1-4 結朋堂の幽霊

 薬屋結朋堂ゆいほうどうは、暇な店である。暇かどうかはわからないが、カナトが行くときはいつも人がいない。理由のいくつかは彼にもなんとなくわかる。反対側の駅前に大きなチェーンのドラッグストアがあること。それに対し結朋堂は町外れの坂の上にあること。一見何の店かわからない、そもそも開いている店かどうかもわからないこと。以前はいかがわしいビデオや本を売る店だったという、父の話は本当だろうか。

 その建物の見た目も人を忌避させるのに十分な効力を発揮している。

 店の正面はヨーロッパの街のどこかの建物から一部分だけ拝借してきたような外観だ。モルタル製の、神殿のような外観。しかし表面のところどころにひびが入り、どす黒い汚れがこびりついていて、おまけに蔦が壁の一部を覆っている。味があるといえばそうだが、決して美しくはない。しかもモルタル製なのは正面だけで建物自体は今にも朽ちてしまいそうな木造。いったいいつに建てられたのだろう。そういえば、こういうのを確か、看板建築というのだったろうか。カナトは頭の中にある教科書の一ページを開き、確かにあそこに載っていた写真の建物と構造は似ていると思う。ひょっとしたら文化財的価値もあるのかもしれない。だがそのおどろおどろしい雰囲気のせいか、単に街はずれにあるせいか、あまりそのあたりに人はよりつかない。あそこはお化けが出るらしい、なんて話が出てくるのも無理からぬことと思える。

 そんな店にカナトが通うようになったのは、敷居は高いが、入ってしまえば意外と普通の店だからである。

 いつもすいているので、ぼんやりと考え事をしながら買い物ができる。まだ薬は買えていないが、何となく気になって、あの日以来店を訪れるのはもう四回目だ。

 あの日店先にいたおじいさんはあれ以来姿を見せない。店員さんかと思っていたがそうではないようだ。カウンターに立っているのはいつも、あの月影つきかげ薬剤師だった。

 彼女はすこぶる無口な人だ。三回通って彼女の口から発せられた言葉といえば、金額と「いらっしゃいませ」「袋、入れますか」「ありがとうございましたー」の常套句だけ。三回目からは「袋、入れますか」も言われなくなった。店員に徹しているというか……。でも、薬剤師としてそれは大丈夫なのかと、他人事ながら心配になる。でも、いまのところそれでも不都合はない。年齢は不詳。おそらく三十くらいだろう。落ち着いているからそう見えるだけで、ひょっとしたらもうちょっと若いのかもしれない。肌は、そんなことにあまり興味のないカナトでもわかるくらいに、白くてきれいだから。

 今日も月影薬剤師は、決して話しかけてくることなくカウンターの中で気配を殺して突っ立っている。こうなるともはや公園に植えられている木と大して変わらない。そういうものだと思って、カナトは店の中を見て回ることにしている。

 今日は父にも頼まれたので、買っていかなければならないものがいくつもある。剃刀の刃。石鹸。歯ブラシ。それとミネラルウォーターと……。

 それにしても照明が暗いな。商品を目をすがめつつ探しながらカナトはひとりぼやく。もうちょっと明るくすればいいのに。この薄暗さもまた、人が寄り付かない原因の一つだろう。だからお化けが出るなんて言われもするのだ。

 そんなことを考えながら店の奥の方を横目でみる。その瞬間、彼の背筋に寒気が走った。何か白い揺らめくものが見えたから。

(え? まさか本当にお化……)

 カナトは慌てて頭を振る。いや、そんなはずはない。ただの噂だ。そんなものは人の心の創りだす幻影だ。勉強のことを考えよう。そうだ、年号でも暗唱していればいい。八一〇年薬子の変。八八八年阿衡の紛議。洗濯機用洗剤はどこだっけ。一〇一九年刀伊の入寇。えっと、セスキ炭酸ソーダは……。

 目を伏せながら別の棚の列に移動する。その視界の隅に、揺れる白い布のようなものが入り込んだ。やばい。近くにいる。足が緊張にこわばり、彼は足を止める。

「ねえ、君」

「うぎゃあっ!」

 叫びながら顔をあげると、目の前には白い布に身を包んだ物体……。いや、そうじゃない。白衣だ。白衣を着た色白の女の人。

 お化けじゃなかった。それは月影薬剤師だった。いつの間にかカウンターから出てきていたんだ。彼女の肌はかなり白い。髪は黒くて、その上白衣を着ているから……。まったく紛らわしい。

「なに、驚いてるの?」

「い……、いえ。別に……。ごめんなさい」

 あんたが突然話しかけるからだよ。という言葉は飲み込んで、カナトは頭を下げる。ていうか、気配消すのやめてくれ。話しかけられるだけでも驚きなんだから。

 って、あれ? 今、話しかけられた?

 カナトが改めて月影薬剤師の顔を見ると、彼女はその表情のない白い顔をわずかに伏せて棚の隅を指さした。

「セスキ炭酸はそこ」

 そして足音も立てずにカウンターに戻っていった。

 唖然とその背を見送ったカナトは、数秒してからようやく我に返って言われた商品の袋に手を伸ばす。その時になってようやく自分の胸が鼓を打っていることに彼は気づく。そういえば息をするのも忘れていたような。息しろ。息。そうつぶやいて彼は息を吐きそしておおきく吸った。

 いつもよりたくさんの商品をカウンターにのせても、月影薬剤師はいつもと同じペースで淡々とバーコードリーダーを当てている。静かな店内にリーダーがバーコードを読み取る音だけがやけに大きく響く。その音を聞きながら、カナトはさっきのお礼を言った方がいいのかなと、思い悩む。

 せっかく教えてくれたんだし。声かけてくれたし。

 ピッ……。

 お化けと間違えちゃったしな。それもちゃんと謝った方がいいかな。

 ピッ……。

 まあ、僕はただの客だから、そんな気を使わなくても……。でも、数少ない常連としてここは僕も声くらいはかけたほうが……。

 ピッ……。

 リーダーの読み取り音に促されるようにして、カナトは顔をあげた。

「あ……、あの」

「三千二百八十円です」

 あ。機を逸した。無情な月影薬剤師の金額を告げる声に遮られ、声を飲み込んだカナトは慌てて財布を取り出した。

「今日は袋に入れますね」

 常套句その二。その次は「ありがとうございましたー」だ。もういいや。今日は帰ろう。

 しかし月影薬剤師の口から、予想した「ありがとうございましたー」は、なかなか発せられなかった。袋を渡してくる気配もない。

 カナトが不審に思って顔をあげ首をかしげると、しばらく口をもぐもぐさせていた月影薬剤師は、意を決したというふうに口を開いた。

「君……。受験生?」

「え。あ、はい。そうです」

「そう」

 そして彼女はかすかに……、ほんのかすかに笑みを漏らす。ほっと、安堵の吐息をつくように。

「じゃあ、これ。サービスね」

 そう言って、彼女はカウンターの下からとり出した栄養ドリンクの瓶を一本、袋に入れてくれた。

「あの……。どうして僕が受験生だって」

「さて。どうしてでしょう」

「超能力」

 自分でもバカげたことを言うものだと、言った直後にカナトが後悔していると、月影薬剤師の口元の笑みが目もとにまで広がっていった。

「じゃあ、もうひとつあててあげよう。君には……」

 言いかけてから彼女は少し考えこむ。

「失礼かな。やっぱりやめた」

「いいですよ。言ってください」

「傷つけたらごめんね。……きっと君には、友達がいない」

 カナトの頬が少し紅くなった。図星だ。

 月影薬剤師は不安そうにカナトの顔をうかがう。

「ごめんね。傷ついた?」

「いえ。当たっていますし。僕は気にしてないんで」

 カナトが微笑んでみせると彼女もほっと安堵の息を漏らした。

「それにしても、どうしてわかるんですか」

「超能力」

 そう言って、月影薬剤師はいたずらっぽい笑みを口もとに浮かべた。

 カナトは苦笑いして軽く月影薬剤師に頭を下げ、踵を返した。そして表に向かいながら思う。それにしてもなんでこの人は僕のことが分かったのだろう。受験生であることも。友達がいないということも。不思議な人だ。

 外へ出ようとガラス戸の木枠に手をかけたとき、少し開けた戸の隙間から、柔らかい風と共に無数の薄桃色の花弁が舞い込んでカナトの顔にかかった。頭上の枝はもうすっかり葉桜になっているが、道は散りおちた花びらでピンクの敷物を敷いたみたいだ。

「桜。散っちゃったね。体にも気をつけて。無理しないでね」

 遠く背後でした声に振り返ると、月影薬剤師が薄暗いカウンターに立ったまま、遠慮がちに手を振っていた。さっきと同じ、ほんのかすかな笑みを口の端に宿しながら。



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