第35話 蹂躙

「はあぁぁぁぁ……はあぁぁぁ……ふうぅぅぅぅ……」


 怒りに任せて、瞬間的に大量の魔力を消費した舜は、肩で大きく荒い息を吐きながら、眼前を睨みつける。吉川の姿は見えない。声も聞こえてこない。


 あの雷球の魔法の直撃を受けたのだ。普通なら一瞬で消し炭。良くても再起不能の重傷だろう。


「俺の……怒りを……思い、知ったか……吉川……!」


 後悔は……無い。吉川は死んで当然のクズだった。同情する気なんて全くない。しかも殊更に挑発して舜を煽ったのだ。自業自得である。

 舜は努めて心を落ち着けようとした。その時――――





「……ッシャアァァァァッ!!」


 爆煙を突き抜けるようにして吉川が突進してきた。


「……ッ!?」


 倒したと思って気を抜いていた舜は、その想定外の攻撃に対応できず、魔力の篭った鉤爪の一撃をまともに受けてしまう。


「ぐぁぁっ!」


 咄嗟に庇った両腕が鉤爪に切り裂かれる。痛みと衝撃で腕が下がった所に飛び蹴り。


「がふっ!」


 辛うじて魔力の障壁を張ったものの、まともに受けた舜は吹っ飛ばされ、地面を転がりながら倒れ伏す。


「が……はっ……!」


 何とか立ち上がろうとするが、力が入らず再び伏してしまう舜。ダメージは深刻であった。




「……やるじゃねぇか、シュンよぉ。あそこまでの力が出せるとは、流石に予想外だったぜ?」


 吉川も無傷とは行かなかったようだ。身体中の至る所が焼け焦げ、鱗が剥がれて血が滲み出ていた。

 だが……立っていた。自分の足で踏み立ち、舜に痛恨の一撃を喰らわせたのだ。



「だが……やっぱり最後に笑うのは俺だったなぁ? お前はその程度の奴なんだよ、シュン」


 吉川が歩み寄ってくる。舜はうつ伏せの姿勢から身を起こせない。吉川が舜の背中を踏みつける。


「がぁっ!?」


 背骨と内臓を押し潰されるような苦痛に、舜の顔が歪む。


「お前だけは殺すっつったなぁ、シュン? ……忘れたのか? お前はもう俺を殺した・・・じゃねぇかよ。あの倉庫跡でな……」


「……!」



「お前に俺達に復讐する権利なんてもう無ぇんだよ! 何故ならお前の復讐はもう終わってる・・・・・からだ!」


「……ッ!!」



 あえて目を背けて考えないようにしてきた事実。そう、舜はもうあそこで己の復讐を果たしてしまっていたのだ。そしてそれの意味する所は――



「解るかよ? 逆なんだよ、逆! 俺が! お前に! 復讐! すんだ、よっ!」


「がぁっ!? ぐぁぁっ!!」



 一言ずつに吉川が足を振り上げて、舜を足蹴にしてくる。その度に激痛に呻く舜。



「お前の刺したナイフなぁ。俺の肺に刺さったんだぜ? あの痛み……想像できるか? どんだけ息吸っても苦しくてよ……。痛みと出血と……そして窒息で死んだんだよ、俺はなぁ! お前にあの苦しみが想像できんのかよ!?」


「がはぁっ!!」

 思い切り踏みつけられた舜は、ついに吐血する。内蔵を傷つけられたようだ。



「あの……テスカトリポカ様が救ってくれなかったら、俺は今もあの虚無の世界にいたかと思うと、心底からゾッとするぜ」


「テスカ……トリ、ポカ……?」


 聞き覚えのある名前に思わず舜が反応する。



「おうよ! 俺にこの力と、お前に復讐する機会を与えて下さった偉い神様だよ! ……この5年以上の間・・・・・・、長かったぜぇ? 〈王〉なんて柄じゃなかったが、お前に復讐出来るなら、と待ち続けた甲斐があったってもんよ!」


「ご、5年……?」


「お前はこの世界に来たばっからしいな? 俺も理屈は解らねぇが、なんたって偉い神様のやる事だ。時間なんか飛び越えたってそう不思議は無ぇ。お陰で俺はじっくりと魔力を高めて、地盤を固めた上で、お前を待ち構える事が出来たって訳さ」


「そ、そんな……」


 吉川は、予め舜が来る事を解っていたのだ。しかも5年以上もの間、復讐心を研ぎすませて待ち構えていたのだ。この結果は、なるべくしてなったという事なのだろうか。




「さあて、お喋りはここまでだ。 ショータイムと行こうじゃねぇか。精々長く苦しんでくれよ?」


 そう言うと吉川は、舜の背中を踏みつけていた足に体重を掛け、力を込め始める。背中ごと押しつぶし、踏み抜く気だ!


「ぐっ!? がぁ! あがぁぁぁっ!!」


 徐々に圧迫を増す背中の圧力に、舜は恐怖に駆られた。恥も外聞もなく、必死に暴れまわって抜け出そうとするが、力の差は圧倒的だ。


「ハハハハハ! いい感じになってきたじゃねぇか! もっとだ! もっと恐怖して俺を楽しませろよ!」


 吉川の哄笑が強まる。舜は最早それを屈辱に感じる余裕もない。


(い、痛い! 苦しいぃぃぃ! た、助けて、誰か……!)


 客観的な思考は奪い去られ、そこにあるのはただ、死の恐怖と、苦しみから逃れようとする生存本能だけであった。





「ハハハハハハ……ハガ!?」


 吉川の哄笑が不意に止まる。同時に舜の背中に掛けられていた圧力も停止する。吉川は……己の側頭部に浅く刺さった白い鏃の矢・・・・・を引き抜くと、それを不思議そうに眺めた。

 と、同時に――


「ずあぁぁぁぁっ!」


 白銀のビキニアーマー姿の女戦士が、振りかぶった剣で斬りつける!


 吉川がそれを傷が少ない方の腕でガードすると、その下を掻い潜るようにして、金髪の女神官が手にしたメイスで吉川の脇腹――鱗が剥がれて、血が滲んでいる箇所に、全力で叩き付けた。


「てやぁぁっ!」

「んぎっ!?」


 むき出しの傷口をメイスで殴られた吉川が、思わず珍妙な声を出して怯むと、そこに赤髪の女狩人が短槍を突き出してくる。


「はぁっ!」

「……ッ!」


 正確に喉元付近の傷口を狙った鋭い突きに、吉川が思わず舜の上から離れて大きく飛び退く。

 レベッカが……リズベットが、ロアンナが、舜を庇うようにして、吉川の前に並んで立ち塞がった! 




「シュン様! シュン様!? しっかりなさって下さい!」


 リズベットが懸命に呼び掛けてくる。


「リ……リズベット、さん……? レベッカさん達、も……」


 内蔵を傷つけられた痛みに呻きながらも、舜が顔を上げると、そこには見慣れた3人の女性の顔があった。


「遅くなって悪かったわね、シュン。あいつに気迫に呑まれて言う事を聞かなかった身体が、やっと動くようになったのよ」


 ロアンナが気丈な笑みを浮かべて言う。その視線は油断なく吉川を見据えたままだ。


「シュン。あいつとお前の間に何があったのかは知らんし、詮索する気もない。だが……あんな憎しみに満ちた顔で、後先考えずに攻撃するなど、お前らしくもないぞ。……冷静になれ」


「レ、レベッカさん……。ロアンナさんも……。だ、駄目です。皆さんに勝てる相手じゃありません……! 逃げて……逃げて下さい……!」


 まだ苦痛に支配されている舜は、息も絶え絶えに言ったが、レベッカはふっと笑う。


「消耗しているのはあいつも同じだ。お陰で我らの呪縛が解けたのだからな。それに……我々が瀕死のお前を見捨てて自分達だけ逃げると思ったか? 今思えば、最初に戦場を離れなくて良かったぞ」


「レベッカさん……!」


「それにシュンは、私達を何度も助けてくれたじゃない? 今度は私達が君を助ける番よ」


「ロアンナさん……」



「ええ……。ふふ、それに今から逃げても、もう手遅れですわ。ならばやれるだけの事はやってみますわ」


 リズベットの言葉にハッとして吉川の方を見ると、彼はもう完全にレベッカ達を獲物として認識していた。





「……おいおい、シュン。こりゃどういう事だ? もしかしてあれか? 異世界ハーレムって奴か? 女男の分際で生意気じゃねぇかよ……」


 吉川が怒気を発散させながら、近付いてくる。


「こちとら〈王〉だからな。奴隷として捕らえた女はよりどりみどりだ。元王族だの貴族だのの女も、大勢抱いてきたが……最近はマンネリ気味だったんだよなぁ」


 吉川の声が好色さと残忍さを帯びる。


「よく見りゃ、どいつも極上品じゃねぇか。シュン、てめえなんぞには勿体無ぇ。……決めたぜ。てめえの見てる前で、この女共をメチャクチャに犯して、俺の性奴隷にしてやる」


「……!」



 吉川の宣言に舜が震える。コイツが……異形の怪物に変異したクズの吉川が、レベッカさん達を犯す……? そんな事、絶対にさせる訳には行かない!



 必死で制止しようとする舜だが、その前にレベッカが裂帛の気合いを発する。


「汚らわしい男め! やれるものならやってみるがいい――」

「んじゃ、遠慮なく」

「――ッぁ!?」


 レベッカがその啖呵を切り終わった時には、既に吉川はレベッカの眼前にいた。強化による神速の踏み込み。一瞬で間合いを詰められたレベッカは、驚愕しながらも何とかその鉤爪の一撃を盾で逸らす事に成功する。


 だが禄に神気を纏わせていない盾は、たった一撃、それも逸らしたにも関わらず大きなヒビが入った。


「なっ……!」


 間髪を入れず、レベッカの前に突き出された吉川のもう一方の手に、微弱なスパークが発生する。スパークはレベッカの全身を包み込む。


「ぐあぁぁっ!」


 レベッカの顔が苦悶に歪み、その身体が痙攣する。初歩的な電撃の魔法……それもレベッカの肉体を傷つけないよう最低限の出力に弱められた物だ。


 大幅に手加減されたその魔法は、しかしレベッカを戦闘不能に陥らせるには充分だった。倒れ伏したレベッカは起き上がる事ができない。意識はあるようだが、身体が麻痺して動かないのだ。

 それは正に一瞬の出来事であり、リズベットもロアンナも、加勢する暇さえ無かった。クィンダム最強の戦士が禄に抵抗すら出来ずに、一瞬で無力化させられた。




 唖然とする2人。


「オラ、固まってる暇無ぇぞ?」


 再びの神速。次の標的はロアンナだ。


「くっ……!」


 思わず槍を突き出すロアンナだが、吉川はあっさりとその槍を掴み取る。


「……ッ!」


 咄嗟に槍を手放して後方へ跳ぶロアンナ。しかし吉川の踏み込みの方が遥かに速い。ロアンナの至近距離に肉薄した吉川の手に、再び大幅に手加減された微弱なスパーク。


「うあっ!?」


 一瞬で麻痺させられたロアンナも、レベッカと同じように倒れ伏す。


「ロ、ロアンナさん!?」


 舜が悲鳴を上げる。吉川の視線は、当然最後の1人……リズベットに向く。



「さあて、あっという間に一人ぼっちだぜ? どうすんだよ、オラ」




 嘲るような吉川の言葉に、リズベットは唇を噛み締める。


「フォーティア様、ご加護を……!」


 リズベットはなけなしの神力を振り絞ると、メイスを振り上げて吉川に特攻した。


「……へっ!」


 メイスが当たる寸前に、吉川の姿が消えた。



「……!」

 まるで瞬間移動と見紛う速度で、リズベットの真後ろに回り込んだ吉川は、標的を見失って戸惑うリズベットにも、微弱なスパークを浴びせる。


「きゃあぁぁぁっ!」


 手加減された電流を浴びたリズベットも、膝から崩れ落ちる。





 それは時間にして20秒にも満たない、短い時間であった。僅かそれだけの時間で、クィンダムのトップ3が無力化させられていた。それも吉川は本気どころか、彼女達を傷つけないよう細心の注意を払い、大幅な手加減をした状態なのだ。


 神術を殆ど使えないという悪条件は確かにあった。だが彼女達は少なくともほぼ無傷の状態であり、対して吉川は舜の攻撃魔法で重傷を負い、激しく消耗した状態である筈なのだ。


 ――力量差と言うのも愚かしい程の、圧倒的な次元の違いであった。

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