第21話sideバルドゥール

 

 会えない時間が愛を育てる、とは、どこの誰が言ったのだったか。


 夏休みにはいって、毎日顔を合わせていた彼女に会えなくなってしまってから、日常が色あせたかのような寂寥感と、大切ななにかを奪われたかのような喪失感にさいなまれていることに気がついた。

 ふいにただ彼女のことを思い浮かべるだけでしあわせで、だからこそ彼女がここにいないことがつらくて、切なくて、会いたくて、愛しくて……、と、そこまで考えてから、はたと気がついた。


 つまり、そういうことか?と。


 やたらにかわいい少女だな、とは、前々から思っていた。

 彼女が入学してからずっと目で追ってしまうのは、彼女が学園に入学するまでの経緯と、ずば抜けた強さ、そしてそれらを備えていることが信じられないようなまだ幼さの残る可憐な容姿が気になってのことだろうと思っていた。

 彼女の護衛としてそばにいるようになってからは、強くて、まっすぐで、考え方がシンプルで、戦士としての気高さも兼ね備えていて、そういうところも好ましいな、とは、思っていた。


 けれど、これが、もしや恋愛感情というやつなのではないかと気がつけたのは、彼女と毎日顔を合わせるというしあわせを失ってしまってからのことだった。

 夏休み明けにはまた普通に会えるのになにを大げさなと自分でも思ったが、そんな表現をしたくなるくらい、彼女と一月ひとつきも会えないという事実は、耐え難かった。

 一度自覚をすれば、もう、そうとしか思えなかった。


 俺は、フィーネ嬢を愛している。


 そして同時に、双子の言った通り俺には政略結婚ができるほどの器用さはないとも自覚した。

 おじ上と本家の娘たちに頭を下げよう、そしてリーフェンシュタールから放逐してもらおう。ああそうだ事前に両親と弟たちにも話を通さなければ。騎士職も失うだろうから剣の腕を生かせるのは用心棒か冒険者か傭兵かと、自分の身の振り方まで考えて、と、夏休みの間に済ませてしまいたいことを考えているうちに、当のフィーネ嬢が、本家の娘になっていた。……意味がわからなかった。


 フィーネ嬢はリーフェンシュタールの血統で本家の正統な後継となるべき存在なので、おじ上の養女に迎えたし彼女と結婚した者が侯爵位を継ぐ。

 俺は一旦おじ上の後継者からは外されたし後継者に戻りたかったらフィーネ嬢を口説き落とせ。

 以上すべてを世間への告知とほぼ同時に知らされたとき、本気で意味がわからなかった。


 おじ上には頭を下げられたが、当主という立場にそれほどの執着はなかったし、フィーネ嬢の身を守るために必要なことだといわれればよろこんで賛同する。

 ただ一点、こうなってから言い寄っては、俺がまるで家督惜しさにフィーネ嬢に偽りの愛を告げているかのようではないかと、そのことだけが悔しかった。



 ――――



「あまりにも素直じゃないわ……」


 リーゼロッテにだけは言われたくない。


 反射的にそう思ったが、そんなことをいえばこいつリーゼは意地を張って心にもないことまで言ってへこんでとめんどくさいので黙って聞き流した。


 夏休みが終わり、新学期になって3日。

 王都にある本家の別邸までリーゼロッテに呼びつけられ、彼女の私室で“なぜうちのかわいい妹フィーネを口説かないんだ”というわけのわからない尋問をされた俺があらいざらいをぶちまけたところ、世界一素直じゃなくて究極にツンデレな俺のいとこリーゼはそういったきり、ただ俺をあきれたような目で見ている。

 仕方がないので、ため息とともに口を開く。


「素直になって思いを告げたら嘘くさくなるんだからしかたないだろ……。

 信頼すら失って、護衛としてすらそばにいられなくなったらどうするんだ」


「へたれ」

 リーゼに短く吐き捨てられた罵倒は、いい角度で俺をえぐった。

 黙ってうつむく俺に、リーゼロッテはあきれたように言葉を続ける。

「土下座して、涙でも流して、ひたすらに愛を請えばいいじゃないの。

 あなたから家督を奪ったと負い目に感じているフィーネなら、そこまですればきっとあなたを哀れんで交際くらいは了承してくれるわ」


「だから、嫌なんだろう……」

 そう、それも問題だ。

 夏休みがあけてからのフィーネ嬢は、やたらに俺のことを気にかけてくれている。

 自分のプライドの問題だけではなく、彼女を追い詰めてしまうことも本意ではない。


「利用できるものはなんでも利用する。己の敵は力でもって排除する。

 リーフェンシュタールたるもの、それくらいの貪欲さは欲しいわ」

 リーゼロッテはそういって、酷薄な笑みを浮かべた。

 それは、リーフェンシュタールというより、リーゼのやり方だ。

 こいつは実際ジークヴァルト殿下の婚約者としての地位を、なにをしてでも守り続けてきた。


「……そういえば、お前がフィーネ嬢を自分の妹にすると言い出すとは、思いもよらなかったな」

 春先には排除対象としてみていたはずだ。それが、リーゼの身内の俺が、あわれな被害者フィーネを気にかけるきっかけでもあった。

 俺の指摘を受けたリーゼロッテは、一度ゆっくりと深呼吸をしてから、口を開いた。


わたくしが、ジークヴァルト殿下とフィーネの仲のよさに、嫉妬していたという事実は、認めます。

 平民であったときすら友人として認められていた彼女が侯爵令嬢となった今、私にとっての最大の脅威である、ということも」

 そこまでいうと、彼女は伏せていた目線を、まっすぐ前へと向けた。

「ですが、私は彼の婚約者で、これまで受けてきた教育も、続けてきた努力も、重ねてきた愛情も、誰にも負ける気は、しませんから。

 殿下も誠実で頭の良い方ですから、きっと正当で合理的な判断を……、して、くださる、かと……」


「……泣くな」

 言葉は強いのに、つ、と一筋こぼれた涙が、彼女の不安を物語っていた。


「泣いてません」


「泣くくらいなら最初から反対しておけばよかったものを」

 リーゼの強がりは無視して指摘をすれば、彼女はゆるゆると首を振った。


「フィーネさんからこれ以上、奪うわけにはいきませんから。

 ……あの子が、怪我をしたり、お腹をすかせたり、悲しんだり、孤独を感じたり、まして、命を奪われることなど、ゆるされるはずがありません」

 まあ、こいつはそう考えるだろうな。

 わがいとこの善良さに感心をしていると、いきなりリーゼにきっとにらまれてたじろいだ。


「だから、バルはさっさと土下座して愛を請うて彼女に尽くすべきなの。うっとおしいくらいの愛情でもって、彼女をすべてから守りなさい」


「そこに戻るのか……」


「戻します。

 ……まあ、本人に告げる告げないは別として、バルがフィーネのことが好きだという私の見立ては、間違っていなかったのよね?」

 リーゼロッテは不安げにそう尋ねてきた。


 フィーネ嬢のためもあるが、俺の気持ちを確信したからこそこの話をすすめたときいている。

 俺がフィーネ嬢を愛しておらず、家督を譲ることに納得していなければ、後継者争いが起きる。

 リーゼとしては何度も確かめたくなるくらい、どうしても気にかかる部分なのだろう。


「それは事実だ。

 自覚したのは夏休みに入ってからだが、俺はたしかに、フィーネ嬢を愛している。以前からそのように見えていたというお前の見解は、間違っていない」

 俺が素直に認めると、リーゼはほっと息を吐いた。

「そうよね。

 ところでバル、ひとつ謝らなければいけないことがあるのだけれども」


「……なんだ?」


「あなたはここ3日フィーネを学園の職員寮まで送り届けてくれていたようなのだけれども、実は彼女は現在あちらに住んでいるわけではないの。ごめんなさいね」

 珍しく、全開の笑顔で、わがいとこはそう言った。嫌な、予感がする。


「彼女は寮から荷物を運び出したり、寮のお夕飯を食べ納めたり、お世話になった職員の方々と別れを惜しんだりしていただけで、夜にはこちらに戻ってきていたし、ここにいっしょに住んでいるわ」

 にこにこと続けられたリーゼロッテの言葉に確信を覚えて、俺は立ち上がる。


「その引っ越し作業も昨日までの話で、今日は寮からすぐに私と同じ馬車に乗っていっしょに帰って来たの」

 続けられたリーゼロッテの言葉に、フィーネ嬢はこの家に、それどころかこの部屋の近くにいて、今までの話をきいていた。そう確信して、気配を探る。


「……明日からは、あなたの家の馬車にいっしょに乗せて、この家まで送り届けてちょうだいね」

 そこまでいうとリーゼロッテも立ち上がり、部屋を出ていこうとする。

 その視線が、一瞬動いた。


 ……ここか!


 確信を持って開けた、ウォークインクローゼットの中。真っ赤な顔をしたフィーネ嬢がいた。


 気配に気がつかなかった己の未熟さを悔やむべきか、己の恋敵となりうる彼女を排除するためなら俺をも利用しここまでするリーゼロッテに感心するべきか怒るべきか。

 一瞬迷ったが、リーゼロッテは去っていってしまったし、もう、こうなっては仕方ない。


 土下座は、最終手段だ。


 今はただ彼女の手をとり、部屋の中央、先ほどリーゼが座っていたソファへと導く。

 座らせて、その手前に跪いて、彼女を見上げ、深呼吸。

 愛の告白なんてもの、どうしたらいいのかなんて、知らない。

 ただ自分の素直な気持ちを、彼女に、告げることにした。

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