父の懺悔と祈り

 ツンリゼアニメ化企画進行中です。

 近況ノートを見ていただけると嬉しいです。



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 学園で気を失ったリーゼロッテが、ジークヴァルトによって抱えられ帰宅した日の、夜。

 リーゼロッテは、父であるブルーノ・リーフェンシュタール侯爵の書斎を訪ねようとしていた。

 軽いノックの後了承を受け扉を開いた先には、彼女が事前に執事に聞いていた通り、今日の分の執務を終えソファで休憩をしている父。


「失礼します、お父様」

「おやリーゼか。どうしたんだ? もう具合は良いのかい?」

 もう深夜に差し掛かろうかという時間帯の、しかも今日倒れたばかりの娘の訪れに、ブルーノは心配そうな表情でそう尋ねた。


「問題ございませんわ、お父様。仮眠を長くとらせていただきましたので、むしろ元気が余っているようで落ち着かないくらいです」

「それならいいが……。ああ、とりあえずここにかけなさい」

 すっきりとした様子のリーゼロッテの返答にもなお気がかりそうなままのブルーノは、座っていた3人掛けのソファの端により、逆の端を手で示してそこに掛けるよう娘を促す。


 ぺこりと軽く頭を下げてから、リーゼロッテは父と並んで腰掛けた。

 それからふうと一息吐いて、彼女は改めて彼に頭を下げる。

「ずいぶんご心配をおかけしてしまったようで、申し訳ありません」

「いや、謝ることなんてないさ。むしろ、こちらこそすまなかった。私も反省していたところだ。リーゼに家のことを任せきりにしてしまって……」

「いえ、お父様のせいではありませんわ。この度のことは、夢……、いえ、私の気のゆるみが招いたことですから」

 父の言葉を遮りきっぱりとそう断言したリーゼロッテに、ブルーノは困ったように眉を下げた。


「そんなことはないよ。リーゼは責任感の強すぎるところがあるから、そう思うのだろうけど。学園も殿下の婚約者としての責務もあるというのに、ついお前に頼ってしまった私たちが悪い。これからは少し改めるよ」

「いいえ、その必要はありません。最近はお母様も活力に満ちていらっしゃって、エリーザベト様といっしょに社交などを引き受けてくださっていますから。少なくとも家のことは、今は負担と言う程のことではありません。むしろ、未来の王太子妃たるもの、この程度はこなせて当然と扱ってくださいませ」

 凛と背筋を伸ばし重ねてそう断言した誇り高い娘に、ブルーノはため息を漏らす。

「リーゼは、というか、まあリーフェンシュタールの人間すべてがそうだけれども、一度心に決めたことは絶対に覆さない頑固なところがあるからな……」

 そこまで言ったブルーノは、ひとまずといった様に、けれど不承不承であることを隠さない表情で、頷いた。

「わかった。ありがたく、これまで通り任させてもらうよ。けれど、くれぐれも無理はしないようにな。私も、きっと殿下も、リーゼのことが愛しいからこそ、心配しているのだからね」

「な、で、殿下は別に、私のことなど、どうとも思っておられませんわ!」

 瞬時に真っ赤な顔で否定したリーゼロッテに対し、ブルーノは“どうとも思っていない”の部分に引っ掛かりを覚えたようで首を傾げている。


「いえ、確かに殿下はお優しい方です。よって、目の前で幼い頃から見知った婚約者が倒れるなどというのは、きっと少なからずご心労をおかけしてしまったこととは思いますが、ぃ、いと……など……。そう、そう言えば! 私、殿下に贈る今日のお詫びの品をご相談したくて、お父様のところに来たのです!」

「今日見た限り、殿下はリーゼのことをそんなただ契約上のパートナーに過ぎないように思ってはないと思うが……。ああ、そうか。男親と恋愛の話など、気まずいというか、恥ずかしいものか」

 赤い顔のまま、焦った様に話を変えようとしたリーゼロッテに、ブルーノはどこかのんびりとした調子でうなずいた。


「なっ、ちがっ」

 ますます動揺をあらわにするリーゼロッテに、“わかっている”とでも言っているかのような、なんとも優しいまなざしを向け、ブルーノはうんうんとうなずく。

「ああ、お詫びの品だったね。そうだな。殿下は気にしないで良いとおっしゃってはいたが、同行してくれた殿下の従者の方々含め、なにかお礼はしなくてはいけないな」

「それはそう、ですが。私が持ち出したことではありますが、そのお話の前に! お父様、殿下に対して不敬ですわ! 私どもの結びつきはあくまでただ定められただけのもので、れ、恋愛など、そんなのは私の一方的な思いで……!」

「ああ、耳が痛いな。うん、そう思えと最初に君に教えたのは、他ならぬ私だったね。……その件も、すまなかった」

「えっ、いえ、そんな。……な、なんのお話ですの?」

 苦い表情で呟いた後背筋を伸ばして頭を下げたブルーノに、リーゼロッテは混乱したように首を傾げた。


 ちらりと頭を上げたブルーノは、なにに対して謝罪をされているのかわからない様子の娘に微笑む。

「リーゼが、夢を叶えられてよかったよ。私が謝罪したいのは、お前の夢に対して、水を差すようなことを言ってしまった件だ。殿下の愛を、請うべきではないと。今思うと、私はほんの幼いリーゼに、ずいぶん厳しいことを言ってしまったね……」

 そう言ってうつむいたブルーノ。その一回り小さくなったような背中になんと言葉をかければいいのかわからず、リーゼロッテはただオロオロとしている。


「殿下を煩わせないように、というのは、それも本心から思っていたことではあるが、それだけではない。そう言えば、殿下を思うリーゼは気持ちを押し込めざるを得ないだろうと、狙って言った。卑怯だったと思う。けれど、リーフェンシュタールの者は皆、愛情深いというか、思い込みすぎるところがある。嫉妬も激しいし、激情のままになにをしでかすかわからない。だから私は、王家の家臣として、君の父として、弁えるようにと釘を刺したんだ」

 ブルーノの言葉に、リーゼロッテの脳裏に浮かんだのは、【悪夢】で見た、あの光景。

【この恋が叶わないのならば、全て滅んでしまえ】という程に育ってしまっていた思いの果ての、正に悪夢のような破壊の場景。


 ざっと顔色を悪くした娘に気が付かないまま、ブルーノは懺悔を続ける。

「ただこれは、理由の半分でもないかな。私だって、リーフェンシュタールだ。愛する娘のためならば、王家と対立くらいはするだろう。リーゼのためにも対立しないに越したことはないが、いざしたならば、お前の側に立つだけだ。どうしても許容できないことではない。……私は、なにより、リーゼに傷ついて欲しくなかったんだ」

 吐き出すように紡がれたブルーノの言葉にハッと顔を上げたリーゼロッテから、深く俯いた父の表情は見えない。

 嘆くように顔を覆った彼の手は、泣いているかのように震えていた。

「リーゼが恋を語り愛を請い、殿下がそれに応え二人が愛を育むことを、私は恐れていた。政略で結ばれた婚約など年月に伴う事情の変化で破棄も解消もあり得るが、順調に愛が育った上でそんな事があれば、この上ない悲劇となってしまうから。……兄上と義姉上の嘆きは、傍で見ていても、苦しいほどだった」

「……そう、なのでしょうね」

 父の、リーゼロッテが生まれた年に儚くなった兄に対する今も変わらぬ敬愛をよく知る娘は、ブルーノの吐き出した言葉を、ただ短く認めた。


 後悔、苦悶、諦念。その全てが感じ取れるような、心のうちの重いなにもかもを吐き出すかの如き長い長いため息を吐くと、ブルーノは顔を上げる。

 それから彼は軽くソファに座り直し、リーゼロッテに向き直った。

「実際、4月頃には、君たちにも少しそんな話があっただろう? 殿下が神の声を聞き、リーゼが神の寵愛を得た今となっては、二人の婚約は盤石だが」

「ええ。全ては、神々のご慈悲の賜物にございます。心より感謝しておりますわ」

 リーゼロッテは生真面目な表情でそう頷くと、異界の神々に、改めて感謝の祈りを捧げる。

 神々を思う彼女の顔色は、【悪夢】など振り切ったかのように良くなっていた。


「育った愛は、失われればその大きさのままの嘆きに変わる。しかも君から殿下に愛を請えば拒絶される可能性だってあったし、それはそれで君が傷つく。政略なのだと割り切っていれば、どちらの可能性も消せる。逆に割り切れないまま夢を見続ければ、万が一夢が叶わなかったときには、その夢の実現にかけてきた思いと努力は心を引き裂く刃に変わり、叶うだろうと思っていた分だけ深くに刺さる。そう考えた。……だから私は、君の夢を、まだ傷の浅いうちにと、潰そうとしたんだ」

 後悔の滲む苦々しい表情でそう懺悔したブルーノは、ふっと自嘲すると、肩の力の抜けた様子でため息を漏らす。

「結局は、すべて無用な心配だったね。無用な心配になって、良かったよ。そして無用な心配だったとわかった以上は、あの時の私の言葉は、いたずらに君を傷つけただけだったということだ。……本当に、すまなかった」


「いえ、謝罪などいりませんわ。というか、お父様、先程からまるで私の夢がかなったようにおっしゃっていますが、その、なにか誤解があるのではと……」

「ははっ。そんなに照れられると、なんだかくすぐったいな。まあなんにせよ、元より、殿下のご寵愛を無理に強請ることは許されないにしても、殿下が自ら与えてくださるご寵愛を受けていけないわけではない。私だって当然、娘にはしあわせになって欲しいと思っている」

 わかっている。父親と恋愛の話など恥ずかしいのだよな。

 そう言わんばかりに軽くリーゼロッテの反論を流したブルーノは、晴れやかな笑顔に変わって娘の肩をぽんぽんと叩いた。


「リーゼ、もう少し素直になりなさい。素直に喜んで、与えられた幸福には、はしゃいでいいんだ。リーゼはしっかりしているけれど、それでもまだ、世間からすれば、なにより私にとっては、まだまだ子どもなのだから」

「……っ」

 確かな愛情のこもった父のまなざしと言葉に、リーゼロッテは頬を赤くして絶句した。

 そんな娘を微笑ましく見つめていたブルーノの表情に、ふっと影がさす。

「……まあ、今よりもなお幼い君をいじめてしまった私が何を言うかと言われてしまえば、それまでだけれどもね。本当に、すまなかったよ……」

「いえあの、もう謝罪などやめてくださいな。というか、殿下のご、ご寵愛などというのは、その、確かに気に入られ、というか最近なんだか面白がられているような気はするのですが、……ああもう! とにかく、ありがとう、ございます」

 羞恥の限界か、なにを言うべきかがまとまりきらなかったか。

 色々と思い浮かぶ言葉はあった様子ながら、最終的に感謝の言葉だけを返したリーゼロッテのうぶに見える様に、ブルーノはくすくすと笑う。


「さて、今日のお礼の話だったね。もう夜も遅い。早く本題をまとめてしまおう」

 空気を切り替えるようにぽんと手を打ちながら、ブルーノはそう切り出した。

 リーゼロッテも気を取り直すようにうなずき、表情を取り繕う。しかし、まだわずかにその顔は赤い。

「そう、ですわね。ええと、私の部屋にいらっしゃったのは殿下でしたが、学園から屋敷まで私を運んでくださった方は、どなたですの? ひどく負担をかけてしまったであろうその方には、特に厚くお礼をしませんと……」

「そんな人はいないから、従者の方には私から適当に軽い品を贈っておくよ。君を運んだのは、ジークヴァルト殿下だけだと聞いている。殿下は学園で倒れたリーゼを支えてからずっと、誰にも譲らず君を抱きかかえて来てくださったようだ」

「はっ!? ず、ずっと!? どういうことですの!? 殿下にそれほどのご負担をかけてしまうなど、他の方はいったい何をなさっていたのです!」

 さらりと答えたブルーノに、リーゼロッテは取り繕ったばかりの表情を崩し、わたわたと詰め寄った。


「フィーネさんもバルも君たちの馬車についてたうちの者も、当然私も、代わると申し出たのだがねぇ。一切拒否されたよ。私なんて、“私の婚約者を他の誰かの腕に預けるつもりはない”とまで言われてしまった」

 ふふふと笑いながらブルーノが言うと、リーゼロッテはますます動揺した様子で顔を赤くし、青くし、うろたえにうろたえる。

「そ、そんなっ。……ど、どうしましょう。まさか、まさか、私はずっと殿下の腕の中にいただなんて。では私がしたかもしれないアレは……、……ああっ!」

 そう言うなり文字通り頭を抱えてしまったリーゼロッテに、ブルーノは首を傾げた。


「アレ……? 君はずっと眠っていたと聞いているが、何かをした覚えがあるのかい?」

「……言えませんわ」

「言えないようなことをしたのかい……?」

 おそるおそるブルーノが尋ねると、そろりと顔をあげたリーゼロッテはその紫水晶の瞳に、じわりと涙を湛える。

「だって、だって、……お父様だと、思ったのですもの。抱き上げて運んでもらった覚えなどというのは、幼い日のいつかにお父様にしていただいた、それしかなくて。夢とうつつのはざまでふわふわとするあの感覚が好きで、幾度かは寝たふりだったと覚えているくらいには、大切な思い出なのです。だから印象に残っていたと言いますか、つい同じようにしてしまったと言いますか……」

 半泣きのまましょぼしょぼと訴えたリーゼロッテに、ブルーノは目を細めた。


「ああ、そうだね。君たちが寝てはいけない所で寝落ちてしまったときに、抱き上げて運ぶのは私の役目だった。かわいかったな。リーゼは普段は甘えて来ないのに、その時ばかりはぬくもりを求める子猫のように、甘えてすり寄って来て……、……ああ、そういうことかい?」

 リーゼロッテが「言えない」と言った行為に思い至ったブルーノが尋ねると、リーゼロッテは弱弱しくうなずく。

「……そう、ですわ。わ、私は、私を運んでくださった方に、はしたなくも身を擦り寄せた、気が……、ああ! 気のせいであって欲しいですわ! あれは夢の中のことで、実際に私の体は動いていなかったと、いなかったと……」

「思えないから、そうして頭を抱えているのだろう」

「……です。おそらく、しましたわ。でも、あ、あんな、お父様のように心地いいぬくもりで、愛情深い視線を注ぎ、慈愛の空気を醸しながら、軽々とけれどどこまでも丁寧に運んでいただいたら、間違えても仕方ないと思いますの!」

「うん。仕方ないと思うよ。それに殿下はきっと、その程度のことは気になさらない方だ。というかむしろ、かつての私がそうだったように、かわいいとしか感じていないのではないかな」

「そんなわけはございませんでしょう!」

「ははっ、自分で言ったことだろうに。もうよくわからなくなっているな。落ち着きなさい、リーゼロッテ」

 冷静な様子のブルーノに幾度か口を挟まれたリーゼロッテは、そこまで言われると小さなうめき声とともに口を閉ざした。


「大丈夫だよ、リーゼ。私がお前にそうしていたように、殿下は愛しい者大切な者を抱えるように、お前を運んでいた。私が、お前の夢がかなったと思うくらいには」

「そんなわけありませんわ……。殿下は感情を表に出されない方ですもの。神々に命じられでもしなければ、好意だって簡単には見せませんわ。それも、人前でなど。きっと、お父様はそうであれば良いと願うあまり、そう見えたのでしょう。ただ救護のため私を抱えてくださった殿下に、私が図々しくも胸にすり寄った。これが客観的な事実です。ああ、私はなんということを……」

 父の慰めを、リーゼロッテはどこまでも暗く否定した。


 ブルーノはそんな娘の様に、やれやれとため息を漏らす。

「ひどく後ろ向きだねぇ。やっぱり疲れているのかな。まあ、私はそうは思わないが、たとえそうだとしても、殿下は倒れるほどに弱っていた人間の意識のないときの行動に、どうこう思うほど狭量な方ではないさ。それに、もし不快に思ったのなら、さっさと他の誰かにリーゼを任せたはずだ。そうはしなかったのだから、少なくとも殿下は気分を害してはいないと言えるだろう?」

「……そう、でしょうか」

「ああ、そうさ」

「そう、だと、いいのですが……」

「それは、君が直接殿下にお礼の品を持って行って確認しなさい」

 ようやく落ち着きを取り戻したリーゼロッテに、ブルーノはさらりとそう告げた。


「わ、私が、ですか?」

 またわずかに動揺を見せるリーゼロッテに、ブルーノは当然とばかりに返す。

「そもそも君の体調不良から始まったことなのだから、回復した以上は元気な顔を見せる必要があるだろう?」


「それはそう、ですが。……あんな恥知らずなことをしてしまった可能性がある以上、殿下に合わせる顔がありませんわ」

「大丈夫、恥知らずなことなんかではないさ。眠るリーゼを抱えると、妙に幼く見えて……、いや、というよりは、普段のお前は気を張っているのか年齢以上にしっかりとして見えるのが、解けるのか。とにかく、とってもかわいく見えるんだ。きっと殿下も……」

「それは、父親だからそう思うのです! だいたい、あの頃の私は幼く、小さく、……なにより、軽かった、のですもの。そりゃあ、かわいらしいものでしょう。けれど今の私は、背も伸びそれなりに肉もつき、……はるかに重い、のです。殿下に、殿下に運ばれてしまうなど……!」

「ああ、恥ずかしさの原因は、乙女心というものなのだね。けれど、けして太っていない女性を抱えたときに、もし負担だと感じたら、己の鍛錬不足を嘆く気持ちしかわいてこないものだよ」

「それは武門の者の、いえ、リーフェンシュタールだけの論理ですわ……! ああ、それこそ私を運んだのがバルならよかった! バルならば兄のようなものですもの、よく似た安心感からお父様と間違えたで通じますのに……!」

「バルがリーゼを抱えてしかも君が甘えるようなことをしたら、殿下が嫉妬なさるんじゃないかな」

「殿下が嫉妬などなさるわけがありませんでしょう!」


 父が幾度フォローを試みようとかたくなに反論を返し続けた娘に、ブルーノは仕方なそうに喉の奥で笑う。


「まあ、君の気持ちの整理は殿下とお会いするまでにつけてもらうとして、今はお礼の品の話をしよう」

「そう、そうですわね。謝礼と、お詫びの品を。王太子殿下にここまでの負担をかけたのに釣り合う品など、あるのでしょうか……」

「殿下ご自身は、そこまでの負担と感じてなさそうだがね。私にも気にしないで良いとおっしゃっていたし。だから、そうだな、リボンは気に入ってくださったようだから、またなにかリーゼが刺繍した小物などを贈ったらどうかな?」

「殿下にお渡しする物であれば、制作に三か月は欲しいところですわ」

「それでは、さすがに遅すぎるね。すぐに元気な姿を見せるべきだろうから。では、なにか菓子でも持って行って、いっしょにお茶をしてきなさい」

「それは、お茶会で殿下の望む品を探ってくるようにということでしょうか?」

 軽く話を進めようとする父と、どこまでも深刻そうな娘。

 微妙にかみ合わない二人の話し合いは、しばらく続いた。


「殿下の望む品、ねぇ。ああ、ひとつだけ、彼が望むだろう我が家の宝に、私は心当たりがあるな。それさえ差し出せば、たとえどんな非礼だってすべて帳消し、どころか、大いに釣りをもらいたいくらいに価値のある、大切な至宝だ」

ふいにぽつりと、ブルーノは言った。

リーゼロッテはそろりと父の顔をうかがい、首を傾げる。

「宝、ですか……? それが当主の剣だろうとなんだろうと、此度の私の無礼の詫びのためなら、差し出していただきたいところですが……」

「うーん、それよりももっと大切ななんだけれどね。けれどその宝は、いつか殿下のものになる予定がもう組まれているというか、ある意味とっくに殿下のものというか……」

 なぞかけのような父の言葉に、リーゼロッテはますます首をひねった。


「そう、近いうちに、殿下から我が家の宝の話が出る気がするな。だからというわけではないが、リーゼはこの件はもう気に病まないように。持っていく菓子と当日のドレスのことだけを考えなさい。ああ、ただし、今日はそれも気にせず早めに眠るようにね。また倒れてはいけないから」

「……かしこまりました。その、宝物? の件は、我が家の当主であるお父様の領分なのでしょう。お任せします。よろしくお願いいたしますね」

 ブルーノがまとめると、まだふしぎそうな表情ではあるものの、リーゼロッテはようやく引き下がった。

 うんうんとうなずき了承を示す父が娘に向けた視線は、正しく掌中の珠を見つめるそれである。


 それから更にブルーノが早く寝る様にと促すと、リーゼロッテは折り目正しく辞去の挨拶をしながら去って行った。

 娘が出て行った扉を、父はどこか切なげに見つめ、一人呟く。

「きっと近いうちに、殿下から、我が家の宝であるリーゼとの結婚の時期を早めて欲しいという話が、あるような気がするよ。でも四人いても、ああいや、今はフィーネさん含め五人もいても、どの娘だって、心底大事な宝だ。今回の礼だの詫びだのになんてとても充てたくないし、そうでなくともできるだけ家にとどめたいという思いは、どうしたってある」

 ブルーノはそこまで言ってから、一転して、吹っ切れたような笑みを浮かべる。

「けれど、殿下とともにあることこそが、あの子の望みで夢だからね。ふがいない父ではあるが、今度こそ、水を差すようなことはしないさ。殿下が望めば、私も協力しよう。……どうか、しあわせになるんだよ、リーゼ」

 父の切なる祈りは、秋の夜に、小さく、けれど確かに響いた。

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