第二章 悪鬼

第40話 後悔

 時刻は夕暮れ時。人気のないひっそりとした雑木林に埋没し掛けた寂れた倉庫跡。普段訪れる者も滅多にいないような、その忘れられた区画に今、1人の少女が訪れていた。


 それは美しい少女だった。気の強そうな目鼻立ちの整った美貌で、艶やかな黒髪を長めのポニーテールにしていた。160台後半程の、均整の取れた長身を包むのは近隣の名門女子校指定の制服であり、その華やかな美貌も相まって、このような朽ち果てた場所には似つかわしくない少女であった。


 更に敷居を高くするかのようにその倉庫跡の周囲には、警察・・によって黄色と黒のテープが、この場所を囲うように張られていた。

 少女はそのテープをくぐり抜けて、この場に侵入していたのだ。


 尤も、事件・・は既に一ヶ月前の事であり、原因も明らかだった事から、被疑者死亡・・・・・として、検死もおざなりのまま警察の捜査は終了となった。





(もう……一ヶ月も経つのね……)


 少女は、ここしばらくの騒ぎを、他人事のようにぼんやりと思い返していた。


 警察の無関心ぶりとは対照的に、マスコミの報道は過熱の一途を辿った。

 1人の少年による、クラスメート5人もの大量殺人。それがいじめの報復によるものである事は、殆ど聞き込みをするまでもなく明らかになった。そして復讐を遂げた犯人の少年も、直後に自殺した。


 実に6人もの少年が、この場所で命を落としたのである。現場は凄惨極まりない有様であったと言う。

 ただでさえ世論は、いじめなどの問題には敏感になっているご時世である。大事件に飢えていたマスコミは、こぞってこの悲劇をセンセーショナルに報道し、報道合戦は加熱した。


 自殺した犯人の少年が、非常な美少年であった事も、世間の注目を集める要因となった。


 犯人の写真を入手したマスコミの一部が、遺族や警察の了承も得ずに勝手に写真を公開。

 勿論批判は続出したものの、対岸の火事である人々の好奇心や野次馬心はあっさりと倫理観を上回り、犯人は悲劇の美少年として、世間の……特に女性視聴者からの関心を大いに集める事となった。


 マスコミの取材は、少年の周囲の人間関係にまで及び、少女が少年と、いわゆる幼馴染の関係にあった事も突き止められてしまった。

 美男美女の幼馴染として、事件にドラマ性を求める世間とマスコミによって、少女も執拗な取材攻勢に晒される事となり、マスコミから隠れるような日々を過ごさねばならなかった。



(何で……こんな事になっちゃったんだろう……? しゅん……。私……私っ……!)



 その少女――九条莱香らいかの心にあるのは、ただひたすらに深い悲しみと喪失感……そして激しい後悔であった。


 舜の起こした事件によって、莱香の生活も一変した。マスコミに追い回され、学校で彼女を慕っていた生徒達も、次第にその目が同情から好奇心や詮索心に移り変わって行くのを、莱香は目の当たりにしてきた。

 元々惰弱な舜を嫌っていた莱香の両親も、その事でマスコミに目を付けられて道場にあらぬ悪評が立ったと、莱香を責め立てた。


 一ヶ月も経ち、マスコミの熱もようやく収まってきたものの、一度壊れた人間関係は修復されなかった。皆、腫れ物に触るように莱香を扱った。たった一ヶ月で彼女の居場所は無くなってしまっていた。


(私……私が、ちゃんと舜の様子を気に掛けて、相談に乗っていれば……)


 しかし莱香には舜を恨む気持ちは微塵も無かった。あるのは後悔と、自分への怒りだけであった。





 兆候はあったのだ。

 中学まではいつも一緒に登校していた。高校になって、それぞれ別の学校へ進学したが、それでも1年の頃は、よく途中まで一緒に通っていたものだった。


 2年に進級してから、その頻度は次第に少なくなり、やがてぱったりと途絶えた。


 自分も舜も高校生なのだし、舜も異性を明確に意識し始める年頃になったのだ、と自分に言い聞かせて、余り莱香の方から関わる事はしなくなった。無理に距離を詰めても、きっと舜が嫌がるだろうから、と思ったのだ。


 寂しくはあったが、自分と舜の関係は、そんな事で崩れたりはしない、という自負もあった。


 そして自分も生徒会や、実家の道場の事などで忙しくしていた為、舜が離れた本当の理由を深く追求しようとしなかった。


 始業式の日に舜が言っていた冗談は、恐らく冗談ではなかったのだ。


 しかし彼女は、あまり踏み込めば舜が嫌がる、という理由を付けて、それを故意に聞き流した。その後、次第に暗くなっていく舜の表情にも、気付かない振りをし続けた。


 自分から踏み込むべきではない、舜の方から相談して来たら考える……と、自分に言い訳をして、日和見ひよりみを決め込んだのであった。


 そして、その結果は最悪の形で莱香を打ちのめした。




(私……私のせいだ……。舜には味方なんて誰もいなかった。それで追い詰められて、あんな……。私がちゃんと舜に向き合って、相談に乗っていれば……!)



 味方が一人でもいれば、或いはあの惨劇は回避出来ていたのではないか……そんな後悔が、あの日以来彼女を苛み続けていた。


 しかも全くあずかりり知らない事だったならともかく、薄々察していながら、自分からデリケートな問題に踏み込む事を恐れて、見て見ぬ振りをしたのだ。舜に拒絶される事が怖かったのだ。


 結果……掛けがえのないものをうしなった。

 今更後悔しても、後の祭りである。



(何が……頼れる姉さんよ……! 何が、私が守ってあげる、よ! 肝心な時に日和見決め込んだ私が、どの面下げて……!)



 これはきっと自分への罰なのだ。傷つく事を怖れて、結果修復不可能な程の、深い傷を負う事になった。



「ふ、ふふ……うふふ……ふ、う……うう……ふぐっ……ううぅっ……!」



 虚しさから乾いた笑いを上げていた莱香だが、やがてそれは抑えようもない嗚咽おえつに変わっていく。





 ――どれくらいの間、そうしていただろう。気が付くと辺りはすっかり暗くなっていた。


 ただでさえ人気のない寂れた場所だが、夜になれば街灯の一本もなく、辺りは完全な闇に包まれてしまう。


 6人もの人間がつい最近死んだ場所だ。普段であれば流石に莱香も恐怖を感じる状況だが、自暴自棄になっていた彼女は、むしろ舜の幽霊でも現れてくれないかと、半分本気で考えていた。


 そんな事を考えていたからだろうか……フラフラと出口に向かって歩いていた莱香は、視界の端に淡い光のようなものが灯っているのを認識した。


「……ッ!?」

 咄嗟に振り返った莱香は、倉庫跡の地面の一点が青白く発光し、薄い光の膜を立ち昇らせているのを見た。


「な、何なの……!?」


 まさか、本当に幽霊!? と、思わず動揺してしまう莱香。


 だが不思議とその光は剣呑な感じがせず、逆に淡く発光したその光の柱は、幻想的な雰囲気に包まれ、また全てを包み込んで癒やしてくれそうな優しさを、莱香は感じていた。


「…………」

 まるで魅入られたかのように、光へと近付いて行く莱香。ゆっくりと近付いていき……遂に光の中へと足を踏み入れてしまう。


「……! あ、ああ……! こ、これは……!」


 光に包まれた瞬間、莱香の脳裏に謎の光景が浮かび上がる。そこに映っていたのは――――



(舜……? これは、舜なの? 舜は……舜は、生きている……!?)



 莱香がそう知覚した途端、光はその色を失って、急速に薄れていく。

 青白い光が完全に消えると、そこには……莱香の姿は無かった。光の消滅と共に、彼女もまたこの世界から姿を消した。


 誰もその光景を見た者はいない。後に残ったのは、ただ暗闇に沈むガランとした倉庫跡のみであった…………


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る