第伍章 2 「秘密保持1」

2 秘密保持1



 その夜は寝付けなかった。

 いや、偽かもしれない。

 思い出しているのか、それとも夢なのか。

 隣で眠る幸の寝息のリズムに飲み込まれながら、あの日のあの景色を思い浮かべる。


「わああ!」

「ひこうきぃぃ!」

「じゃあ、くるまぁ!」

「ねえねえ奥さん?」

「やあね、奥さん?」

「さっかーする!」

「しよしよ! キーパーするもん!」

「私はやきゅうするもん‼‼」

「へえ??」

「なにそれ!」

「あははは‼‼」

「僕、前行くよ!」

「ずるい! わたしだって!」

「止めてみろ‼‼‼」

「言ったなーー!」


 楽しそうな声がする。

 とても気持ちよさそうで、清々しいまでに美しい彼らの笑顔。

 子供たちの黄色の声に挟まれながら、少年は一人。

 一番端の自分のベットの隣、壁との隙間にすっぽり収まる形で、俯きながら座っていた。

 騒がしい声は止まらず、むしろより一層と増していく。ただ、だからと言って五月蠅いとは思っていなかった。なぜなのかは知らないが、怒りは覚えていなかった。

それ故、無感情。

 自分が特殊な人間で、特別な人間であるとは言えない。別に彼らと違うなんて思っているわけでもない。その輪の中に入りたい気持ちもあるのかもしれない、でも、自分から入っていこうなどとは思えない。

 ジレンマとは違う、天邪鬼あまのじゃくとも違う、オオカミ少年とも違う。

 一匹の蟻が視界に映りこむ。

 思わず、その一匹を指で押してみる。

 当たり前のように、そこには潰れた蟻が足をひくひくと痙攣させて倒れていた。

 すると、その後ろから黒い蟻が一匹二匹、そして三匹。止まらない羊のように次々と姿を現していく。触角を上下左右に動かして何かを嗅ぎ分けているのだろうか。もちろん少年にはその動きの意味など理解できない。直進もできずに右往左往する蟻の数匹がその亡骸へ集まっていく。仲間を弔っているのだろう。そうやって美化したいのが人間という生き物。しかし、それを見ている少年は美化とは無縁。このまま足で数匹の蟻ごと潰してしまおうなんて考えすら浮かんでいる。残酷な考えだって平気でやれる人間なのだ。

 結局、蟻たちは数秒間その亡骸を探った後、無視して軍勢の元へ帰って行った。

 可哀そう。

 なんて、思う少年じゃない。

 自然の摂理であり、蟻の社会がそこには広がっていた。

 倒れたものは要らない。回復が見込めないものなど切り捨てよう。

 何と合理的だろうか。感情などない。

 計算高い合理性だけで物事を決める世界。

 美しく、そして悲しい。

 人間には真似できない、いいや、常人には真似できない。上に立つ者たちだけが行える苦渋の選択を蟻たちは当然かのようにやって見せる。強くたくましく、そして何よりも従順な生き物だった。

 後ろから来た蟻は、そこら中に落ちてあるダニや毛虫の死骸を集めては持ち運んでいる。自分の数倍もの大きさのものをこの建物から集めて、自力で運ぶ。人間で言えば数日とかかることを平然とやっていた。どれほどの距離を進んできたのかは少年にも、他の人間にも理解できないだろう。女王の奴隷となり働く者の気持ちは。生まれた瞬間から、考えるのを捨てて為すがままに命令の言葉だけを取り入れて動く。

 まるで機械。

 どこか、今の少年を謳っているような、不快な気分がクロを支配する。

 いつしか幸の寝息など聞こえなくなっていた。

 気持ち悪さと世界に対する不快感が後味として彼の舌を刺激する。思わず吐き出して、目を閉じて、暗闇の世界へ体を置こうと考える。

 意識が薄れるのも期待できないほどに考えていた彼の脳は活動を停止していた。



 朝、目を覚ますと。

 そこからはいつも通りだった。

 いないゆりの代わりに朝食を作り、幸を起こして、二人での食事。自分よりも小さな女の子と二人きりとの状況は羨まれるのかもしれないが、彼にとっては珍しいことでもない。

 可愛い妹の最高な笑顔を見つめて、自分も微笑んでしまう。

 幸せなひと時もすぐに終わり、制服に着替えて学校へ。


 登校して教室に入ると、昨日は途中で抜けた! だとか色々と不満をぶつけられ、今日は居残りで準備だとか文句を言われるクロ。自業自得だが、事情も話せない彼にとっては仕方のないことだった。ゆりについても先生からお話があり、クロにも質問が向かったがそれをすべてスルーし、何とか下校時間にたどり着く。

 西藤や月詠、田中も振り払って一人でに校門まで進んでいく。

 スマホを取り出して、レインのアプリを開く。たった8人しかいない友達の中のお気に入り、白色のゆりのアイコン「ゆ~~り」を押して、トークの画面へ。

 昨日の「おやすみ」という彼女の言葉に何も返せず、既読だけした僕は今。

「今から行く」

 と、たった五文字の言葉を送り、ポケットにしまって彼は走り出した。










 瞬間。

 右腿が震える。

 そして、同時に陽気な音楽が僕の体から、身に付けるスマートフォンから発せられていた。

 もちろん、その相手は。


『鬼我京子』


 ああ、やっぱりそうなるのか。

 いつもいつも、家族とは過ごせない。

とても短い時間すらも奪う彼の仕事の電話が天から舞い降りた瞬間だった。




《後書き》

 おはようございます!

 彼の思い出す景色はいったいどう言うものなのか?

 世界に説いて、僕は答える。


 では次回!

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