第33話 不吉なる予感

 あれだけ濃密に満ちていた魔素が拡散し、既に他の地域と変わらない程度の水準にまで落ち着いている。勿論魔素が無くなった訳ではないから、依然として進化種の領域である事に変わりはないので、到底安心できるような環境ではないのだが……。


「これで……陛下をお救いする事ができたのでしょうか……?」


 リズベットが、自信なさげに聞いてくる。ダイレクトな情報伝達手段など無い世界であるので、実感が湧かないのは当然だろう。


「はい。少なくとも当面の危機は脱したと思います」


 舜とて転送知識でこうすれば良い、と知っているだけなので、確信がないのは一緒だ。本当にこれ一つを破壊するだけで良かったのか。それどころか、ここまで来る間に、手遅れになり女王が死んでしまっている可能性も皆無ではない。


 だがそんな事を今ここで言う必要はない。どの道、クィンダムに戻れば解る事だ。


「そうだな。陛下がご無事かどうかはクィンダムに戻って、神膜が健在かどうかを見ればすぐに解る事だ」


 偶然だろうが、まるで舜の心を読んだかように、同じ事をレベッカが言った。




「それならさっさと戻らない? 正直私もうクタクタなんだけど」


 ロアンナが冗談めかして言うが、その表情は辛そうに歪められたままだった。未だに座り込んだままだし、神力を限界まで絞り尽した影響は大きいようだ。


「そうですね。要石は破壊しましたが、ここが依然として危険な場所である事は変わりません。私達も神力を殆ど使い果たしてしまいましたし、その意味でも一刻も早く戻った方が良さそうですね」


 碌に神力が残ってない状態で、進化種の領域に留まっているなど、女性にとっては自殺行為に等しい。リズベットの言う事も尤もだ。

 勿論今は舜が一緒にいるので、絶対に良からぬ事などさせないが、早く安全な場所に戻るに越した事はない。


 へたり込んでいたレベッカ達が、ようやっと重い腰を上げる。


「さあ……それでは帰ろうか、クィンダムに」


 レベッカの言葉に舜を含めた全員が頷く。



****



「そうだ、シュン。お前に言っておかねばならん事がある」

 撤収中、レベッカが神妙な表情で舜に話しかけてきた。


「お前のあの凄まじい力……あれは他の女達の前では極力出すな。我らも殊更に広めるつもりはない。この意味は……解るな?」

「……!」


 言われて舜は気付いた。〈貴族〉を簡単に屠ってしまった力……それを自在に操る舜に対して、普通の人間が抱く感情は――怖れ。


 ただ念じるだけで自分を簡単に殺せる存在が近くにいたら、誰だって怖れるのが当たり前だ。例えそんな事はしないと、どれだけ言っても、碌に舜の事を知らない人々から怖れが消える事は無いだろう。


 いや、怖れだけで済めばまだいい。それが容易に、拒絶や排斥に移行する可能性がある事は想像に難くない。もしくは圧倒的な力に対する服従や崇拝か。


 いずれにせよ、舜はそのような関係性や環境の変化は望んでいなかったので、素直にうなずいた。


「はい、解ります……。そうですね。俺も気を付けます。……心配してくれてありがとうございます、レベッカさん」


 舜が素直に礼を言うと、何故かレベッカは若干顔を赤くしながら視線を逸らした。


「も、物分かりが良いのは助かるが、そう素直に礼を言われると調子が狂うな……。要はお前の力を化け物扱いしているんだぞ? 怒ってはいないのか……?」


 何だそんな事か、と思って舜は笑った。


「本当に化け物扱いしているなら、まずレベッカさん達が俺を遠ざけようとしてる筈ですよね? でもレベッカさんは勿論、リズベットさんもロアンナさんも、全然態度は変わっていない……。俺にとってはそれだけで充分ありがたいです。それにこうやって忠告までしてくれてるんですから、礼を言うのは当たり前の事です」


「シュン……」


 レベッカが驚いたように舜を見ていた。それからハッとして誤魔化すように咳払いする。まだ頬は若干赤いままだ。


「おほん! ……解って貰えたなら良い。さ、さあ、準備が出来たなら出発するぞ!」


「ふふ……そうですね。行きましょう、レベッカさん」


 その様子がおかしくて、ついまた笑ってしまう。

 

「何がおかしい!?」

「い、いえ、何でもありません」


 2人はそんなやりとりをしつつ、先行しているリズベットとロアンナの方へ駆けていった。



 無論、進化種との戦いはこれからも続く。だが〈貴族〉を倒し、要石も破壊できた。少なくとも今回の戦いは無事に勝利で終わった。


 誰もがそう思っていた……。




        ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 変化の予兆は唐突に訪れた。黒一色に塗り潰されていたその空間に、光が満ちる。

 同時にフォーティアは全身に神力がみなぎって来るのを感じていた。


(これは……! シュン、やってくれたのね……!?)


『……これは、まさか……』


 フォーティアを拘束し、今まさに陥落させようとしていた無数の黒い触手――テスカトリポカの分身は、空間内に急激に満ちる清浄な神気を感じて、戸惑いの声を上げる。

 フォーティアは空間に満ちる神気を吸い込み、自身の神力を極限まで高める。そして――


「離れなさい、下郎っ!!」


『……!!』

 フォーティアの身体から放射状に拡散する圧倒的な神力は、自身に纏わりついていた忌まわしい触手を残らず弾き飛ばした!


 その凄まじい衝撃に、ある触手は粉々に千切れ飛び、ある触手は清浄な神力に触れた事で消滅し、また難を逃れた触手も苦しむようにその場でのたうっていた。

 今までの鬱憤を晴らすかのような、フォーティアの怒りの神術は、一撃でその空間に蠢いていた殆どの触手を再起不能にしていた。


『この威力……まさか要石の1つが破壊されるとはな。……どうやらあの少年を見くびっていたようだ』


 触手の殆どが破壊されたにも関わらず、その「声」の調子は些かも動揺していなかった。ただ……ほんの少し、意外そうな響きが混じっているのを、フォーティアは聞き逃さなかった。


「……私の神力を弱めていた13個目の要石は砕かれたわよ? イシュタールにはシュンもいるし、神膜もより盤石になった。もうお前達の思い通りにはならないわ!」


 要石には、イシュタールでの魔素の圧力を強めるだけでなく、女神の力を弱める「くさび」の役割もあった。

 それによって力を弱められたフォーティアの姉妹達は、次々と「奴等」に囚われていったのだ。


『フ、フ……認めよう。要石を破壊されたのは予想外であったと。だがあの少年さえいなくなれば、またいつでも状況は覆せる……』


 その負け惜しみのような言葉に、フォーティアは挑戦的に応じる。


「魔力を全開まで解放したシュンに勝てる者など、イシュタールにはいないわ! シュンは必ず全ての要石を破壊する。 お前達こそ、その時を怖れるがいい!」


 だがその挑発にもテスカトリポカの余裕は崩れない。


『ファハハ、威勢の良い事だ……。確かにイシュタールにはいないかも知れん。だが……同じアヌの人間ならどうだ?』


「……!」

 あの時に言われた不吉な話を思い出す。シュンに……強い恨みを持つ人間という話。



「あ、あんなもの……私を動揺させ、抵抗を弱める為の作り話でしょう!? その手には乗らないわ!」


 半ば自分に言い聞かせるように叫ぶフォーティア。それを見てとったテスカトリポカが嘲笑する。


『作り話かどうかはすぐに解る……。既に我が〈使徒〉に「神託」は下しておいた。もう間もなく、お前のご自慢の〈御使い〉と相対する頃であろうな』


「なっ……! し、〈使徒〉ですって!?」




 散らばっていたテスカトリポカの分身が消滅し始める。それと共に「声」も遠ざかり始める。


『力を取り戻したなら、お前にもイシュタールの様子は見れよう。きっとすぐに面白いものが見られるぞ……?』


「ま、待ちなさい! 話はまだ……」


『ファハハ……また会おうぞ、勇気の女神フォーティアよ……』


 その哄笑を最後に、テスカトリポカの「声」は完全に聞こえなくなった。


「くっ……!」


 フォーティアは歯噛みする。例え奴の話が本当だとしても、シュンが負ける事などあり得ない。……その筈だ。


「シュン……!」


 フォーティアは、忍び寄ってくる不安を振り払うように、イシュタールの……シュンの様子を観る為に、目の前に、巨大な宙に浮く鏡のような物を作り出した。


 その鏡は、フォーティアの見たいイシュタールの光景を、正確に写し出す。そしてそこに映っていたのは――――



        ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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