第9話 耐性がないので



 テーブルの上には美味しそうなスイーツが並んでいる。そしてテーブルを挟んで目の前にいる殿下は、人形のように綺麗に微笑んでいる。なんだかんだで長い付き合いだから分かるけど、これはもちろん作り笑いだ。


「食べないの? それ好きだったよね」


「ええ好きですよ……いただきます」


 私はぎこちなくそう言って干し葡萄のタルトにフォークを入れた。これは確かに私の大好物。だけどそんなことよりも、この状況が落ち着かない。

 だって殿下が突然屋敷にやって来たのだもの。正直タルトどころじゃない。

 しかも殿下は作り笑顔でこっちを見てるし。一体どういうこと? はっきり言って怪しい。


「なんだか落ち着かないみたいだけど、大丈夫?」


 ほら、いつもより一段と優しい口調になってる。まるでヒロインと話してるみたい。本当に今日は一体どうしたの?


「急にそんな笑顔で優しくされたら……そりゃ調子が狂いますよ」


 私がそう言うと、殿下の顔が急に引き攣った。そして、大袈裟なぐらいの溜息を吐いた。


「……ディアナ 」


「は、はい」


「いつもの私はそんなに冷たいか?」


「え?」


 むしろそれが殿下の素だと思ってたんですけど。だから冷たいとか思ったことはない。ただ優しくされたらなんかむず痒い気持ちになるってだけで。

 そう言おうとしたら、殿下の方が先に口を開いた。


「最近私のことを避けているのもそのせい?」


「別に避けてたわけじゃないですよ」


 避けてたわけじゃない。クラスが違うから接点がなくなったのと、魔法祭が近いから念のため距離を置いていただけだ。

 だって殿下やリチャード様と一緒にいたらうっかり自分がテネブライのになった事を言ってしまいそうだから。避けていたというよりは、自制してたつもりだったんだけどな。

 魔法祭の代表者は対戦相手ルーメンに知られちゃいけないって決まりだ。だから魔法祭が終わるまではなるべく二人とは必要以上に話さないように気をつけていた。

 だけど、事情を知らない殿下からすれば少し感じが悪かったのかもしれない。


「殿下、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい。あと、殿下を冷たいだなんて思ったこともないですよ」


「……そうなのか」


「はい。えーと、最近ちょっと疲れてて以前よりボーッとしてしまってるのは事実ですね。課題も多くて睡眠不足気味です」


 我ながらふわっとしたよく分からない理由を言ってしまった。


「そうか。私こそ変なことを聞いてすまなかった。確かに疲れが溜まっているように見えるね。あの騎士の訓練のようなものが関係しているのじゃないか?」


「ああ……朝練ですか」


「うん、それだよ。ディアナはいずれ私の……この国の王族になるのだから過度な訓練なんてしなくていいのに」


 殿下の意見はごもっともだ。私だって自分が悪役令嬢じゃなかったら、あんな暑苦しい朝練なんてしてなかったと思う。


「ディアナ、無理してるんじゃないか?」


「いえ、大丈夫で……」


 大丈夫ですと言おうとした瞬間、真剣な顔をした殿下が私の方へ手を伸ばしてきた。

 ……え? え? っえ?

 

「ひぃ……! あばばば」


 殿下の手のひらが私の頬に触れた。ど、どどどういう状況? あ、さっきの奇声はもちろん私です。何、何、いきなり何?


「……なに? さっきの声」


「なっなにって殿下こそ! なんですか急に!」


 思わず声が裏返ってしまった。急に触れられるなんて思ってなかったから、すごくびっくりした。


「いや、頬にこれが付いてたから」


「あっ……」


 殿下が摘んでいたのは、タルトの欠片だ。それはおそらく私がずっと頬につけていたのだろう。

 目を丸くする私を見て、殿下は可笑しそうに笑った。


「ふっ、ははは、やっぱり面白いね」


 うう……恥ずかしい。ずっと頬にお菓子の破片をつけて話していたなんて。

 先ほど触れられた部分がだんだんと熱くなっていくのが分かった。



 だけど、こうやって笑ってる殿下を見ると少しほっとする。殿下は普段から王族として常に気を張っていた。きっと私の想像を超える苦労があるのだと思う。だから私といる時ぐらいはさっきの作り笑顔じゃなくて、素でいて欲しいなぁ……なんて思っちゃうんだよね。


 そんなことを考えながら殿下の方へ視線を向けると、バチリと目が合った。

 昔から殿下の瞳は吸い込まれそうなぐらい綺麗で、なんだか不思議な気持ちになる。見つめ合ったまま少しの沈黙が流れた。すると突然殿下が顔を背け、目を逸らした。

 もしかして、私……見過ぎだった?


「……」


「あのさディアナ、私は……」


 殿下が何かを言いかけた時、ノックの音がそれを掻き消した。


「ランドルフ殿下〜! 入ってもよろしいですか?」


 そしてお母様の陽気な声がして、私達はビクリと肩を揺らした。


「お、お母様どうしたの?」


「ふふ、異国の茶葉を頂いたのよ。殿下にお淹れしようと思って。殿下、グリーンティーはお好きですか?」


 お母様はいつもよりワントーン高い声でそう言った。


「ベルナール夫人、お気遣いありがとうございます」


「いえ、出しゃばってしまって申し訳ありませんわ。これはミルクを入れると美味しいですよ。ほらディアナ、ミルクを入れて差し上げて」


 お母様は上機嫌だ。というか、お茶はただの口実で本当は殿下と話したかっただけでしょ! ミーハーなんだから。もう、恥ずかしいなぁ……。

 だけど殿下は嫌な顔一つせずに、いつもよりテンション高めなお母様の話に相槌を打っていた。


「うふふ……殿下も今はお忙しいでしょう? 魔法祭も近いですし」


 ん? ちょっとちょっと、お母様? 大丈夫よね? まさかとは思うけど、殿下に私が魔法祭の代表だなんて言わないよね? テネブライOGだから、これが秘密事項だってことぐらい分かるよね? 流石に。


「今年はギデオンも連れて魔法祭に行く予定なんですよ」


「ああ、ディアナの従弟の……」


「あの、お母様……!」


 もう話題変えましょ……。そう視線で訴えてみるけどお母様の視線は殿下一直線。あれ、なんか不安になってきた。


「今年はディアナの一世一代の晴れ舞台ですからね、見逃せませんわ!」


「……え」


「お母様それは……!」


 ああ、私のこの数週間の努力が水の泡……。

 殿下はお母様の言葉を聞いて唖然としていた。勘のいい殿下なら、さっきの一言で全部分かってしまっただろう。

 急に重い沈黙が訪れて、お母様は不思議そうに殿下と私の顔を交互に見た。そして十秒ぐらい考えてハッと何かに気付いたような顔をした。


「えっ、えー! 私ったら馬鹿馬鹿! そうだったわ、殿下はルーメンでしたわね。どうしましょう……これって敵チームに知られちゃまずいのかしら?」


 もう、天然すぎる……私は開いた口が塞がらないよ。


「夫人、大丈夫です。私は何も聞かなかったことにします。この話はこれで終わりましょう。……あ、このグリーンティー香りがいいですね」


 殿下は何事もなかったかのような涼しい顔でそう言って、意外にもその場は丸く収まってしまった。お母様は私と殿下に平謝りしてそそくさと退室していった。

 短時間で場を引っ掻き回してくれたな……。



 



「で、どういうこと?」


 再び二人きりになった途端、殿下は低い声でそう訊いてきた。


「その話はもう終わったんじゃ」


「うん。さっきの話は聞かなかったことにするから、ディアナの口からちゃんと聞きたいな。ちなみに私もルーメンの代表だ。ディアナだけ言うのは不公平だから先に言うよ」


「あぁ、やっぱりそうなのですね。一緒に頑張りましょう!」


「頑張りましょうじゃないよ。なんでよりによって相手がディアナなんだ」


 殿下は苛立った様子で私を見た。お……怒ってる。


「もしかして、あの教官にやれと言われて断れなかったのか」


 殿下は何故か張り詰めた雰囲気で問いただしてきた。いつもより強い口調だったから流石に驚いた。というか、あの教官って……もしかしてグレンズ先生のこと?


「この件にグレンズ先生は関係ありません。推薦してくれたのは総裁のアーロン先輩とクラヴィス先輩です。それで先輩達の話を聞いて私が自分でやりたいと思ったんです」


「あのね、過去に女性が出場した事さえ稀だし、最悪の場合は怪我をする事もあるんだ。その辺はよく考えたんだろうね」


「はい……承知の上です」


 殿下に捲し立てられて、自分の声がだんだん小さくなる。

 本当は就職優遇っていう特典に釣られたけど、殿下にそんなことを言えるわけがない。


「本当にもう、ディアナはいつも私の予想を上回ることをするね。それは君のいいところでもあるけど……困ったところでもある」


 殿下はそう言って大きな溜息を吐いた。

 あらら、殿下に呆れられてしまった。だけど今更どうすることもできない。こうなったら魔法祭で殿下に私の実力を見せるしかないわね……あんまり自信はないけど。

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