142.激情のままに
一足で飛んだケイオス様は、エールデ様の隣に立ってその髪を撫でた。嬉しそうなエールデ様の表情は今までに見た事がない程に美しくて、思わず吐息が漏れるほど。
それからケイオス様はシャルテへと向き直る。
どこか悲しげで、慈しむような黒の瞳を揺らしながら。
『シャルテ、人の子を糧にしたのか』
『ふん、元より我の為に生まれた子どもよ。問題あるまい』
『君のそういうところが僕は苦手でね……』
『我も貴様のような甘い考えは嫌いでな』
シャルテの左手が輝く。そこには聖剣ヴィントシュトースが握られていた。金に輝いていたその剣には、今では呪の紋様が刻まれている。
聖剣を構えるその姿は髪色さえ異なれど、勇者にそっくりだった。
対峙するケイオス様の右手が光る。握られているのは……聖剣。ヴィントシュトースにそっくりだけれど、白金に輝き神気に満ち溢れているようだ。
『貴様を討って我がこの世界を統べよう』
『今度は封印なんてしない。君を混沌に返してあげる』
仕掛けたのは、二人同時の事だった。
剣がぶつかり合う。そこを起点に起きた衝撃波は大地でそれを見上げている、わたし達にも襲いかかった。
「……っ!」
思わずたたらを踏むも、アルトさんがわたしの肩を抱くようにして支えてくれた。
気遣わしげな東雲に、大丈夫だと笑って見せる。
『相変わらず血気盛んな御仁だ』
『ここに私達がいる事にも、気付いていないのかもしれない』
肩を竦めたリュナ様とモーント様が、両手を天に掲げる。二人の手から溢れた神気はわたし達を包み込む結界となった。
その瞬間、火炎球が結界に当たって霧散する。結界付近の大地にも火炎球は降り注ぎ、その熱量はまるで溶岩のように大地を溶かしてしまった。
……わたしの知ってる火炎球じゃないな。
『やれやれ、目覚めたと思ったらすぐにこれだ』
結界の中にエールデ様が移ってくる。呆れたような溜息をつきながらも、その表情は綻んでいる。
「この戦いは、決着がつくのですか」
『うむ、前回は封印という手心を加えたが、今回はそのつもりもないだろう。シャルテは人を道具として扱った。それは許せるものではないからな』
アルトさんの問いに、エールデ様が答える。どこか物悲しささえ感じる声で。
そうだ、シャルテは自分が復活する為に、勇者を使い人々を扇動して戦争を起こした。それは決して許されるものではない。それに利用された勇者を思うと……。同情するわけではない。勇者を許せるわけでもない。でも、それとはまた別の感情がわたしの胸に渦巻くのだ。
その息苦しさに、ワンピースの胸元をぎゅっと掴む。すぐにその手はアルトさんに掴まれてしまったけれど。
哄笑が耳をつんざく。
剣戟が響く。
『貴様に封印されていた間も、我は力を得続けていた。眠っていただけの貴様とは違うのだよ』
『悪魔を生み出し、人を堕落させたのは許し難い罪だぞ』
『許して貰おうなどと思ってはおらん。我がこの世界を掌握すればいい事よ』
『僕はそれを阻もう。この世界に生きる、すべてのものの為に』
シャルテの言葉に胸がざわめく。
『人を堕落させ、人を利用して何が悪い。エルステの民はいい働きをしてくれた……特にこの勇者という男はな……!』
エルステの人達の笑顔が思い浮かぶ。
妄信的ともいえるほどに、祖であるシャーテを崇拝していて、誇りを持っていて……それさえ、このシャルテは利用していたというのか。
「ミハイルーーーーッ!!」
気付けば叫んでいた。
激情のままに、声の限りに。
シャルテとケイオス様の視線がわたしを捉える。
勇者と同じシャルテの赤い瞳が、侮蔑するように眇められた。
「あなたはシャーテの為に生まれたんじゃない! あなたはミハイルであって……シャーテじゃない!」
わたしの手をアルトさんが握ってくれる。それだけで勇気が湧いてくる。
「シャーテの器?! ふざけた事言わないでよ! あなたはミハイルとして生まれて、ミハイルとして生きてきたんでしょう! やってきた事は許せないし、あなたの事は嫌いだけど……何で簡単に諦めるの!」
激情のまま、言葉が勝手に溢れだす。
子どもが駄々をこねているようだと、自分でも思うけれど。――それでも。
「いっつもしつこいくらいに粘着質で執着心が強いでしょ! なんだって自分の命は、自分の存在は、簡単に諦めちゃうのよ! 馬鹿じゃないの! 諦めないで抗いなさいよ!」
叫びすぎて喉が痛い。息を吸い込めなくて何度も噎せる。アルトさんとグロムが背中を撫でてくれた。
『ふん、羽虫が。よくそれだけ吠えられるものよ』
シャルテが苦々しげに毒づいた。
掌を上に向け、そこに集まるのは――雪の結晶。くるりと風を巻き込むようにして氷塊へと姿を変える。透き通るほどに美しい氷を、シャルテはわたしに向かって撃ち出してくる。
リュナ様とモーント様が結界に力を注いだのが分かった。アルトさんとグロムが、わたしを守るように得物を構える。
しかしその氷塊は、結界に当たる前に霧散した。立ち上る水蒸気が霧のように結界に添って勢いよく流れていく。
霧が晴れたあと、わたしの視界に映ったのは剣先をシャルテに向けたケイオス様。その刃は紅蓮に燃えている。
『シャルテ。どうして君は泣いている?』
そう――シャルテの両の瞳から溢れるのは、涙。
指摘されて初めて気付いたのか、シャルテが濡れた頬に触れる。
『なん、だ……これは……』
『君が取り込んだ勇者が、あの子の言葉に泣いているんだよ』
『馬鹿な、そんな馬鹿げた事があるものか!』
シャルテはまた手の上に氷の塊を作り出すと、それをわたしに向かって撃ち出そうとして――出来なかった。
美しい氷はシャルテの掌から腕へと駆け上がって氷漬けにしている。
『……クレ、ア……』
シャルテの口から発せられたのは、
『何故だ……我の邪魔を……っ!』
『それが分からないなら、君はもう眠るべきだ。――さよなら、シャルテ』
一気に距離を詰めたケイオス様の声はひどく穏やかで。
聖剣を勢い良く薙いだ先、袈裟斬りになったシャルテの姿があった。
憎悪に揺らいでいた、赤眼から光が失われていく。
ただ流れ落ちる涙はいまもそのままで。
浮力も失い、落下していくだけだったシャルテの体が淡く白い光に包まれていく。
そこにケイオス様が手を差し込むと一気に光が収束し、そして消えた。
ケイオス様が腕を掴んでいるのは、赤い髪の――勇者だった。
シャルテではなく、エルステの勇者であるミハイル。その瞳は閉じられていて、距離のあるわたしからでは、彼の生死も窺えない。
それでも、きっと彼はシャルテの呪縛から解かれたのだと、そう思えた。
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