5-2 再会・後

 公園の正門にも、桜の花びらが散りかかっていた。

 門柱のわきに、ひとりの老人が杖に寄りかかるようにして立っている。玉川さんだ。

「やあ。静乃しずのちゃん。久しぶり」

 そう言って白く長い眉を垂らした玉川さんは、五年前と全く変わらない微笑を口もとに浮かべてくれた。今日玉川さんは、あの人と一緒に、新しくなった美術館を案内してくれることになっている。

「静乃ちゃんは、変わらんのう。いや、ちょっと変わったか。何だかこう、凛々しくなった気がする」

「ありがとうございます。玉川さんもお元気そうで」

「おかげさまでな」

 そう言って、玉川さんは先に立って歩きはじめた。その足取りはスキップでもしそうなくらい軽やかで、お世辞でなく本当に元気そうだ。若葉の芽吹く枝々を見上げて目を細めた表情も、生気に満ちていて若々しい。

「ほんとうに。君のおかげだよ。君が、親戚の家の蔵でほこりをかぶっていたという賢三けんぞうさんの作品を、外に出してくれたのだから。そして雪子ゆきこさんの遺言通りに、その作品をこちらに送ってくれたのだから。ほんとうにありがとう」

 賢三さんとは、結朋堂ゆいほうどうを造った画家星川賢三のことだ。静乃がある年の年末、世話になっているまたいとこの家の蔵で彼の遺品を見つけ出した。三十点にも及ぶ彼の作品である。娘の雪子さんは三十年も前に亡くなっていて、その遺書にはこう書いてあったそうだ。

『この作品は売ってはならない』

『子孫が、賢三の美術館をいつかつくる。それができなさそうなら、作品をすべていちだ市に寄贈するように』

 親戚はこの遺品の扱いに困っていた。売るつもりはないが、美術館などつくれそうもない。かといって、彼らにとってなじみのないいちだ市にみんな寄贈してしまうのは、なんだか気が進まない。そんな彼らを、静乃は一生懸命説得した。いちだ市には、幸ノ丘学園ゆきのおかがくえんには、賢三さんと雪子さんの思い出が詰まっている。そして彼女らと青春を過ごした人々の想いも、流れつづけているのだから。雪子さんが美術館をつくりたかった場所は、彼女が住み続けたかった結朋堂は、幸ノ丘学園のあの丘の上にあったのだから。だから賢三さんの作品はあそこに帰るのがいい。そうすればきっと雪子さんも喜んでくれる。

 もちろん親戚の人たちにだって雪子さんに対する愛着がある。だから静乃は親戚と時間をかけて話し合った。皆が納得できるように。妥協点を探しながら。そしてその結果、三点を大阪に残し、あとの作品がいちだ市に寄贈されることになったのである。

 作品が収蔵されたのはこの幸ノ丘学園と本町ほんまちの間にある市立美術館。そのリニューアルには星川雪子にゆかりのある玉川さんや守口君たち、あと意外にも成瀬さんも尽力したと、手紙で教えてもらった。

「思えばみんなつながっていたんだ。星川さんの妹さんの孫である君が、あの結朋堂にわしを連れてきてくれた。あの日のことを、覚えているかい」

 玉川さんの問いに静乃は遠くを見つめるような表情をしてうなずいた。当時玉川さんの営む薬局で働いていた静乃は、新規開店の検討をしていた彼を、いい空き店舗があるからとあそこに連れて行ったのだ。玉川さんははじめ渋い顔をしていた。だからダメかと思っていたのだけれど、でも結局そこに新店舗を開店して、静乃をおいてくれた。

「自分でも、何でそうしたのかはよくわからんかった。でも、そうしなければならないような気がした。懐かしいなあ。静乃ちゃん。君はあの日、行きかえりの電車の中でも、あの坂をのぼるときも下るときも、熱心にわしを説き伏せようとしていた。あそこはいいところだと」

「でも……。その結朋堂も、もうないけど」

 静乃はため息まじりに答える。そう。あの建物はもうない。蓋をしてしまおうと思っていたのに、やはりあの風景を思い出してしまうと胸が締め付けられて、彼女の視線は自然と下を向いてしまう。

「あれ? 君はまだ彼から教えてもらってないのかい」

 玉川さんが眠そうな声で言ったその言葉で、彼女は顔をあげた。

 え? どういうこと。

 玉川さんの顔を見ると、彼はほほ笑みながら、ちょっといたずらっぽく口の端をあげて前を見つめている。

「ほら。これじゃ。これが新設された市立美術館別館。星川展示館じゃ」

 生垣に挟まれた小さな門をくぐる。玉川さんの視線に促されて静乃も前を向く。その顔に、花びらまじりの風が吹きつける。

 静乃は思わず目をつむる。

 風がゆるみゆっくりと目を開く。

 光が、開かれる視界に次第に満たされてゆく。

「うそっ!」

 静乃は思わず声をあげた。

 うそ。どうして? どうしてこれがここにあるの。取り壊されたはずなのに。それがどうしてここに建っているの。かつてと同じように春の光を受けて。店先に桜の花びらを散らして。でも記憶にあるよりもずっと新しく綺麗に。あのお店が。私が小さいころから知っている、あの結朋堂が!

 静乃はその建物に駆け寄って、震える手を差し伸べる。

 ああ、変わらない。このガラス戸も。軒の看板も。モルタルの正面の模様も、二階のアーチ型の窓も。

「結朋堂が取り壊されるとき、まだ使える建材を残してもらって、それを使ってここに移築したんじゃ」

 振り返ると、玉川さんもまぶしそうにお店をみあげていた。

「あのときのまんまだ」

 そう言って、よっこらっしょと店先の木のベンチに腰をおろす。彼は鞄から一本のラムネの瓶を取り出して、それを建物正面にたたずむ桜の木に、そっと差し出すしぐさをした。

「星川さん」

 そう、語り掛けながら。

「星川さん。やっと、あなたの夢をかなえることができました」

 しばらくラムネの瓶を握り締めながら桜の木を見つめていた彼は、背中を向けたまま、静乃に声をかけた。

「入り口は美術館本館からつながっている。さあ、いきなさい」

 そして、いったん口を閉じてから付け加える。

「彼からの伝言じゃ。『いつもの席で、待ってます』」

 その言葉を受けて、静乃ははじかれたように駆け出した。


 はやる心をおさえながら、静乃は美術館の静かな廊下をできるだけ騒がしくならないように歩いてゆく。しかし、どうしても足は速くなる。もっと。もっと早く動けばいいのに。そんなことを考えながらもどかしい思いで足を運ぶ。

 足を前に出すごとに高まる鼓動。自分の胸まで波打つかのようで、そのエネルギーで体が宙に浮いてしまいそうだ。足に力が入らなくてふわふわしているのに、緊張で肩ががちがちになっているのがわかる。

 いけない。落ち着かないと。

 別館につながる渡り廊下の途中でいったん立ち止まり、静乃は大きく深呼吸をする。

 こういう時は呼吸だ。ゆっくり、長ーく息を吐いて、そして吸う。副交感神経を刺激して心を落ち着けるのだ。私はおねえさんなんだから。年上なんだから。彼に余裕たっぷりの、大人の女として接しなければ。そう自分に言い聞かせながらゆっくりと足を前に出す。

 窓から差し込む光がなくなり、急に暗くなったかと思うと、いつの間にか静乃は結朋堂の中にいた。

 薄暗い電気、空調……。美術館としての機能を整えながら、しかしそれは結朋堂そのままだった。土間も、休憩室も、階段も。みんなあの頃のままだ。メインの展示室になっている店舗部分だけは、さすがに美術館の風情だったが。所狭しと壁に絵画の飾られたその部屋をちょっと覗いてから、静乃は二階へと足を向けた。

 壁にかけられてある解説のパネルを眺めながら静乃は、ゆっくりと階段を上ってゆく。パネルの一つに近寄ってその文を目で追うと、すぐにそれが誰の書いたものか彼女にはわかった。

 彼だ。これはみんな、彼が調べて発表していたものだ。

 あの日々の思い出がまたよみがえり、ふいに静乃の目に涙があふれそうになる。

 しかし静乃は一生懸命それをこらえる。

 ダメだよ私。今は、まだ泣いちゃダメ。せっかく彼と再会するのに、いきなり泣き顔なんか見せられない。笑っていなくちゃ。大人っぽく落ち着いたほほ笑みで、彼と会うんだから。

 彼女は鼻をすすり、ハンカチでちょっと目の下を押さえてから、笑みをつくって階段を上がった。

 木製の扉を開くと、光が視界を満たした。

 懐かしいあの洋間。ここは喫茶スペースになっているようだ。しかし並べられたテーブルも見覚えのあるもの。ちゃんと、窓際にはあの丸テーブルが鎮座している。テーブルの中央には小さな花瓶。そこに一輪さしてあるのは、季節外れのコスモスの花だ。

 その窓際のテーブルの席に、男の人が座っていた。

 アーチ型の窓ガラスに散る、白い光の粒に囲まれて、本を読んでいる。一心に、真剣に。でも、初々しい、ちょっと緊張した面持ちで。

 こらえきれずに静乃の目からは涙がこぼれた。我慢しようと思っていたのに。でもそれは、自然と湧き出て抑えようがなかった。

 その涙のこぼれるにまかせながら、静乃はほほ笑む。

 なんと声をかけようか。この時になって、再会したときのセリフを考えていなかったことに気づく。彼女は何も考えず彼に歩み寄り、そして立ち止まった時、ふいに頭に浮かんだ言葉を口にした。

「ねえ。君、社会人?」

 彼はちょっと驚いた様子で振り向く。その表情にたちまち笑みが広がってゆく。何度も夢に見た。ちょっとすました、でも優しいこの笑顔!

「どうして……、わかったんですか」

 そう、おどけた調子で彼は問う。それに静乃は笑みで応える。ひとつぶ。また一滴とその頬に涙が零れ落ちてゆく。

「さあ。どうしてでしょう」

 喜びを含んだ声でとぼけてみせてから、静乃はいつも座っていた彼の正面の席に着く。

 それはね。私は君だから。君の、ちょっと未来の姿だからだよ。

 そう、彼に心の中で語り掛けながら。




おわり

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ちょっと未来のあなたと 久保田すこし @kubotasukoshi

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