第54話 アグドノイア研究室
外で話をし続けるのもアレなので、二人に内部を案内すると、二人はとても興味深そうに観察していた。
まぁどう考えても、目にするもの全てが新しいだろう。あちこちに設置された照明然り、衛生面や雰囲気に拘った構造然り。流石に研究室の内部は見せられないがな。
道中、クレアの部屋を通り過ぎた時、ちょうど遭遇したので、二人にクレアのことを話した。それについてとても驚いておかしな表情を浮かべていたのはここだけの話。
やがて研究所の全てを回ると、二人は少し疲れた様子をしていた。
「うーん……はぁ! 凄いね、この規模は見たことないや」
「こんな大きな建物全てで、研究所と自宅で兼用しているのは、正直驚きました!」
伸びをしながら感想を述べるアイリスと、目を輝かせながら興味津々のご様子のサレーネ。二人それぞれ別々の反応をするのが少し面白い。
「ま、この学舎にいるってんなら、いつでも来られるだろうよ。好きな時に来て、ゆっくりしていけばいい」
「そうさせてもらうよー。あ、クレアちゃんも、次来る時はお菓子持ってくるから。きたいしててねー」
「うむ! 楽しみにしておるぞ!!」
途中から一緒に行動していたクレアに、すっかり慣れた様子で会話するアイリス。ある意味すごい光景だ。生物として、根底から違うと明確に悟らせるあの覇気を経験している俺が見れば、かなりシュールな光景だ。
あと、クレアの本来の姿とアイリスが会話しているシーンを想像した。予想の三倍くらいはシュールな様子なので、即座に頭から振り払う。
ちなみに、俺とクレアの《契約》では、互いの思考を共有することができるのだが、俺たちは互いに聞かないことにしている。頭の中を勝手に覗かれて、嫌な気分にならない奴なんていないからな。
その時、アイリスが唐突に「そうだ!」と叫ぶと、俺の手を取って声を上げた。
「ねぇ、私たちの研究室も見にこない?」
「お前たちの?」
すると今度はサレーネが、俺の質問にコクリと頷くと、にこやかに提案してくる。
「意外と面白いところで、面白い文献とか論文とかが山のように積み上げられてますよ」
「魔窟だな……。ま、たまには息抜きも必要か。そうだな、行くとするか」
その言葉で、パッ、と顔を明るくしたサレーネが、天使の如き微笑みを浮かべる。
「それでは、行きましょう♪」
にこやかに提案する彼女に、俺は流されるように連行されていった。
——————————
正直に言おう。
俺は到着した瞬間に、この場に来たことを後悔することになった。
高等学舎の本舎より西側、そこには六十メートル近い大きな塔が威容を放っている。
本舎と同等、あるいはそれ以上の規模の研究塔は、研究室の集合体のようなもので、生物に例えるなら、シロアリの巣によく似た造形をしている。
そこは卒業生や学舎の教員たちが一様に集い、日夜研究に没頭している——らしい。
聞いている話によれば、この塔の中の多くの研究室は、現在魔法文字について研究しているらしい。法則性や規則性については、俺の研究論文が外に出ているものの、中身については発表されていない。つまり、俺以外の人間は、魔法文字についてあまり詳しいとは言えないわけだ。
何故同じ内容を研究しているのか。競争意識があるのは間違いなさそうだが、それ以上に、「魔法式の根源的規則性」を求道しているのかもしれない。
そしてそんな魔境のような場所の最上部に、その研究室はある。俺は一応のために刀を帯びてここにやってきていた。
「ここか?」
「はい、そうです。ようこそ、私たちの所属するアグドノイア研究室へ!」
サレーネが、珍しく率先して俺の前に立ち、研究室の扉を開けてくれた——その時だった。
「危なあぁぁい!!!」
室内から、悲鳴が聞こえてきた。
視界に映り込んだのは、暴走した魔法式と発生した魔力の集合体。魔法式のどこかで、回路がショートしたに違いない。
見たところは炎熱系統の魔法。膨れ上がった灼熱がこちらに迫りくる。
後ろでは、アイリスが驚きながらも魔法を起動しようとしている。だが、その速度では間に合うまい。少なくとも俺より前側で驚愕しているサレーネには命中する。
反射的に起動した《アクセラレート》の意識の中で、俺は冷静に状況を分析し、判断を下す。緊急時に有無を言わずに《アクセラレート》を起動するのは、長年の旅での癖だ。
素早く一歩踏み込み、サレーネよりも前へ。迫る火球を見据え、腰から鞘を途中まで引き抜く。
鍔に親指をかけ、柄に右手をかける。親指で鍔を押し、右手で刀を引き抜き、左手の鞘は一気に戻す。鞘引きという、抜刀の技術。
鞘から引き抜かれた《霊神刀》は、美しい輝きを放つ刀身で、不定形の火球を文字通り真っ二つにした。
刹那に残るは蒼の軌跡。斬られた火球は一気に霧散し、何事もなかったかのように消え去っていった。
俺は振り抜いた体勢から元に戻し、鞘に収める。
「ったく、どんな無法地帯だよ……」
無言の周囲の中で、俺のため息混じりの一言だけがはっきりとこだました。
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