい焦りを感じた舜は、少しでも戦えるようにと、レベッカに稽古を付けてもらうように頼み込んだ。リズベットは反対していたが、レベッカは難しい顔をしながらも、舜の意を汲んで、何も聞かずに了承してくれた。
レベッカは一切容赦しなかった。魔力を失い、性別まで変わってしまった舜相手でも、他の兵士と全く隔てなく訓練を課した。
過酷な訓練を行っている間は、焦燥を忘れる事が出来た。舜は何かに取り憑かれたように、がむしゃらに訓練し続けた。しかし元々華奢で体力の低かった舜が、女性になった事で更に弱々しくなってしまい、どれだけ訓練しても、一向に強くなったという実感は得られなかった。
多少は体力が付いたかも知れないが、所詮はそれだけだ。到底、実戦で通用するレベルではない。
結果、訓練が終わってから更に焦る事になり、焦りから再び無茶な訓練を繰り返して……という悪循環に、舜は陥っていた。
「ぜ、全然強くなれないんです……! ロアンナさん、お、俺、どうしたら……!?」
「…………」
ロアンナはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げると、静かに訊いて来た。
「……普段はどんな訓練をしているの?」
「え……?」
ロアンナの目は真剣だ。意図が解らないままに、舜は普段の様子を答える。
それを聞いて再び考え込むロアンナ。再び顔を上げると……いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
「ふふふ……良い事思いついちゃったわ。物は試しってやつね……」
「あ、あの……ロアンナさん?」
若干不安になった舜が恐る恐る尋ねると、ロアンナは笑みを浮かべたまま楽しそうに言った。
「ふふ、このお姉さんに任せなさい。どうせ行き詰まってるんでしょ? だったら、やってみる価値はあると思うわよ?」
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