3-2 計画発表

「あの……。僕は行けないんです」

 月影さんと岩崎さんの視線がカナトに向けられる。月影さんのすがるような目。岩崎さんの責めるような視線。そのどちらにも内心で頭を下げながら彼は一気にまくし立てた。

「ある計画があるから。僕も考えたんです。結朋堂を守る方法を。そして一つ思いついた。やはり地主の成瀬さんにも訴えかけるんです。この建物は古い。だから必ず文化財的価値がある。それについてちゃんと調べ、その歴史と価値を、残すべきだということを、成瀬さんの前で発表して説得するんです」

「演奏会はどうするの」

 岩崎さんがメリーポピンズのスカートをつまんで振りながら問う。

「演奏会もやりましょう。それは当初の計画どおり、月影さんに存分に演奏してもらって彼らにうったえる。その一方で、僕は成瀬さんを説得する」

「二段階作戦って、わけね」

 カナトは大きくうなずく。

「どちらかがもしうまくいかなくても、どちらかが成功すれば目的は達成される。策は多い方がいいと思うんです」

「そのひとつを、君がやってくれるというの。受験生なのに」

 月影さんの言葉に、カナトはもう一度、力強くうなずき返した。夏休みは受験生にとって天王山だ。ここでどれだけ充実した勉強ができるかで、志望校の合否が左右されるといっても過言ではない。でも、それでもカナトは思う。たとえその夏休みの勉強を犠牲にしても、月影さんの大事なものを守ることができるなら、それはとても価値のあることだ。そう、強く思う。

 月影さんの、長いまつ毛の下の大きな瞳が揺れる。

「でも……」

 言いかけて閉じた口をもごもごさせる。そんな彼女の気持ちは、カナトはわかっているつもりだ。受験生である自分に気を使っている。あまり負担はかけさせたくないと思っている。でも、カナトにはわかる。それでいて、やはり彼女は助けを必要としているんだ。だから僕は何かしたい。ただの手伝いではなく、もっと積極的な、独自の何かを。岩崎さんも守口さんもいるけれど、でも、彼女の演奏を一番そばで聴き続けてきたのは僕だから。

「お願いします。僕がやりたいんです。邪魔になりません。負担もかけません。自分の責任でやります。だから、やらせてください」

 そしてカナトは深々と頭を下げた。

 白く丸い光の這う床を見つめる彼の頭上に、数秒の沈黙が降る。やがて衣擦れの音がして、カナトの肩に手があてられた。

「背伸びしちゃって。自分だっていっぱいいっぱいのくせにさ……」

 顔をあげると、月影さんが柔らかく微笑んでカナトのことを見つめていた。濃いメイクをしているけど、やはりそれは今まで幾度もなく彼に向けられた、彼女特有のそよ風のような優しい笑みだった。

「二つ約束して。決して無理はしないこと。自分の勉強もちゃんとすること」

 姿勢を起こしてカナトがうなずくと、彼女は今度は彼の両肩に手を置いて、ポンポンとたたいた。その口から忍び笑いが漏れる。それは次第に大きくなって、しまいには彼女の顔に満面の笑みを咲かせた。

「それじゃあ、行こうか。岩崎さん。エスコートよろしく。守口君はカナト君を手伝ってあげて」

 そして月影さんはピンクの日傘をさし、くるりと体を回転させる。日傘がまわり、リボンのついたスカートの裾が舞う。指を一本突き出して高々と掲げ、彼女は声を張って宣言した。

「作戦開始! 私はS公園へ。カナト君たちは図書館へ」

 あ。どさくさに紛れて行き先を変えたな。

 カナトは苦笑いしながら彼女たちを見送る。しかし岩崎さんを従えて部屋を後にする、眼鏡をかけたメリーポピンズは、その時確かにどこかの国の王女のように見えた。


 月影さんたちを見送ってから守口さんと一緒に結朋堂を後にしたカナトは、駅前で聡一に遭遇した。

 今日は珍しく女連れではないようだ。ひとりでカフェから出てきたところの聡一は、カナトに気づくと、いつものように口をにやけさせながら近づいてきた。

「なんだよお前。彼女をほおって、ひとりでお勉強かぁ」

 髪を撫でつけながら、見下すように言ってくる。その眉はしかしいつもと違ってちょっと逆立っていて、怒っているようにも見えた。

 カナトはキッと聡一をにらみ上げた。普段はあまり会いたくない人物だが、今はこいつに訊きたいことがたくさんある。

「お前には関係のないことだ。それよりお前の仕業か。あの招待状は」

 聡一は鼻で笑いながら答える。

「せっかく招待してやったんだ。ちゃんとこいよ」

「月影さんのオカリナをどこで盗み聴きしてた」

「フン。公園に行きゃあ、嫌でも聴こえるさ」

「……いったい何を企んでいる」

「別に。何も」

 そして髪をいじりながら顔をそらし、

「独り寂しくオカリナ吹いてる女に、夢をみさせてやろうと思っただけさ。喜んでいただろう、彼女」

 そして横を向いたまま口の端をゆがませる。その頬にできた皺にはどこか退廃的な影が宿っていて、遠くを見つめる目は生気なく濁っていた。それは、人を喜ばそうとする人間の目ではなかった。やはり何か企んでいる。何かしらの闇を抱えている。そういう目に、カナトには思えた。

「そうだ。彼女は喜んでいた」

 聡一をにらみながら答えたカナトの胸には、言い知れぬ怒りがわいた。そうだ、お前の言うとおりだ。月影さんは喜んでいた。本当に、本当に喜んでいたんだ。だからどうか、その気持ちを利用してあの人を傷つけないでくれ。人の心をもてあそばないでくれ。

 カナトはこぶしを強く握りしめる。聡一ににじり寄ってその胸ぐらをつかむ妄想が彼の頭の中を駆け巡り、しかしすんでのところで理性がそれを押しとどめる。

 こんなところでこいつとつかみ合っても意味がない。自分には、今自分のやることがあるんだ。

 そう言い聞かせながら歯を食いしばって、握りしめたこぶしを開き、深呼吸をする。

 そんなカナトに視線を向けた聡一は、口をゆがませ声を張り上げた。

「なんだ。終わりか。お前はどうして……」

 言いかけて聡一は口を閉じ、舌打ちをした。不機嫌そうに眉を寄せて踵を返す。

「ちぇっ。つまんねえ奴だな」

 捨て台詞を残して駅の方へ去っていこうとする。

「待ちたまえよ」

 そう言って聡一を呼び止めたのは、守口さんだった。

「君は面倒な男だな。そんな君に、二つ忠告してあげよう」

 立ち止まって顔だけ半分振りむかせた聡一に、守口さんは穏やかな声で語り掛ける。

「ひとつ。カナト君はつまんねえ奴ではない。ふたつ。君も勉強を頑張りたまえ。大学の勉強は大事だぞ」

「へっ。そりゃ、どうも」

 あくびをしながら生返事をした聡一は、ポケットに手を突っ込むと、背を丸めて雑踏の中に消えていった。一瞬だけ後姿を見せて。傲岸だが、どこか荒んでいて疲れのにじんだ背中。そこには普段彼が張っている威勢は無く、それがカナトには少し意外に思えた。

「何なんだろうな。あの少年は」

「ただの……、嫌な奴ですよ」

 そう、守口さんと言葉を交わすカナトのそばを、女子高生たちの朗らかな声が駆け抜けてゆく。

「ねえねえ。見た? さっきの」

「うん。あの変なコスプレした女の人でしょ。何なのかね、あれ」

「変態かな?」

「よくわからないけど、やばいよねー」

 女子高生の笑い声を聞きながらカナトは守口さんと顔を見合わせる。

 うん。月影さんも頑張っている。我々も頑張らねば。

 そう気合を入れなおして彼は駅へと急いだ。


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