第三十四話 木曜日 昼の刻 〜呪いへの覚悟

 午後の授業も、ただ時間をすごしただけ。

 ぽっかり空いた頭のすき間が気になって仕方がない。

 この両足の黒いものも、は感覚でわかる。


 だけど、それ以上は、なぜかわからない。

 もっと知っていたはずだ。

 だけど、見れば見るほど、ノートの文字がかすんでくる。

 ノートの一番上に書かれた文字は───


【図書室は、アヤカシ討伐司令室!】



「……としょしつ、は、あやかし、とうばつ、しれいしつ……」


 ぼくはかみしめるようにつぶやく。

 この声すら、いった先から消えていく気がする。


 だからぼくは、なんどもなんどもつぶやいた。


 廊下を歩いているときも。友だちとすれちがっても。

 図書室の戸に手をかけた今も───


「としょしつは、あやかし、とうばつ、しれいしつ」


 がらりと開くと、銀水先生が大きめの白衣のポケットに手を突っこみ、立っている。


「図書室は、アヤカシ討伐、司令室!」


 ぼくがいうと、先生は笑う。

 笑う先生にせまるように、一歩、ぼくはふみこんだ。

 図書室のなかはひざしがさしこんで白く濁ってあたたかいのに、ぼくの肌は粟立っている。


「ここまできたことを褒めてあげるよ、凌くん」


 戸が、ぼくのうしろでぴしゃんと閉まる。

 音に驚いたぼくは振りかえるけど、いつもの戸だ。

 ふいに顔をもどすと、鼻がふれるところに先生の顔がある。


「ねぇ、どうして忘れたくないの? だって怖かっただろ? 死にそうになっただろ? もう逃げたいだろ?……ねぇ、怖いんだから忘れたらいいんだよ」


 ゆっくりかざされる手をぼくは払う。


「痛いなぁ、凌くん」

「意識をそらさせないでください!」


 この目を離したら、すべて忘れてしまいそうだ。

 頭のなかはもやがかかったみたいにぼやけて、チカチカする。


「サキ……?……えっと…その、大変なことに…なって……」

「昨日のことなのに、もうわからないのぉ?」


 この記憶も消えかかってる……?

 さっきまで覚えてたのに?

 なんで?


 目の前で花火が散ってる。

 頭が痛い。


 思い出したいのに、出てこない……!


「本当に、その子が心配なの?」


 もう濁り始めたサキの姿をぼくは目を瞑ってしばりつける。


「ぼく、約束したんです!」

「どんな?」

「日曜日に……そう、日曜日に、みんなでカレーを作って食べるって……」

「それが?」


「……ぼく、『呪い』と戦いますっ」


 口から出たことばに、ぼくが驚いてしまう。

 ……そうだこれは、『呪い』───


「戦わなきゃいけないっ! だって兄を……みんなを助けないとっ!」


 先生の顔が歪んだ。


「口先だけじゃ、困るんだよぉっ!」


 手をつき怒鳴った先生の顔は、いつものお面みたいな顔じゃない。

 目がこめかみまでつりあがってる。

 銀色の髪をふりみだし、怒る様は、まるで、狐だ。


「人間は信用ならないんだよ。ボクは何度も味わってる。今回だって、君の記憶がきれいに消えていれば、みんな週末には仲良く


 つらりと告げられた事実にぼくはかたまってしまう。

 先生はぼくらが死ねばいいって思ってる……?


「呪いなんてとかなくたっていい。呪いが起こればみんなの記憶を少しいじって、安らかに死ねばいいんだ。人間の寿命なんて、今死んでも、あとで死んでも誤差だよ誤差」


 誤差? なにが誤差なの……?

 ぼくは、生きたい……まだ生きたい……!


「ここはボクが清明からあずかった土地だからね。ボクなりに治めるてるから気にしないで過ごしなよ」

「だめだ」


 間髪入れずに応えてしまう。

 それじゃ、ダメなんだ。


「なぜ?」

「呪いを解放しないと!」

「どうして?」

「彼女は唄でしばられてる。風の神もそう。みんなみんな怒りの矛先がわからないんだ。……助けないと。呪いも助けないと」


 小ばかにしたような銀水先生の顔。

 いつも、この顔を隠してたんだ。

 もう先生は素性を隠す気もない。

 頭部にはふかふかの耳、おしりには長い白い尻尾がゆらいでる。

 どこか背中が寒かったのも、先生の雰囲気がおかしく感じたのも、先生が妖怪の狐だからだ。


 ぼくをずっと、ずっと、化かして騙してたんだ……!


 再び睨んだぼくに、先生の視線からあふれだしたのは殺気だ……

 昨日の呪いにもおとらない威圧感。それがぼくにさんさんと降ってくる。

 足はガタガタふるえるし、吐き気もする。

 逃げだしたい……怖い!!─────



「……うおぉぉっ!」



 叫んで机をぼくは叩いた。

 大きな音は鳴るし、手もビリビリする。


 でも……!


「ぼ、ぼくは、みんなを助けたい……冴鬼だって、兄だって橘先輩だって、呪いだって! 全部助ける! どんなことをしても助けてやるっ!! 確かに怖がりだけど、怖がりだけど! ぼくはあきらめが悪いんだ、バケ狐っ!」


 ぼくは勢いがついたまま、白衣の襟首をつかみあげた。


「お前がここの土地神だとしても、ぼくは絶対にあきらめないっ! たとえ死んだってっ!! 絶対絶対あきらめないからっ!」


 でもぼくは絶対この手をどけない。

 絶対にっ!


 長い髪が顔にたれ、細い指でかきあげながら、まだ胸元にいるぼくの顔を先生はまじまじと見つめてくる。

 こめかみまで伸びた目は、ぼくの魂を吸いとりそうだ。唇も頰のあたりまで裂けて、並んだ牙は剣山みたいに並んでいる。


 ……負けられないんだっ!

 ───だって、ぼくは、みんなのヒーローになるんだから!


「……ぷっ!! にらめっこ負けちゃった。ふふふ!」


 いきなり笑いだすけど、気がぬけない。


「ははっ! 必死すぎるよ、凌くん。……でもやっぱり、人は化かすに限るね」


 先生の顔にもどすと、ぼくの鼻をちょんとつつき、にっこり微笑んだ。


「本性が見えるからね」


 先生がそう言うなり、なにかが変わっていく。


 ガラガラと組み立てられていく記憶に時間、そのときの感情もすべてもどってくる。

 頭のなかがグラグラゆれるけど、これが正解だ。


「凌よぉぉぉぉ! わしは会いたかったぞぉっ!!」


 開いた戸から冴鬼が抱きついてくる。

 うしろには橘が仁王立ちをしている。


「凌くん、またあたしをおいて作戦会議?」

「だ、だめだって、地団駄、だめだって! パンツ!」




 元にもどった感動以上に、過酷な試練があることを、このときのぼくは、まだしらなかった─────

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