第2話 帝国軍の襲来

  1


 その日、俺は孤児院の維持に必死だった。


 孤児院の住人が増えたため。内訳は子供が50人、大人が10人である。親と共に保護した子供もいるが、50人のほとんどが孤児だ。


 俺が持ち帰った膨大な兵糧で、今のところ食糧の危機はない。親を亡くした子供たちも、腹一杯食べたときだけはすべてを忘れられるようで、俺としては喜ばしいことだった。


 だが逆に言えば、俺がしてやれるのはこれぐらいだ。つくづく孤児たちの悲しみを正面から受け止めようとするシスター・ノアのすごさを思い知らされる。


「いい、レリカ。あなたのお母さんは、遠いところに旅立っていったの。でも悲しまないで、あなたが今よりもっと大きくなったら、また会えるから」


「うん……。でもわたし、今すぐおかあさんにだっこしてもらいたいよ……」


「大丈夫、大丈夫よ。お母さんの代わりに、わたしがいくらでも抱っこしてあげるから」


 彼女は体と心を張って、今日も孤児たちの心の世話をしている。そのかいはあったらしく、時折他の子に混じって遊ぶレリカの姿が見られるようになったほどだ。何百体もの精霊と契約することはできても、泣いている女の子一人慰めることすら俺にはできない。情けない話だ。


 俺は俺にできることをするしかなかった。差し当り衣食住のうち、食と住はなんとかなっている。残る問題は衣であった。


 孤児院には替えの服がなかった。以前なら時折やってくる行商人から調達することもできたが、この戦時でそれは望めない。空を飛んで買いに行くという手もあるが、帝国軍がどこにいるかも分からない以上、孤児院は留守にしたくなかった。大体、数十人分の衣服を背負って空を飛べるかは怪しいところである。


 仕方がないので今のところは子供たちの服をひっぺがし――走り回る小さな子供の服を脱がせることほどの難題はない――急いで服を洗濯し、火の精霊と風の精霊を呼び出して熱風を起こし、急速乾燥させることでどうにか解決していた。


 そんな忙しい日常を送っていたからこそ、


「た、大変だジレッドさん! ものすごい軍勢がこっちに向かってきてる!」


 見張りを頼んでいた大人の一人がその報告を持ってきたとき、俺は本気で帝国軍に腹を立てた。


「くそっ! こっちは洗濯で忙しいんだぞ!」


「洗濯とか言ってる場合じゃないでしょ!? ジレッド、どうすればいいの!?」


 至極当然の指摘をしたのはシスター・ノアである。


「心配は要らない、追い払ってくる。とはいえ子供に見せる光景じゃないからな。全員孤児院の中に戻っていてくれ」


「分かったわ、信じてるから」


 信じる。他ならぬシスター・ノアにそう言われたのであれば、期待に応える他ない。


「さあみんな! 孤児院に戻って! 大急ぎよ!」


 シスター・ノアのかけ声に、子供たちが孤児院に戻る。普段であれば「もっとあそぶ!」とちっとも言うことを聞かない子供たちも、今回だけはただならぬ気配を感じてか素直に従った。


「ジレッド。お願い、みんなを守って」


「任せてくれ。じゃあ行ってくる」


 いつも頼ってばかりだったシスター・ノアに頼み事をされるのは、結構嬉しいことでもあった。その内容が帝国軍を追い払うこと――というのは事が小さ過ぎていささか残念ではあったが。


 俺はいつも通り自分にかかる重力を調整しながら足元の岩を飛翔させ、孤児院を文字通り飛び出した。


  ◆◆◆◆


「将軍閣下、見えてきました。あれがラメルダ村です」


 帝国軍第三方面軍を率いるフレーデン将軍は、その報告を聞くと馬上から目を凝らした。確かに平野部の中央に小さな村が見える。


「ふむ、見たところただの寂れた農村だな」


 第三方面軍がわざわざ街道から離れた小さな農村に向かったのは、二つ理由があった。


 まず他に召喚士の部隊が潜んでいると思われる拠点はなかったこと。特に先遣隊を襲った召喚士部隊は、多くの兵糧を奪っていったことが確認されている。大量の兵糧を輸送しながら移動しているとは考え辛く、召喚士部隊はどこかに拠点を持っている可能性が高かった。


 もう一つは、農村に人が残っていることが確認されていたからだ。小さな農村であろうが、略奪はできる。事実、大勢の女子供がまだ残っていると聞き、兵士たちは色めき立ったものだった。


「一つだけ小綺麗な建物があるが、教会かあれは?」


「そのようです。フェロキア解放同盟で広く信奉されているアムリタ教の教会でしょう」


「忌々しいな、そいつは」


 皇帝こそが唯一神である帝国に宗教は存在しない。アムリタ教などというものは、存在するだけで害悪となる異教の教えであった。


「とはいえ召喚士部隊が中にいる可能性はある。戦列を整えよ、召喚士部隊を中心に広く陣形を展開するのだ」


 幸い村の周囲は広い平野で、軍勢を広く展開するだけの余裕はありそうだった。


 フレーデン将軍の命令により、5000の軍勢のうち2000が一つの生き物のように動き始めた。重装歩兵と槍兵、弓兵で構成された小隊が何十と作られ、小隊同士が横に連なって一つの大きな戦列を作る。


 それは強力な召喚士部隊に対抗するための陣形だ。軍勢はある程度一箇所に固まっていてこそ力を発揮できるが、密集し過ぎれば召喚術で大きな被害を受けかねない。かといって散開させては槍兵や弓兵が無防備になってしまう。


 そこで大盾を持った重装歩兵と槍兵、弓兵による混成の小隊をいくつも作り、横に広く展開するのだ。そうすれば小隊単位では大きな被害を受けたとしても、残った全軍で対抗できる。


 そして中央後方には召喚士部隊が控えていた。たとえ100人の召喚士が教会に潜んでいたとしても、対処可能な体勢である。


 だが、帝国軍は戦列を作り上げたものの、前進することはなかった。敵が教会から出てきたためである。


  2


 俺は重力の力を元に戻し、大地に降り立った


 帝国軍の軍列は間近に迫っている。ここで対処しなければならない。


 追い返すのは問題ないが、問題はその手段である。孤児院の周囲に死体の山を築くようなことはできればしたくなかった。


「ジレッド、待ってー!」


 そのときだ。聞こえるはずのない声が聞こえて、俺は思わず背後を振り返った。


「ジ、ジレン!?」


 かつての俺が、空から俺に向かって飛び込んできたのだ。


 俺はシルフに命じてジレンの勢いを弱め、どうにか両腕で抱き留めた。


「どうしておまえがここに!? というかどうやって!?」


「ジレッドをマネしたんだ。大地の精霊にお願いして、足元の岩を飛ばせたの」


 俺は二重に驚いた。いつの間に大地の精霊をそれほど制御できるようになっていたのかと驚く一方で、もしジレンが着陸に失敗していたら――と考えたためである。


「な、なんてことを! いつも危ないことはするなと言っているだろう! 頭でも打ったらどうするんだ!?」


「ご、ごめんなさい。でもどうしてもジレッドに付いていきたかったんだ。僕だって召喚術が使えるんだ、シスターやティアナを守りたいよ」


「……おまえ」


 そう言われると俺としては叱るに叱れなくなってしまう。「シスターたちを守れるようになれ」とは以前から俺が言ってきたことだからだ。


 どのみち、もう帝国軍は間近に迫っている。今から孤児院に戻そうとすれば、流れ矢にでも当たりかねない。ジレンを抱いたまま戦うのが最善だった。


「分かった、おまえがそう言うなら連れて行ってやろう。召喚士の戦いを間近で見れば勉強になるはずだからな」


「やった! ありがとうジレッド!」


「だが……ジレン、これは遊びじゃないんだ。俺は今から帝国軍の兵士をたくさん殺すことになる。きっと地獄のような光景だ、おまえは目を逸らさず見ていられるか?」


 ジレンは一瞬躊躇を見せた。だが、すぐ力強く頷く。


「うん、絶対目をそらなさいって約束する。だって、ジレッドがそうしないとレリカがもっと悲しい目にあうんでしょ? そんなの嫌だもの」


「……そうか、分かった」


 かつて俺が6歳だったとき、そんな考えを抱けただろうか。それともこれが、戦争の気配を感じながらティアナやレリカに囲まれて育った結果だろうか。それほどの決意があるならば、俺に止める権利はなかった。


 間もなく、帝国軍が俺たちの近くまでやってきて止まった。空から見た限りでは、ざっと5000人はくだらない軍列である。


「ジ、ジレッド。あんなにたくさんいるよ、大丈夫なの?」


「問題ない。そんなことよりこれから俺がすることをよく見ておけ。おまえにはすぐ俺と同じことができるようになる。無闇に怖がるな、すべてを見逃すな、いいな?」


「うん、分かった」


 口ではそう強がるジレンであったが、俺の腕の中で体は震えていた。

 せめてできる限り早く事を終わらせてやるしかない。俺は決意を新たに、帝国軍の軍列に向き直った。

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