第漆章 3「バットエンドなど壊してしまえ」
3 バットエンドなど壊してしまえ
彼は走った。
この一週間、まともに動かさなかった固まった筋肉を酷使して、いつも以上の速度で一直線に駆けていく。マンションの間を抜け、平屋を駆け上り、川を渡り、一気にその向こう側のビルへと近づいていく。
人を捨て、人格を捨て、周りの人に目を向けず。
彼は獣のように前へと進んでいく。
正面突破、そんなバカげた四文字すら彼にとっては普通のことで――いや、ゆりを殺した彼にはとっくに監視がついているだろう。上の連中が彼に任務をよこさなかったのも、反乱されないためでもある。もはや考えたところで意味のないことだった。ただ、追いつかない絶対的な速度で向こう側に越えてしまえばいい。
武装警備員など五秒で片づけ、階段へ直進する。
扉を数枚とぶち破り、彼はその秘密兵器に向かって進む。
するとそこには、クハとゴロが立っていた。
「なあ、どうしたよ……ナナ」
「リーダー命令よ、ナナ」
当たり前だ。一週間いなかったんだ、むしろ飛び出した時点で報告が入っているだろう。彼らの任務は『ナナを殺すこと』。
彼は言った、たった一言を言った。
「ど、け」
「やめろよ、知っているよ、ナナががしたことは知っている。そして、何よりも尊敬している。ナナの強さは知っているから、戦いたくはない」
「ナナ君は、規則違反をしているのよ。わたしも、君と戦うのは気が引けるけど、ここは通さない」
「分かったよ……でも、ここは――」
瞬く剣捌きと、輝く銃弾が二人の脳天を切り抜いた。
さすが、一桁。二人の持つ武器を奪い去ってそれを軽々と使って見せる。
「っあ⁉」
「っう⁉」
弾ける血が音符のように生命と言う楽曲を奏でていく。
「僕は、止まれないんだ」
この二人でさえ、たったの一分。もはや、ここまで来るのに三十分も経っていない。制圧が完了していた。
彼は、その小さな研究室の前へ。
その辺に落ちてあったコルトパイソンを手に持つと、大きな振動を発生させる。甲高い乾燥音が響き渡り、ドアが拉げた。
中に入り、そのケースを開けると、中から文字が浮かび上がる。
『password』
彼は今さっきの記憶から、この文字列を打ち込むと。
『sytm6m6n68』
その中へと吸い込まれていった。
中は暗く、うねりと曲線の連続の世界が広がっている。
どこか血生臭い匂いが身体に纏わり付き、彼の周囲でくねくねと回っていく。白い靄が徐々に絡み、彼の全身を覆っていく。
目の前には、時間の波。
その一つ、ちょうど殺す瞬間の景色を触れる。
そうだ、お前は今から禁忌を犯す。
絶対に成し遂げられない未知の領域に足を運ばせるのだ。
もはや、あとには戻れない。
彼女を殺して、幸をも殺して、すべての命を奪い去っ少年は今。
一人の命を守ろうとしている。
良いことではない、罪滅ぼしでもない。
彼女がこの行為を望んでいるのかと聞かれれば、おそらく違うのかもしれない。
でも、生きろと言った彼女を見捨てることはできない。
だから、救う。
君の命を、自ら捨てたその命を僕は手にする。
少年よ、命とは儚く脆い小さきものである。
とても繊細で、触れると痛い。生きているとはそれを感じて進む行為であり、死とは否定されて散っていく行為。
死んで終わりなんて、嫌なんだろう? 散っておしまいなんて、最悪だろう?
ならば、ゆけ。
失敗など塗り替えろ。
前を向いて進んでみろ。
そうだ、バットエンドなど壊してしまえ。
<あとがき>
死にたくはない。
もう、彼は分かっている。
その大罪は償えるのかもしれない……。
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