第26話


「契約は明日までだ。とうとう、懺悔の時が訪れた」


 豪華な調度品が置かれた執務室。

 対面テーブルに座る中年の男が張り詰めた表情で告げる。

 対面に座るの年配の女性は表情を崩さず、小首を傾げ話しの続きを促した。


「エリザベス王女殿下が慰問に訪れた。

 私が外に出られずとも、目的から言ってあの件が公になるだろう」


 端的に告げられた言葉に、年配の女性は笑い声を上げた。


「あらあら、それは素晴らしいことではありませんの?

 このまま王女を捕らえ、引き渡してくださいませ」

「ふっ、ふざけるなぁ! そんな事ができるかぁっ!」


 テーブルを強く叩き、相手の女性を睨み殺す勢いで怒気を放つ。


「そんな顔を向けてよろしいの? 家族が心配ではなくて?

 ティターン皇国には奴隷制度がある事はご存知でしょう?」

「な、なんだと!? 今日まで屋敷に籠もれば解放する契約だろう!

 待て、貴様……皇国の手の者なのか!?」


 男は拳を強く握り締め、焦燥感を露にする。


「あら、今更気がつきましたの?

 ですが約束は守りますわ。お互い、命が掛かっているのですもの。

 ただ、もう貴方はこの国に居場所が無いんじゃなくて?

 協力すれば皇国で然るべき身分を受け、家族で健やかに暮らせるのですよ」

「直ちに娘と妻を返せ。

 こちらは契約を行使したのだ。後はこちらの意志次第でお前は死ぬ」


 睨み合い、暫くの時が経つと女性の方が「いいでしょう」と呟いた。


「でも流石に皇国から連れてくるのは時間が掛かります」

「黙れ。即座に連れてこい。命が掛かっているのに連れてきて居ないはずがない。

 貴様の嘘にはもううんざりだ。

 連れてこねば仮に家族が戻らなくとも契約反故とみなし貴様を殺す」

「あら、本当に娘の命を捨ててまで私を殺せるかしら?」


 女性が余裕の表情で返すが、男は覚悟を決めた顔を崩さない。初めて彼女が僅かに表情を崩した。


「……わかりました。この程度の功績で命まで取られてはかなわないもの。

 明日、この町の安全な場所にて解放します」

「場所を言え。無事に返すという契約に反する」


 すっと表情を戻し、毅然とした態度で返すと宣言したが、男はそれでは納得しなかった。変わらぬ怒気を放ち続け、射殺さんと彼女を見据える。


「あら、反しませんわよ?

 こちらも解放した途端に殺されては敵わないもの。ここは譲れませんわね。

 それに、契約がある以上、生きて貴方の元へ戻らなければ私も死ぬのですよ?」

「……いいだろう。

 ならばさっさと帰れ。二度と……いや、次姿を見せれば必ず殺してやる。忘れるな」

「まぁ、長い付き合いだというのにつれないこと。では、ヘレンズ子爵もお達者で。

 ああ、もう子爵と呼ばれるのは最後かもしれませんわね。

 私の話しを受ければよろしかったのに……」


 そんな嫌味を残して彼女は部屋を後にし、静寂が訪れた。





 ヘレンズ子爵は一人頭を抱え、己の罪を独白する。


 契約書にサインするのではなかった……

 付き合いが長いからと信用すべきじゃなかった。

 幾度と無く交わして履行された契約とてこの為の布石だったのだ。


 いや、騙されたとわかった瞬間、命を賭して殺すべきだった。


 あの女は魔女だ。何故たった数週間、屋敷から出ないという契約だけでここまでの事が起こせるというのだ……

 たったそれだけの事だから、家族の命が心配だからとサインしたのが間違いだった。

 犯人があの女だとわかって居れば……


 いやそれよりも『今領主が出ては逆に家族が危険だからこれは貴方の為でもある』などとのたまった話を何故受け入れてしまったのか。

 契約などする必要性は無かったのだ。


 何故、私は裏を取る事すらできない状況を作ってしまったのか。


 こんな事になるくらいなら、一家心中していた方がマシだった。

 若き野良騎士を何も知らせぬままに東部森林の魔物に当てるなど悪魔の所業だ。


 だが、私が知ったその時にはもう既にすべてが遅かった。


 いつの間にかあの女に『希望の光』が掌握されていて、何も知らぬままに最悪の事態を招いてしまった。


 野良騎士たちが敗走したと使用人から情報が届いた時、既に王国騎士団が助けに来てくれていた事に疑問を持つべきだった。

 王国騎士団が来たならもう大丈夫などと考えるべきではなかった……

 何故、何故こんなときばかりそこまで大きな襲撃だったのだ……


 いや、まさか東部森林の魔物が氾濫した事すらすべてが皇国の……

 くっ……私が閉じ込められたタイミングで起こったのだ。そうとしか考えられん。

 一番遠い地だからと皇国の謀だなど思いもしなかった。なんて愚かな……


 ああ、私は地獄に落ちるのだろうな。


 貴方の仇を討つどころか、私は不忠ものに堕ちてしまいました。

 リアム陛下、申し訳ございません。

 



 ◇◆◇◆◇



 俺は今、ヘレンズの町をエリザベスに無理やり腕を引かれ歩かされている。


「ほら、さっさと歩きなさい。どうしてこれだけ面子を揃えたと思ってるの!」

「いや、なんで俺が行かなきゃいけないんだよ! 俺が行く必要がないだろ?」


 エリザベスはうちに一泊した次の日、領主との話し合いをしますと言い出した。

 当然反対した。危険すぎだろうと。お前何しに来たんだよと。

 だがこいつは、昨日の貴方の言葉で事は急を要すると気が付いたの、とか訳分からん事を言い出してとにかく強い人を集めろと言ってきた。


 当然俺は嫌だと断ったのだが『お姉さまとの結婚を全力で反対してあげるから』という言葉に負けて俺はアーロンさん達に声を掛けた。


 断ってくれればいいものの、二つ返事で了承を貰い彼らは半刻と待たず駆けつけた。


 そして今、野良騎士食堂でカオス空間を作っていたあのおっさんたち四人と、うちの武闘派集団である、ホセさん、レナード、コルト、エメリー、アディを連れて領主の館へと向っている。


 何故か、戦えないはずの俺までもが。


 馬鹿力のエリザベスが離してくれないので俺に拒否権は無い。


「しかし、あなたは何者なのですか……っと詮索はいけませんな。ですがよもや領主を黙らせられるお方との人脈まであるとは思いませんでしたわ。はっはっは」


 アーロンさんが大きく笑い周囲の注目を集めたとき、後ろから声を掛けられた。


「あら、また偶然会ったわね。元気にしていた?」


 いきなりの声に振り向けば、ハンナさんがすぐ近くを歩いていた。


「おっ、ハンナさん! お陰さまで、ぼちぼち元気です」


 彼女は何故か荷車を引いていた。屋根がついているし、人を運んでいるのだろうか?

 おっさん達は『希望の光』と関わりたくないのだろう。さり気なくフェードアウトしているので俺とエリザベスが隣を歩く状況だ。

 エマさんはホセさんを警戒しつつ後ろから付いて来ている。


 それにしても何故ハンナさんが引いてるんだ? 流石に男の団員がやるべきじゃね?


 なんて思っていればエリザベスがジト目を向けていることに気がついた。

 お前、こんな年配の女性にも嫉妬するの? なんて思っていたら全然関係ない言葉が返って来た。


「……あなた、ぼちぼちって言葉好きよね。

 できれば私の前で使わないで欲しいのだけれど?」


 と、エリザベスが話しに混ざった時、ハンナさんの表情が一瞬強張るのが見えた。


 あれ、エリザベスの顔知ってるのかな?


 じゃあ、あまり王女を近づけたら気を揉ませそうだし、引き離しておくかと「ほれ、お前はこっち」と抱き寄せて反対側に行かせようとした時だった。


 エリザベスの髪がパラパラと落ち、血飛沫ちしぶきが宙を舞った。


「エリザベス様ぁぁぁ!」エマさんの叫び声が響く。


 一体何が……いや、今は回復だ!


「我、女神アプロディーナ様の加護を賜りし者なり。

 我にお力の一端を貸し与え給え。聖なる癒しを『ヒール』」


 と唱え、エリザベスを抱きとめたまま回復させ「大丈夫か?」と声を掛ければ「え、ええ……」と普通に言葉を返してきたので状況確認をした。


 辺りを見渡せば、ホセさんとアーロンさん達が武器を抜いてハンナさんを囲んでいる。


「あらあら、なんで『おっさんの集い』が彼と一緒に居るのかしら。治療する依頼は受けなかったというのに。やはり計画も無しに動くべきじゃないわね……

 悪いのだけど、ごめんなさい、ちょっと手伝ってくれるかしら?」

「おい、もう仕事は終わって居ただろうが……何故騒動を起した。殺すぞ?」

「仕方無いじゃない。極上の獲物が目の前に居たのよ。これを取れば大金星よ?」


 そんな会話が終わると人力車から一人の男が顔を出した。

 それを見た直後、ナイスミドルなおっさんたちが驚いて声を上げる。


「お前は領主の所の……一体何がどうなっているのでしょうかねぇ」

「そんな事はどうでもいい。こいつらは命の恩人に手を掛けた。そしてあちら側だ。

 こりゃおっさんだって引いちゃいけねぇところだろ?」

「ちげぇねぇ。だが、俺はまだおっさんじゃねぇ」

「「「俺だって違うわ!」」」


 お前らこの前、年だおっさんだって言ってただろ?

 なんで認めねぇんだよ! てか今それやんのか!

 間の抜けた掛け合いに頬を精一杯引き攣らせていれば、ホセさんがぼそぼそとアディたちに声を掛けている。

 それが終わるとすぐさま彼女達は俺の周りに陣取った。


「カイトくんを守れって。相当強いみたいあの男」


 えっ!? マジでか……

 ああ、ホセさんが言ってたな。領主の所の剣客も強いって。

 こいつがそうなのか。けど、流石に多勢に無勢だろ。

 俺の回復もあるし、いつでも掛けられるように準備だけはしっかりしておこう。


「我、女神アプロディーナ様の加護を賜りし者なり。

 我にお力の一端を貸し与え給え。聖なる癒しを――――――――」

「ってなんで今詠唱してるの。何? 口に指当てて」


 アディ、詠唱待機中だから話しかけるの止めて!


「いつでも魔法を使える状態で待機しているのよ。流石、私の旦那様になる男だわ」

「……私のですぅ」


 どうでもいいから今は集中しろっての!

 くっそう、これ喋ったらダメなのかな? 実験しておけば良かった……

 あ、それに遠すぎるよね? どうしよう。

 俺は一歩前に出てみるが全然遠いし、近寄っても邪魔だろう。

 どうしたらいいかなと視線を彷徨わせた。


「考えている事はわかるぜ。俺が瀕死になった奴連れてくるから、カイトさんは動くなよ?

 あんたが居れば喰らってもまず助かる。あの人たちは一撃でやられるほど雑魚じゃねぇ」


 コクコクコクとレナードの言葉に頷く。

 しかしこいつ察しがいいよなぁ。こういう所助かるわ。いつもは馬鹿なのに。


 そうして見守っていれば、イケメンおっさん連中が仕掛けた。

 ハンナさんに一人、黒いボロボロの忍び装束の様な物を着た男に三人だ。


 あれ? ホセさんは? と視線を這わせれば、いつの間にか荷車の裏手に回っていた。こちらでは一番の強者なんだけどノーマークなんだ?

 ああ、フルプレートアーマーで顔隠してるからわからないのか。


 おっさんらが飛び出したのに合わせてホセさんの全身が光り、体がブレる。


 一瞬で勝負が決まった。


 瞬きする間に男の後ろから通り抜けたフルプレートメイル姿のホセさんが、剣を振りぬいた姿勢で止まっている。


 はっきりとは見えなかったが、おっさん共が切りかかって弾かれたと同時に後ろから切りつけたのだろう。


 背中から脇にかけて深く切り裂かれた男は血を撒き散らしながら転げまわっている。

 そこにホセさんがすぐさま追撃に入り淡い光と共に彼は掻き消えた。


「すげぇ。完全勝利じゃねぇか。連携ばっちりだな」


 もう回復は要らないだろうと声を出したのだが「ぐはぁ」っと声が上がり、驚いて視線を向ければおっさんズの一人が倒れていた。

 視線を向けたときにはレナードが走りよっていて、すぐさま抱えて運んできた。

 その間にもう一度詠唱を行う。


「我、女神アプロディーナ様の加護を賜りし者なり。

 我にお力の一端を貸し与え給え。聖なる癒しを――――――――」


 レナードは抱えたまま俺が構えた手に彼を押し当てる。


「『ヒール』」


 光を放ち傷が再生していく。


「これはまさしく、神の癒し! かみ……髪!?

 あっ、そっちも再生しました?」

「いや、あんた瀕死だったのにすぐさまボケるのかよ! 再生してねぇよ!」

「大事な事だったもので……無念」

 

 いや、うん。

 確かにちょっと薄いね。けど時と場所は選ぼう?


「主よ、捕らえたが如何する?」


 あ、おっさんに気を取られて見てなかった。

 彼女は地面に押し付けられて、身動きの取れない状態になっている。


「ど、どうする?」と俺はエリザベスにパスする。


「そうね。どうしようかしら……情報が足りな過ぎるのよね。

 とはいえ、貴方が首謀者じゃない事くらいはわかるわ。

 素直にすべて喋るならある程度は恩赦を与えてあげても良いけど?」


 とエリザベスが視線を向けた先は当然ハンナさんの所。彼女はいつの間にか猿轡をされていて「あーうー」と首を縦に振っている。喋るということなのだろう。

 てか、領主の屋敷に乗り込む予定ではあったけど、猿轡まで持って来てたんだ……

 詠唱させない為の処置なのかな?


「じゃあ、聴取は行きながらするとして、このまま領主の館まで行くわよ。

 相手の戦力は削れたのだし、結果オーライね」


 そう言った瞬間、ハンナさんが首を大きく横に振っているが、それに取り合う馬鹿は居ない。


 エリザベスは殺されそうになったってのに、声も表情も普段通りだな。

 怖いとか言ってた癖に余裕そうじゃねぇか、とじっと見ていれば髪を掻き揚げる手が震えていた。


 お前……そういう所で隠すから皆わかってくれないんだぞ。

 と俺は呆れながらも声を掛ける。


「無理すんなよ? 本当は怖くて仕方ないんだろ?

 ほら、正直に一回口に出せ。もう戦闘は終わったんだから無理すんな!」

「ば、馬鹿……や、やめなさいよぉ。今緩めたら泣いちゃうから」

「わかったわかった。じゃあ一度泣け。見えないように隠してやるから」


 と彼女の顔を胸に抱き、背中をポンポンしてやった。

 恥かしいのかスンスンと静かに泣いて暫く背中をさすってやれば、彼女は「もう大丈夫。続きは帰ったらね」と意味のわからん事を言い出した。


 まあ、元気は取り戻せたのだなとわかった俺は「危険な事もあったし一度帰らないか」と問いかけた。


「ダメよ! 怖い思いしたんだから元は取らなきゃ!」


 えぇ……その考え方おかしくね。元気にし過ぎたのか?

 帰れるかもって思ったのに……

 そんな画策が不発に終わった頃、コルトが顔を寄せ小声で予想外の事が起こったと判断を仰いできた。


「カイト様、車の中に何故か簀巻きにされた女性が二人居たのですが、聞けば領主の妻と娘だと名乗りまして……如何致しましょうか?」


 はぁぁ? どういうこと!?


「大丈夫よ。混乱する必要はないわ。そっちからまず話を聞きましょう。

 加害者より被害者に聞いた方が正解を引けるのだし」


 そうして事情聴取を行ったのだが、わかったことと言えば、一月前に攫われて監禁されていただけで特に何も知らないとの事だった。


「ふーん。領主は脅されて居たのね。間違いなくこの女も犯人の一味でしょう。

 じゃあ、この女より先にヘレンズ子爵に聞きましょうか。

 まあ、仮に脅されていたとしても貴族の風上にも置けない行為なのは変わらないけれど……」

「ええ。エリザベス様を切りつけたのです。領地ごと断罪すべきでしょう」


 いや、エマさんは何言ってるの。領民は関係ないだろ? なんて言う前に彼女はエリザベスに怒られていた。


 なんでもダメな理由は、領主たるもの家族よりも領地を優先する誓いを立ててなるものだからだそうだ。

 勿論ある程度のことまでは家族を優先しても許されるが、これほどの大事となると話は別となるらしい。


「まあそういう理由なら連れて行ってやれば戦いにはならないでしょ。

 じゃ、私たちはこれに乗りましょ。その方が護衛し易いでしょうし?」 


 と、皆に視線を向ければ、一同が同意していた。アディまでもがだ。


 なので遠慮なく乗らせてもらい、不安そうにする領主の妻と娘をスルーするエリザベスにベッタリされながら、領主邸宅へと向かって行った。


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