そして、私は叫んだ

そして、私は叫んだ

 日本のマチュピチュ、だったか。

 海に面した城は往年の壮健さを失い、苔と野草にまみれた史跡と化した。

 元は城下に遠浅の浜が広がっていたそうだが、砂地は尽く浸食されてしまう。


 季節の変わり目に一時いっとき、海上を厚いもやが覆うため、その上に突き出た城跡は雲の上に浮かんだようになる。

 マチュピチュに喩えられて以降ジワジワと人気を呼び、メディアで紹介されることも多い。

 ゴールデンウイーク直前の今も、辺鄙な田舎とは思えない旅行者の数だった。


 私がここを訪れるのは二回目だ。

 夜明け前、日の出を見ようと綾人あやとを誘ったのが一度目。

 今回はそれより遅く、靄が少し薄れたお蔭で、半壊した天守のシルエットも遠くから見て取れる。


 赤いジャケットを羽織った恋人と手を繋ぎ、ロープで区切られた順路を先へと進んだ。

 城の海側は、大昔の地震でひどく崩落したらしい。天守閣を回り込むと、不粋な警告看板が立ち並ぶ。


“足元注意!”

“この先は崖!!”


 鉄鎖で仕切ってあるものの、靄が深いとどこまでが地面か見誤りやすい。

 鎖を乗り越え、崖の際から海を覗こうなんて考えたら、うっかり足を踏み外すことだってあるだろう。

 昨年の春に一人、今年の正月にも一人、実際に転落事故を起こしている。


 不安になって隣を歩く顔を見上げたら、大丈夫だと笑顔が返ってきた。

 私たちの他にも五人ほどの観光客が、思い思いに古城跡を散策する。朝早いことを考えれば、これでも多いくらいか。


「ここにしよう」


 彼に言われて、天守をバックに独り立つ。

 赤い上着がそろりと私から離れた。

 一歩、また一歩と距離を取り――。


 消えた。

 私の絶叫が、朝靄を切り裂く。


「綾人っ!」


 大声に驚いて、周囲にいた人々が駆け寄った。何事だ、と問う初老の男性に、私は必死で説明する。


「彼が! 綾人が落ちたんです!」

「崖から!?」

「私を撮るんだって、後ろに下がっていって……」


 男は鉄鎖をまたぎ越え、懸命に崖下に首を伸ばしたが、靄が滞留していて海面は見通せないと言う。

 へたり込んだ私の傍らで、彼は警察へ連絡してくれた。すぐに助けが来るそうだ。


 写真映えのために落ちたのかよ、と右手から呆れた呟きが出る。不謹慎な感想に、連れの女性が肘鉄を食らわせていた。


 十分も経たずにパトカーが到着し、私から順に聴取される。

 綾人が写真を撮ろうとした経緯を話したところ、彼の服装や持ち物を尋ねられた。


「赤いジャケットにジーンズ……。手荷物はありません」

「少しここで待っていてください。捜索中です」


 どうやら海にも警察艇が来ているらしく、人が溺れていないかを捜していた。

 最初は物珍しげに捜査を見守っていた野次馬も、やがてポツポツと崖から去る。

 他のみんなが帰ってしまおうが、私は地面に座ったまま朗報を待った。


 太陽は少しずつ高さを増して、冷えた朝をほぐしていく。

 しかし、私の体は固いままだ。嫌な緊張が身を縛り、汗でうなじを濡らす。

 一時間ほど経過して、女性警官が私の肩に手を置いた。


「捜索は続いていますが、まだ発見できません」

「落ちたんです……。ふっと、消えるみたいに」

「転落時の様子は、皆さんも証言してくださいました。ここでは体力を消耗するので、一度宿に戻られては?」

「でも……」


 愚図る私を、警官が根気よく説得する。

 結局その忠告を受け入れ、私は旅館で待機することにした。


 波にさらわれてしまうと、沖まで一気に流れて行くこともあるらしい。

 まだ助かる可能性は十分にあるのだから、悪い方向に考え過ぎるなと念を押された。


 警官に車で送ってもらえたので、旅館にはすぐに着く。

 部屋で上着を脱ぎ、崩れるように座布団へ腰を下ろした。綾人は助かるだろうか――。


 疲れ切った私を、早く癒してほしい。


「わがまま言っちゃダメか」


 恋人の方がよほど疲れているはずだもの。

 未明から重労働をこなし、綾人と同じ色のジャケットで城を往復したのだから。

 何度も確かめた。綾人・・は助からない。


 人の証言なんて適当なもんさ――そう笑うりょうを思い返して、やっと私も頬を緩める。

 リバーシブルのジャケットを裏返した恋人が、明日には迎えに来てくれることだろう。

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