第三十三話 報復
新装なった鎌倉御所に一歩入ると、新しい檜の香りがプンと香った。
出迎えられた取次には「お早いお付きで」といわれる。
俺に召集でもかかっていたか? 振り返って左京を見るが、首を横に振る。
広間に足を踏み入れると、親父が目ざとく俺を見た。
「おお、政綱ここに座れ」
一段高い席の自分の脇を指す。いつもの、関東管領の姿はない。
「はっ」
頷くと俺は歩を進めた。
「左京はそこで控えていなさい」
「上様、お呼びでしたか」
「うむ。昨日使いを出したばかりだ。入れ違いのようだな」
「神奈河のこと聞き及びまして・・・」
「うむ、そのことじゃ。管領殿は、鉢形城から鎌倉には来れぬ。しかし、扇谷の上田なるものが、権現山城に陣取り、青木城の矢野殿と睨み合っているそうな」
「神奈河湊を焼き払い、略奪の限りを尽くした海賊共は、引き上げる時には、死体も連れ帰ったらしく正体がわからぬ」
「ただ、分っておるのは、紋が二両引きであったこと。兵士らの言葉が独特であった」
口々に話す言葉に、俺は首をかしげる。おや、賊の正体が分ってないと?
「では、安房の里見でございましょう」
俺の言葉に皆しんとなる。
安房など、鎌倉から見ても距離こそさほど遠くはないが、陸路で見れば僻地も僻地。ほとんどの武家は、海路の概念が頭から飛んでいるから、安房が関東の一部ということなど忘れているのだろう。
「里見も二両引きを許されておりますれば」
「里見といえば結城合戦で最後の一兵も残らず討ち死にしたと聞くが」
「結城合戦の前には、常陸に所領があったから、一族の者は残っているのでは?」
「常陸、上下総州の者はこの場にはおらぬ故なんとも言えぬ」
「いえ、常陸はともかく、安房を里見が支配していることはこの目で見ております。それに・・・」
俺はその場の俺に集まる視線を意識して言葉をつなぐ。
「その、安房から逃れてきた里見の先代を伊豆で匿っております」
「なんと」
異口同音の声を上げる、関東の大名たち。浦賀から鎌倉をパスして伊豆に入ったのかあの爺様。
「私めが参ったのは、戦場になりかねぬ神奈河湊は放棄すること。湊を、すぐ南の横浜に移すことの提案と、里見への報復です。里見は、値が高沸した米を神奈河、品河で奪い、荒川を遡って河越の扇谷陣に送り届けたに違いありません」
「・・・・」
黙りこくる、諸将。
「河越には、古河様、結城、千葉などが籠っているかと」
「ぬう、あれは千葉ではない……」
声を上げたのは、
「関東内海南半は三浦家の庭のようなもの。里見に鉄槌を食わせるに否やはございますまい」
「おうよ」
三浦介が声を上げる。
「なれど、城を攻めるにはいささか兵が足りないように思われまする」
「む・・・」
「そこで、千葉介殿。安房なれば、下総攻めには良い足掛かり。そうは、思いませぬか?」
「まっこと、良案でござる」
立ち上がったのは、赤ら顔の大男。てっぺんまで禿げ上がり、申し訳に後頭部に髷を結っている。五十は過ぎているはずだが、まだまだ気力充実といったところか。
「まてまて、話を勝手に進めるでない」
おれは、慌てて、最敬礼する。
「申し訳ございません。つい」
「まあ、よかろう。千葉介殿」
親父は、軽く俺をたしなめると、千葉自胤に向き直った。
「兵を出すのはよかろう。だが、それは城攻めができるほど兵はおるのか?」
「うっ」
千葉介が詰まる。
「借財として、安房・下総の年貢を担保にして、鎌倉府で金を貸しましょう。兵三千人でよろしいでしょう? 兵の手当、糧食、武器、船代一切合切」
すかさず俺が恩を売りつける。
籾摺り器とか備中鍬、縦引き鋸沢山売ればいいな。
「それで、よろしいかな?」
「相分かった」
千葉介殿は頷きながら腰を下ろした。
「上様、もう一つ申し上げたき事がございます」
「なんじゃ。ゆうてみい」
「品河で、
「おこり《・・・》? なんじゃそれは」
「多くは、三日毎に高熱を発し、いずれは死に至るといわれる、恐ろしき病にございます」
「ぬぅ。それで?」
「今、手の者に薬を探させておりますが、なかなか見つかりません」
「薬があるのか。なんだそれは?」
「
「分った。問い合わせよう」
「瘧は、蚊に刺されて
「か? かというとあのくーんと来て刺す。あの蚊か?」
「左様です。羽にまだらのある蚊が危ないのだそうです」
「蚊に種類があるのか?」
「セミにも鳴き方が違うセミがおりましょう」
「なるほど」
「蚊はボウフラが変じたものと言われます」
「ぼうふら、なんじゃそれは」
「十日も水溜まりが消えずにいると、小さな虫が踊るようになります」
「ふむ」
「メダカが住むような池ならば、メダカがボウフラを食らいつくしますが、そのような小魚がいなければボウフラが沸くのです」
「ううむ。相模守殿そのような知識はどのように」
「ははは、それよりも、横浜のことを話したいのですが」
野望に少しだけ近づけるかな。
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