sideクラウド
冬が来る度、僕はあの日のことを思い出す。十年前の雪降る日に、僕が乗っていた馬車が婚約者のライラを轢きかけてしまったあの日を。
あの日、僕は急な揺れに驚いて馬車の窓を開けた。するとそこには、真っ白な雪世界の中で天を仰ぎ、両拳を握りしめながら奇声をあげている婚約者の姿があった。その日から彼女は少し……いや、かなり変わってしまった。僕自身、それ以前の彼女にどんな印象を持っていたのか、もはや記憶にないほど。
あわや大事故になる所であった現場に、彼女の両親、使用人達が群がっていた。咄嗟に僕は馬車から降り、人混みを掻き分けてライラに駆け寄った。
「ライラ嬢! お怪我はありませんか!」
彼女はきっと怯え震えているだろうと思った。が違った。
「ファ?! ク、クラウドさま?! あの馬車クラウド様が乗っていらっしゃったの? あばばばば……避けてしまいましたわ。私の馬鹿……初っ端からこんなビックなご褒美イベントを逃してしまうなんて……本当に惜しいことをしました……」
こんなことを鼻息荒げて言っていた。今考えると本当にお馬鹿丸出しでどうしようもないな……。怪我がなかったので良かったのだが。
しかし幼かった僕は、彼女の意味不明な発言を恐怖のあまりに混乱してしまったのだと解釈し、とんでもないトラウマを与えてしまったと申し訳ない気持ちになって何度も謝った。
しかし彼女がおかしなことを言うのはこの時だけじゃなかった。むしろそれからずっとだ。僕は彼女がこの時密かに頭を打ってその打ち所が悪かったんじゃないかと国中の医者に相談したが、診察の結果は特に異常なし。医者から言われる言葉は決まって「確かに少々独特な令嬢ですが、それは元々でしょう」だった。それを聞いて僕は愕然としたのを今でもよく覚えている。
時が経て、中等部に入学する頃には僕も彼女のおかしな言動に慣れ、少々のことなら聞き流すことができるようになっていた。人の適応能力とは凄いものだ。そんな時だった。
「ライラ、縄なんか持ってどうしたんだい? 曲芸ならここじゃなくて外でやっておいで」
客間にやってきた彼女は、束になった縄を取り出し不気味な笑みを浮かべていたため思わずそう言った。ちなみに僕は、彼女以外の女性にはこんなストレートな物言いはしない。
「っふふ。クラウド様、私の教育のおかげでいい感じに育ってきましたわね……実はお願いがあってまいりましたの……ふふふふ」
「君に育てられた覚えはないけどね」
これぐらいの言動はもはや可愛いものだ。いつも通り笑顔で聞き流せた。はずだった。
「王子! 私を縛ってくださいませ!! “亀甲縛り”でオナシャス!!」
「あ?」
さすがに耳を疑ったね。そもそもまだ十代前半。幼少からの王太子教育のおかげで同世代の国民よりも純粋に育った僕だ。ただただ彼女が言っている言葉の意味が理解できなかった。
「亀甲縛りです」
「きっこうしばり?……何を言っているんだ。そのような単語を僕は知らない。それに縄で縛るって……罪人にすることじゃないか。君は婚約者にそのようなことをする人間がいると思うのか?」
と冷静に言い返したと思う。今なら適当に縛ってその辺に吊るしておくが、なんせまだ僕は幼かった。
「えっ?! ご存じない? 次期国王であらせられる殿下が……なんと!!」
な、むかつくだろ。だが僕はその通り王族だ。知らないことがあるのは恥だと思い、彼女を家に帰した後に王宮図書館できちんと“きっこうしばり”とは何か調べたよね。うん。本当にね、こんな多感な時期になんてこと教えるんだと思うよ。それにちょっと想像してしまったんだから責任取って欲しかった。
高等部に上がる頃には、彼女とともに僕まで変態に染まってきた気がしてかなり悩んだ時期もあった。彼女にはずっと振り回されてばかりだった。ああ馬鹿だな変態だなって思うけど、僕自身楽しい時もあって特に嫌ではなかったし、むしろ彼女が他の奴に同じこと言ったら許せないなぐらい思ってしまっていた。完全に病気になったと思った。
しかし高等部から転校してきたヘレネ嬢なんかはよくそんな僕を気遣い、何度かカウンセリングをしてくれた。あれは本当に助かった。ヘレネ嬢はいつも「ライラ様にはライラ様の愛情表現がございます。殿下はそれを受け止めてあげたらいいのですわ。みんな違ってみんないい……と先人の言葉もありますから」と諭してくれた。まともだ。ライラも少しはヘレネ嬢を見習って欲しかった。
しかしまぁ、ライラだって可愛いところがないことはないんだ。……えっとつまり、可愛いところもあるってことだ。誠に不覚だが。いつからか彼女の被虐変態発言もちょっといいな……と思ってしまうようになったし、相変わらず意味不明なことをよく言うが、その分退屈しないと感じるようになっていた。ただ注意して欲しいのは、決して僕自身が変態に毒されたのではなく、ただ大人に成長したということだ。異論は認めない。ヘレネ嬢もそうだと言っていたから間違いない。
うん。だから僕は、決して決して変態じゃない。それからは気持ちが少し楽になったような気がする。
fin.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます