エピローグ

「それにしても青空が結婚して海外移住とはねえ」


 しみじみと言う友人に青空は「スマホの電波が届かないくらいのへき地だけどね」と苦笑を漏らす。厳密には異世界なのだが、さすがにそれを言ったら「なに言っているの、この子」と言われてしまう。だから地球上のどこか、ということでごまかしてはいるのだけれど、そうするとみんな一様にびっくりする。まあ当たり前か。


「たまには帰ってくるよ。たぶん」

 こちらとあちらの境界が近づくときになったらハディルにお願いしようとは思っている。一日で往復するなら、たぶん大丈夫だと思う。


「青空が突然味噌やら醤油やら自分で作り始めた時にはびっくりしたけどね。お菓子通り越してこいつスローライフに目覚めたか、って」

「あはは。たしかにこれからはスローライフみたいな生活になるから。自作できるものは自作してみようって思ったんだよね」


 異世界から戻ってきた青空は色々なことを考えた。ハディルが時間をさかのぼる魔法を使ってくれたおかげで青空の行方不明期間はほんの二週間ほどに収めることができた。まあそれでも事後処理やらなんやらで青空の周囲は若干騒がしくはなったけれど。


 ハディルが迎えに来るまでの時間を使って、青空にできることは何だろうと考えたとき。やっぱり思いついたのは料理をすることで。だったら、料理というものを勉強してみようかと思った。だがしかし、せっかく入った大学は卒業したい。

 青空は学業の傍らアメリカで人気のカフェレストランの日本店の厨房スタッフのバイトとして料理の腕を磨いた。外資系のほうが内部の風通しが良いかな、と思ったのだ。その後青空の頑張りが認められて大学卒業後はそのまま店のスタッフとして正式に採用されて先日まで忙しく働いた。


「それで、そんな指輪まではめちゃって。幸せ者め。写真くらい見せなさいよね。って何度も言っているのに彼、写真嫌いなんだって?」

「うーん……」

 と、青空はここでも苦笑。彼、異世界の魔王様なので。目とか赤いし、顔はまあかっこいいかな。ってこれを言ったら惚気にしか聞こえない。青空は自然と大事な指輪を撫でた。


 友人は青空のそういう態度と表情に「遠恋なのに、ものすごいラブラブだよね」と苦笑して。他にも思い出話などをして別れた。


 カフェを出ることにはすっかり夕方だ。

 青空は赤く染まった空を見あげる。赤と濃い蒼が混じる瞬間の色が好きになったのはハディルと出会ってから。彼の瞳より明るい色だけれど、夕暮れは彼を思い起こす。


 青空はゆっくりと住宅街の道を歩いた。

 もうあとには引けない。勤めていたカフェレストランは一週間前に辞めてしまった。ありがたいことに上司は何度も青空のことを引き留めてくれた。それを頑なに固辞し続けたのは青空の方。辞めるときに移住先で、わたしのつくった料理をひろめたいとか食文化の発展に貢献したいなど、結構格好いいことを言ってしまったのだが。


(まあでも……仕事辞めてもハディル様が本当に迎えに来てくれるかもわからないんだけどね~) 


 なんてちょっと弱気なことを考えるのは何度目だろうか。

 だって、ずっと会っていないのだ。もしも、もしも向こうの世界で彼に他に愛する人が出来てしまったら。遠距離恋愛が長く続かない例をいくつか見聞きしていると、つい己の身に置き換えてしまう。ハディルは今も青空を好きでいてくれるのか。彼は本当に約束の日に、青空を迎えに来てくれるのか。


 心が弱りそうになるが、そのときはいつも彼からもらった指輪を見つめる。


 大丈夫。彼は必ずもう一度青空の前に現れる。

 だからわたしは彼を待つ。




 約束の日が近いことを教えてくれたのはハディルが渡してくれたあの指輪だった。

 あれから五日ほど。指輪の赤い宝石がどことなく輝きを増している気がする。青空は日本を離れる前にやるべきことを書き出したノートを見つめた。


 本当のことは言えないけれどなるべくみんなに心配はかけたくない。働いて稼いだお金は必要最低限使う以外は全部貯金してある。青空をいままで育ててくれた両親に学費には全然足りないけれど、何かの足しにしてほしい。妹もまだ学生の身で学費もかかるわけだし。


 実家の自分の部屋を整理した青空は鞄を持って外へ出た。

 住宅地をのんびりと歩いていく。

 しばらく足を進めていると、ぱぁぁっと足元が輝きだす。

 目も開けていられないほどの輝きのあと。暗い空間の下に現れたのは魔法陣。


「青空」

 青空の両手を握るのは黒い髪に深紅の瞳をした青年。今日も変わらず黒い衣装を身にまとっている。

 三年前と変わらないハディルの姿がすぐ目の前にあった。


「ハディル様」

 青空は呆然とつぶやいた。

「迎えに来た、青空」

 一歩青空の元へと距離を縮めた彼は、青空の黒い髪の毛を一房手のひらですくう。


「俺の正式な妻になってほしい。魔王の妃に。今度こそ」

「はい。ハディル様」

「ほんとうに、いいのか? 俺の元に来れば頻繁に元の世界に戻ることはできない。ちなみに次に次元が近くなるのは二百九十五日後だ」

「次は随分と近いんですね」

「その次は三千日ほどあとだ」

 ハディルはずいぶんと詳しい。青空のために調べたのかもしれない。


「ハディル様」

 青空はまだ不安そうなハディルの唇を人差し指で塞ぐ。それから彼の胸の中に飛び込んだ。

「寂しかったんです。本当に。ずっと怖かった。もう、迎えに来てくれないんじゃないかって」

「俺もだ青空。おまえはもう、俺のことなんて忘れてしまったのではないかと何度も考えた」

 青空、愛している。そう彼は囁いた。


 青空はハディルを見上げた。優しい色だと思った。彼の深紅の瞳がまっすぐに青空へと注がれている。

 青空は背伸びをして、彼の耳元に唇を近づけて囁いた。同じ言葉を。彼にだけ聞こえる声で。

 次の瞬間。魔法陣が輝き、異世界への扉が開かれた。


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