第漆章「幾千万ノ死」

第漆章 1「五月蠅い、五月蠅い、そして暗い。」

 第漆章 「幾千万の死」


 1 五月蠅い、五月蠅い、そして暗い。


 彼はうずくまった。

 今更だ。今更、どうしようもないほどの大罪に彼が何を為すことができようか。

 失敗した。

 何もしていない、だと?

 そんなことなんてない。この八年間の行いは自分のせいである。

 言い訳なんてしない、彼が行ってきた結果がこれだった。


 『何が、偽りだ! 何が偽善だ! 何が、秘密を知った罪だ! そんな、はずあるものか、俺だ、罪は俺だ。偽善は俺だ! そして何より、君は……。 家族だ、正真正銘の俺の家族だ。 幸も君も、学校のみんなも、全員が僕の大切な人たちだ、よ……』


 なんて惨めだろうか。

 なんて醜い姿だろうか。

 彼のその姿、もはや家畜。

 ペットのように飼いならされて、首輪に掛けられている。

 そして、何千人もの命を奪った人間がたった二人の死に悲しんでいる。

 覚悟が違うだって? 

 クソ野郎だ。覚悟なんてあるわけなかったのだ。みんなが言ったからただやってきただけなのだ。飼いならされ、それが善行と教育されたからだった。自分で試行することをあきらめ、とにかく命令だけを為してきたが故の苦しみ。自分の身内だったらなんて、予想していなかった。


 家族を失うことなど二の次三の次、雑然の塊が彼だった。


 今更、彼は後悔した。

 今頃、彼は思考した。


 笑えるな、こんなバカがプロってことが本当に笑えるよな?

 皆、笑おうぜ。彼の惨めさに、ざまあって言おうぜ。


 クロは一週間、家から出なかった。気持ちを塞ぎ込み、心を閉じ込んで、目をつぶって孤独になった。

もう失ってしまった。ゆりの命も幸の命も。すべてが自らの行いの結果で、当たり前だった。泣きたい、叫びたい、謝りたい。でも、相手はいない。

もう、自分が何人を殺したなんて分からなかった。

踏み出したその一歩は、誰かを踏みつけにしている。

いつの間にか、彼は亡骸(はかば)の山に立っていた。

 後悔しても、反省しきれない罪が彼の小さな背中に乗っかっている。今にも押しつぶされそうだ。殺し屋の重圧とはこのことだ、彼は初めてその重みを理解した。


「あ、あ……」


 口から零れた言葉も意味などない。

 もの凄い、静謐。

 そんな静けさの中、いつしかの殺した者たちの声が聞こえてきた。


「やめて!」

「なんでっ、なんで私が⁉」

「っち、くそったれ」

「え?」

「いやあああああああああ!」

「どうしてなんだよ、なんで、俺は何も!」

「……しに、たくぅ、n」

「あ、ぃ、た……k」

「いやあああ、待って‼‼」

「む! んん‼‼ んんんんんんん‼‼‼」

「な、に?」

「うわあああああ‼‼ おっ⁉」

「うx、おおおぁぁえええ……」

「いた、いよぉ……いた、ぃ……」

「見えないよ! どこ、どこ、ねえ!」

「あな、た……」

「ぐあああああああああああっ」

「まさか、お主。そうとぅ、な」

「てめえ、よくもおおおおおおおおおお‼‼‼」

「ふざけんじゃ、ねえぞ」

「我流八式‼‼‼ っガハ―—」

「いって……」

「み、えない、よぉ」


 五月蠅い。

 頭の中、響いて消えて、そして響いてを繰り返す。

 目眩でも、頭痛でもない理解できない痛みが激しく身に染みていく。

 体には幾千万の剣が突き刺さり、無限に連なる鉛の塊が埋まっている。

 取り返しがつかない。

 あとには戻れない。

 絶望の暗闇が漠然とクロを覆った。

 彼は思った。

 生きてても無駄だ。

 この大罪も、死ぬことで軽くならないだろうか。

 悪の権化である、自分がいなくなればこの世界も平和になるだろうか。

 そして、こんな大罪の重みも感じる必要がなくなるだろうか。

 よし、と。

 彼は愛銃を拾う。マガジンを取り出して弾を確認する。

 残り「一発」。

 もうおかしかった。

 思わず笑ってしまった。

 だって、運命が「死ね」と望んでいた。


 笑止、それは託宣だ。


 おかしいぜ、馬鹿馬鹿しいぜ、あほくせぇ。


 『ああ、あはっははははははははははははははははははははははははははははははははは』



 一通り、笑いつくして。

 彼は自らの頭に銃を抜ける。


 息を吸って、息を吐いて。

 大きく深呼吸をした。

 そして、引き金を――――――引いた、と思った刹那。



<あとがき>

 刹那、何が起こる。


 すべてを失って、すべてを奪い去ったこの男。


 善悪の区別もついていない最悪の悪党を、世界は許すのか……?


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